第十一話 皇女ミーアの帝王教育
バルバラが連行されるのを見送って、ミーアは女子寮へと戻ることにした。
おそらく、この騒動を聞いて心配するであろう、アンヌを慮ってのことだった。
――ラフィーナさまに報告する必要もあるでしょうし。
バルバラのことはラフィーナに報告しておくべきだろう、とミーアは思っていた。情状酌量の余地をそこに見出すかどうかはラフィーナ次第ではあるが、少なくとも先ほど聞いたことはラフィーナに伝えておかなければならないように感じられた。
――それに、この子もショックが大きかったはずですわ。
ミーアは、かたわらに立つパトリシアを見て思う。
お人形のように、表情が乏しい顔には、隠しようのない不安の色がにじみ出ていた。つい先ほどまで、刃を突き付けられていたのだ。幼心に、恐ろしい状況だっただろう。
――やはりこれは、町の散策はいったん中止にしたほうがよさそうですわね。
そんなミーアに、アベルが声をかけてきた。
「まだ、危険が潜んでるかもしれないな。女子寮まで送ろう」
「まぁ、ですけれど、なにか予定があったんじゃ……?」
心配そうに尋ねるとアベルは……、
「ははは、君以上に優先すべき予定なんかないさ」
軽やかに笑って、そんなことを言った!
「まっ!」
ミーアのテンションは、高波に乗る海月のように天に上った! つい先ほどまで、ちょっぴりビターな気分になっていたのだが、ミーアは切り替えが早いのだ。
「それじゃあ、行こうか」
優しげな笑みを浮かべて手を差し出すアベルに、ミーアは、ほわぁっと頬を赤く染めつつ、そっと右手を委ねる。
もう、気分はすっかり物語のヒロインだ。
それから、ふと気付き、もう片方の手でパトリシアの手を握る。
「あっ……」
びっくりした顔で見上げてくるパトリシアに、ミーアは安心させるように笑みを浮かべる。
「ほら、行きますわよ。パトリシア。今度は怖い人に捕まったらダメですわよ?」
「ミーアさま!」
女子寮の入り口までくると、アンヌが慌てた様子で駆け寄ってきた。やはりすでにバルバラのことは、耳に入っていたらしい。心配そうなアンヌを安心させるように、ミーアは穏やかな笑みを浮かべて、手をあげる。
堂々たる、ヒロインの貫禄である。
「お怪我はありませんか? ミーアさま!? 私、びっくりしてしまって……」
「大丈夫ですわ、アンヌ。なんとアベルが助けに来てくれましたのよ? とっても格好良かったんですわよ?」
つい先ほど、命の危険に晒されたとは思えないほど、ご機嫌のミーアである。
女子寮までの短い道のりが、ミーアの恋愛脳をいたく刺激したためだ。
アベルとパトリシアと手を繋いだまま、町を歩く。そこに生まれたあまぁい空気というか、ちょっとした幸せ空間が、とっても居心地がよくって……。
ミーアはすっかりご機嫌になってしまったのだ。
――うふふ、楽しかったですわ。なんだか、久しぶりにすごく幸せでしたわね。
なぁんて、恋にうつつを抜かしていると……。
「ご無事でよかった……」
アンヌは、見るからに安堵したという顔で、深々とため息。それから、ふとミーアのかたわらにいる少女に目を向けた。
「あの、それで、ミーアさま、この方は……」
「ああ、ええと……」
ミーアは、パトリシアに目を向けて言った。
「パトリシア、彼女はアンヌですわ。わたくしの専属メイドをしていただいておりますの」
ミーアの紹介を受けて、アンヌが静かに頭を下げる。
「はじめまして、アンヌ・リトシュタインです」
それは、完璧な礼節を保ったものだった。対して、パトリシアは無言で見つめていた。
「あら? パトリシア、きちんと挨拶しないとだめですわよ?」
ミーアが、その肩をつつくと、パトリシアはきょとりん、と首を傾げて、
「どうして? ミーア先生、どうしてメイドに自分から名乗らなければいけないんですか?」
心底不思議そうに言った。
“身分の低い平民に、挨拶をする必要などなし”
なるほど、それは帝国貴族には、当たり前にありそうな考え方で……。
――でも、あまり良い考え方ではありませんわね。
ミーアは小さく首を振ってから、口を開く。
「そうしなければならない理由はいろいろとございますわ。例えば、使用人から好感を抱かれていたほうが良い仕事をしてくれるでしょう。それに、使用人の心を把握しておくことは、貴族の令嬢にとって当然のこと。それができていないことは、恥ずかしいことですわ」
なんだか、いつになく賢そうなことを言うミーアである。
パトリシアの言った「ミーア先生」という単語が……純然たる敬意が……ミーアをちょっぴり、その気にさせていた。
――うふふ、先生、なんだかちょっぴり気分がいいですわね。
なぁんて、若干調子に乗りながら、ミーアはパトリシアを真っ直ぐに見つめる。
「けれど、なにより大切なことは、彼女はわたくしの忠臣にして、わたくしの右腕であるということですわ」
ミーアは力強く断言する。その上で、
「だから、あなたも、わたくしに敬意を払うというのであれば、このアンヌにもまた、敬意を払いなさい」
キリリッとした顔で言う。実になんとも、貫禄溢れるミーア先生である。
そんなミーアに促され、パトリシアはコクンッと小さく頷いて、
「私は、パトリシア。パトリシア・クラウジウス。以後、お見知りおきを、アンヌさん」
スカートの裾をちょこん、と持ち上げて、頭を下げた。
それを見て、満足げに頷くと、ミーアは、アンヌのほうに視線を向ける。
「アンヌ、申し訳ないのだけど、この子をお風呂に入れてもらえるかしら?」
「はい……! かしこまりました、ミーアさま」
なんだか、いつになく気合の入った顔で背筋を伸ばすアンヌであった。
そうして、アンヌとパトリシアの背中を見送りつつ、ミーアは小さくため息を吐いた。
――さて、やるべきことが山積みですわ。とりあえず、状況を把握しないといけませんわね。ベルが戻っているといいのですけど……。
いろいろなことが起きすぎた。とりあえず、今しておくべきことを頭の中でまとめつつ、ミーアは自室へと向かった。