第五話 蛇の影
パトリシアは、無言でキノコシチューを食べていた。
それを見て、ミーアは、満足そうに頷いて、
――ふぅむ……、なかなか良い食べっぷりですわね。なんだか、見てるこっちまでお腹が減ってきてしまいましたわ。
ミーア、自らのお腹をさすりさすり……それから、周りに目線を送る。っと、それに気付いた食堂のスタッフが、素早くお茶を持ってくるのが見えた。
「どうぞ。ミーアさま。特製のミルクティーです」
「まぁ、ありがとう。ついでに、わたくしにも何かお茶菓子……」
「材料のほうが……それにアンヌさんに怒られてしまいますので……」
ズバッと言うスタッフに、ミーア、ぐむっと唸る。
ちなみに、この女性スタッフは、ミーアと顔馴染みでアンヌとも関係が深い。ミーアの行動は筒抜けになっているのだ。
アンヌが敷いた見事なミーアシフトと言えるだろう。こうして、彼女らの不断の努力によってミーアの健康は守られているのだ。
――仕方ありませんわね……。しかし……この子、この様子ですとやはり、キノコは食べたことがなかったみたいですわね。食わず嫌いだったということでしょうけれど……。
やはり、気になったので、聞いてみることにする。
「ねぇ、あなた、どうして、キノコが嫌いだなんて、言ってましたの?」
そう尋ねると、パトリシアは、下を向いたまま、
「キノコは……食べるとお腹が痛くなるから……」
小声で答える。その答えに、ミーアは……ひどく共感した。
――ああ、わかりますわ! 毒キノコを間違って食べると、確かにお腹が痛くなるもの。なるほど、誤って毒キノコを食べたことが心の傷になって……。
などと、ちょっぴり微笑ましい気持ちになるミーアである。
その時、ミーアは見つける。パトリシアのぷっくりした頬に、シチューがついているのを!
「あら……」
だから、ミーアは優しい笑みを浮かべ、ハンカチで拭いてあげる。とっても優しいミーアお祖母さまなのである。対して、パトリシアの反応は、少しおかしなものだった。
「あっ、ごっ、ごめん、なさい……」
ビクッと体を震わせ、いかにも怯えた様子である。それに、ミーアはなんとなく違和感を覚える。
「別に謝る必要などありませんわ。まぁ、淑女として、お顔に付けるような食べ方はしないほうがいいとは思いますけど、美味しいキノコの前では人は冷静ではいられませんもの」
そう言ってやるのだが……なぜだろう、パトリシアはひどく驚いた様子でミーアを見つめてきた。それから、恐る恐ると言った様子で口を開き……。
「あの……どうして、こんなに美味しいものを、くれるの?」
「どうしてって……。どうせ食べるなら美味しいほうがいいでしょう? それは、貴族だろうが、帝室の姫だろうが変わらないことだと思いますけれど……」
せっかく食べるなら、美味しいもののほうがいい、そんな絶対不変の真理を語るミーアであったのだが……。
「…………なるほど」
パトリシアは、何事か納得した様子で、こくん、と可愛らしく頷いた。
「……つまり、ティアムーンの皇帝をだらくさせるには、美食をきわめさせるのも一つの手段と……」
「ふふ、まぁ、そういうこと……うん?」
キノコ料理を褒められて上機嫌に笑っていたミーアだったが、その笑顔が途中で固まる。
――ティアムーンの皇帝を堕落させる……? はて……?
「美食もお金のムダづかいに、つなげられるって、地を這うモノの書にも書いてあった」
その口から飛び出した驚愕の単語に、ミーアは目を見開いた。
――ちっ、ちち、地を這うモノの書っ! こっ、この子っ! やっぱり蛇の関係者っ!?
思わずのけぞりそうになるミーアだったが、ギリギリのところで踏みとどまる。
ぐるんぐるん、混乱しそうになる頭を懸命に整理しつつ、愛想笑いを浮かべる。
――こ、これは、わたくしが帝国皇女だと気付かれるとまずいですわね。先ほど名乗った時に気付かないとは割とニブい子なのかもしれませんけれど……それでも油断は禁物。急いで、状況を把握する必要がございますわ! とりあえず、ベルと合流しつつ……。
ミーア、ゴクリ……と、紅茶を飲み、気持ちを落ち着ける。
「あの……ということは、やっぱり、ミーアさんはクラウジウス家の、先生なの? ですか?」
――クラウジウス家……? はて……その名前どこかで……。でも……。
ミーア、思わず首を傾げる。
忘れがちな事実ではあるのだが、こう見えて、ミーアは帝国皇女である。ルードヴィッヒの教育の成果か、現在の帝国内にある貴族の名はおおむね頭に入っていたりするのだ。意外なことながら……。
けれど、不思議なことにクラウジウス家の名は聞き覚えはあるものの、なぜか、はっきりとは思い出せなかった。どこか頭の片隅に引っかかる、そんな名前で……。
――ううん、なんだったかしら……?
「あの……?」
ふと見ると、パトリシアが不審げな目を向けていた。
「あ、ああ、ええ、と、そうですわね」
さて、なんと答えたものか……。
どうやら、彼女は、ミーアのことを蛇の教育係と思っているらしい。その誤解を生かさない手はないが、さりとて、先ほど本名を名乗ってしまった手前、いつバレるかわからない。
どう答えるのが最善か……。このパトリシアという少女に……パトリシア……?
――あっ、そうですわ! パトリシア、これですわっ!
ミーア、思いつく! 起死回生の、アイデアを。
「そう。わたくしは、クラウジウス家の教育係。あなたに、しっかりと教育をしますわ。わたくしのことは、帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンとして扱うと良いですわ」
「帝国皇女……? え? でも……」
怪訝そうな顔をするパトリシアに、ミーアは微笑みかける。
「そういう訓練ですわ。訓練」
そう……これは訓練。目の前の少女が、ミーアの祖母に名を借りて、ミーアの血族に扮しているように……ミーアもまた自身の名を偽装であることにしたのだ。
――先ほど、うっかりミーアと名乗ってしまいましたけれど、これで上手く誤魔化せるのではないかしら?
そう言いつつ、ミーアは首をひねる。
――それにしても、これはいったいどういうことかしら? この子が蛇の送り込んできた者として、その目的は? そもそも、この子、ベルと同じ未来からやってきたのかしら? 蛇が時間移動に介入してきた? そもそも、ベルはどうやってここに来たのかしら?
頭からモクモク湯気を吹き出しつつも、ベルと合流するために、ミーアはパトリシアを連れて食堂を出るのだった。