第四話 干したキノコよりも固い疑念……
ミーアは、謎の少女を連れて食堂を訪れた。
先ほど来てから、あまり時間が経っていなかったのもあって、食堂勤めの女性が驚いた顔で声をかけてきた。
「ミーアさま、まさかまた! 食べに来たのですか!?」
「はて? そんなわけないではありませんの」
なにをバカなことを、とミーアは笑った。
さすがのミーアでも、ここからさらに甘い物を食べようとは思わない。ミーアの器はそこまで大きくはないのだ。むしろ小さいのだ。物理的にも心理的にも……。
さらに、アンヌは食堂のスタッフとも親しい。食べ過ぎは怒られてしまうだろう。
さらにさらに! ミーアは先ほど、ベルが着ていたドレスも気になっていた。
――甘いものの食べすぎは、お肌の大敵、などとタチアナさんが言っておりましたし……。将来の帝国の産業のためにも、ここは自重しましょう。良い布にしなければいけませんしね。
自らの双肩に、将来の帝国の製品品質がかかっていることを自覚しつつ、ミーアは決断を下すのだ。重たい覚悟と自覚があるのだ! ということで……。
「わたくしは、お茶をいただきに来ましたの。それより、この子になにか食べる物を……えーと、あなた、ランチはもう食べたのかしら?」
そう問うと、少女は緩やかに首を傾げつつ、ミーアを見上げてきた。
「……どうして?」
「まだでしたら、お食事を頼みますし、もう食べているのなら、ケーキを……。あっ、でも、ダメですわよ? ケーキが食べたいからって、もう食事は食べたとか嘘を吐いたら……お食事を食べずにケーキだけ食べていたら、立派な大人にはなれませんわよ?」
かつて自分が言われたことを、きちんと孫娘(?)に伝えようとするミーアである。立派なお祖母ちゃんなのである!
そんなミーアに、困惑した様子で、少女は言った。
「まだ、食べてない……けど……」
「あら。でしたら、そうですわね。わたくしのお勧めのフルコースを頼もうかしら……」
っと、ミーアの視線を受けた女性スタッフが、困り顔で頭を下げる。
「申し訳ありません。ミーアさま。実は、材料のほうが少々……」
「ああ……そう言えば、そうでしたわね」
言われて、思い出す。ここ数日、セントノエル島が非常事態に襲われているということを。
実は、三日前、季節外れの春の嵐がヴェールガ公国を襲ったのだ。
嵐自体はすでに通り過ぎているものの、なかなか規模が大きく、その後の強風の影響もあって、ノエリージュ湖の湖面は大いに荒れていた。結果、熟練の船乗りでも船を出すのを躊躇うような状況で、セントノエル島は現在、外部から孤立状態にあるのだ。
幸い、島には備蓄があるものの学園の食堂もその影響を免れることができず、注文できるメニューは、やや制限を受けていた。
「では、今できるものはなにかしら?」
「そうですね。今ですとヴェールガ茸のシチューしか……」
と、実にしょんぼりした顔をするスタッフの女性に、ミーアはむしろ笑みを浮かべる。
「うふふ、十分ですわ。むしろ、一週間同じものであっても、文句をつけようなんて思いませんわよ」
ヴェールガ茸のシチュー。それは、まさに至高の一品。
滑らかなクリームとキノコの甘美な歯ごたえがとっても素敵な逸品である。ミーアが最期の晩餐で食べたいメニュー、ベスト10ぐらいには入る、素晴らしい料理なのだ。
――きっとこの子も気に入るに違いありませんわ。
上機嫌に笑いつつ、少女に目を向ける。と、少女は未だに不思議そうに首を傾げていた。
「お食事、食べさせてくれるの?」
「ええ、もちろん、差し上げますわ。ああ、でも……」
っと、ミーアはそこで何事か思いついたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「名前を教えてくれたら、ですけど……」
冗談めかしてそう言ってみる。と、少女はしばし考えた末に、小さく頷き、
「パトリシア……」
ぽつり、とつぶやいた。それを聞き、ミーア……思わず目を見開く!
「あら! まともなお名前ですわ!」
てっきり、おかしなミーアネームを聞かされるものと思っていただけに、拍子抜けである。
それから、ミーアは腕組みしつつ考える。
――なるほど、パトリシアということは、お祖母さまのお名前からとったのですわね。
パトリシア・ルーナ・ティアムーン。それは、ミーアの祖母。現皇帝の母の名前である。
「お会いしたことのないお祖母さまのお名前から付けるなんて……わたくしにしてはまともすぎますわね。実にセオリー通りですわ」
……未来の自分に対するミーアの信用は、とても低いのだ。
だから、ミーアは、そこで微妙な違和感を覚える。
「なんだか、セオリー通り過ぎやしないかしら?」
生まれてきた皇女に、過去の血族の名前を付けるのは、よくあることだが……はたして、自分が、こんなにまともなネーミングをするものだろうか?
ミーアには甚だ疑問だった。
――まぁ、わたくしがつけたわけではないのかもしれませんけれど……でも。
生じたのは、ちょっとした疑念。
――この子、本当にベルと一緒に来た子なのかしら? わたくしの……孫娘なのかしら?
ベルは心当たりがないと言っていた。まぁ、ベルは意外とうっかりなところがあるから、彼女が知らないということは、それほど不思議ではないと思ったのだが……。
――それでも、なんだか引っかかりますわね。これは、注意が必要ですわ。
ミーアの疑念は、数多の危機を乗り越えてきた自らの直感に対する自信と、将来の自分への不信に裏打ちされた強固なものだった。ミーアは、やや警戒心を高めつつ、少女、パトリシアを見つめて……その時だった。
ミーアの鼻が、ひくひくっと動いた。
「ああ……美味しそうな香りがしてきましたわね」
目を向ければ、食堂のスタッフたちが、テーブルにシチューを運んでくるのが見えた。
「まぁ、難しい話は後回し。まずは、きちんと食事をしなくてはいけませんわね。ヴェールガ茸のシチューは絶品ですわよ?」
ドヤァ顔で料理を説明するミーア。であったが、ふと見ると、少女が浮かない顔をしていた。
「あら? どうかなさいましたの?」
首を傾げるミーアに、パトリシアは気まずそうに……。フォークでシチューをかき分け……。
「これ…………嫌い」
彼女の行動を見たミーアは……、
「なっ、ぁっ!?」
思わず、仰け反る。
なぜなら、彼女がフォークで脇に避けたもの、それは……まさしく、そのシチューの主役である……、
「きっ、キノコが……嫌い……ですって……?」
ズガガガーンッ! っと衝撃を受けたミーアは、わなわな、と唇を震わせる。
――そっ、そんなことが、あり得るかしら? わたくしの子孫が、キノコが嫌いだなんて、そんなことが……本当に?
普通であれば、あり得るかもしれない。
食事の好き嫌いは個性というものだ。だから、ミーアの子孫がキノコが嫌いでもおかしくはない。おかしくはないが……。
――妙ですわね。やっぱり……。
ミーアの……キノコ女帝としての勘が告げていた。
――名前の件といい、とても怪しい……。
そう、ミーアは知っている。自分が、孫に好物をお勧めせずにいられる性格ではないということを。
ミーアはシェアの人なのだ。楽しい物語を他人と共有したい類いの人だし、美味しいものはみんなで食べたい人なのだ。
そんなミーアの孫娘が、キノコ嫌いなんてことがあり得るだろうか?
――料理長がキノコを料理したならば、それはもう絶品。口に入れたら、好きにならざるを得ないはず。ということは、キノコ嫌いということは、すなわち、食わず嫌いというわけで……。
ミーアは、確信のこもった顔で頷く。
「それは、あり得ないことですわ……。いいえ、そもそも、わたくしと血の繋がりがあるというのに、キノコが嫌いだなんてことが、あり得ぬこと。ということは、この子は……もしやっ!」
怪しい! 怪しすぎるっ!
ミーアの抱いた疑念が、鉄よりも、鍛えた鋼よりも……干したキノコよりも硬い確信へと変わりかけた次の瞬間っ!
「……あっ!」
ミーアの目の前、パトリシアがシチューを一口食べた。
さすがに、出されたものを食べないのは悪いと思ったのだろうか。恐る恐ると言った様子で一口目を食べたパトリシアであったが、すぐに、
「おいしい……」
その口から、小さなつぶやきがこぼれおちた。
ほんのりと、幼い頬を朱に染めて、笑みを浮かべた彼女は、
「これ、すごくおいしい。このキノコも、すごく……」
ニコニコしながら、ミーアに言った。
「ですわよね! わかっていただけて嬉しいですわ!」
それを聞いてミーアもニッコニコだ!
固まりかけた疑惑と確信は、お湯で戻された乾燥キノコのようにしんなり、柔らかくなってしまった。
まぁ、ミーアの確信など、しょせんそんなものなのだった……。