第三話 約束の時~響くはシュトリナの……悲鳴?~
さて、シュトリナに連れ去られたベルは、そのままシュトリナの部屋に連れ込まれていた。
ベルをベッドの上に座らせると、シュトリナは椅子を持ってきて、その前に座る。膝と膝とを突き合わせ……ベルの目をじいっと見つめてから、シュトリナは、ほうっとため息を吐いた。
「本当に、ベルちゃんなんだ……」
「はい……。心配かけて、ごめんなさい。リーナちゃん」
深々と頭を下げて、ベルは言った。
「ううん。リーナこそ。あの時はごめんなさい。それと……」
シュトリナは、ギュッとベルの手を握りしめて言った。
「ありがとう。リーナのこと、助けてくれて……。ずっとお礼、言いたかったの……。でも、言えなくって……とっても、苦しくって……」
再び、じわり、と、シュトリナの目に涙が浮かぶ。
ひくっひく、っと肩を震わせるシュトリナが落ち着くまで、ベルは静かに待っていた。そうして、
「今こそ、約束を果たします。リーナちゃん」
ベルはしっかりとシュトリナの瞳を見つめて、言った。
「ボクはミーアベル……。ミーアベル・ルーナ・ティアムーンです」
「ルーナ……ティアムーン? それって……」
怪訝そうな顔をするシュトリナに、ベルは真剣そのものの顔で首を振る。
「いいえ。ボクはミーアお姉さまの妹ではないんです。ボクは、ミーアお姉さまの、いいえ、ミーアお祖母さまの、孫娘なんです。ボクは未来から来ました」
「孫……、未来……?」
ベルは、自分のドレスの胸元から、再び、それを取り出した。
それは古びてはいるけれど、間違いなく、あの≪小さな馬のお守り≫で……。
シュトリナは、少し驚いた様子で瞳を見開いて……それから、立ち上がり、机の引き出しを開けた。そこには、二つの小さな馬のお守りが入っていて……。
「リーナちゃんが、ずっと保管してくれていたって聞きました。大切に、大切に、ボクが産まれたら渡そうって思ってたって……」
そこまで言って、ベルは心配そうに、上目遣いにシュトリナを見た。
「信じて、くれますか?」
対して、シュトリナは……心底、不思議そうに首を傾げた。
「どうして? もちろん信じるよ。ベルちゃんがそう言うのなら、疑う理由なんかどこにもない。ベルちゃんが天使だって言っても驚かないし、信じる」
うんうん、っと頷いてから、シュトリナは続ける。
「むしろ、いろいろと釈然としなかったことが、納得できちゃった。そっか……ベルちゃんは、ミーアさまのお孫さんなのね……。じゃあ、もしかして未来では、リーナとベルちゃんは、おばあちゃんと孫娘みたいな関係になってたりするのかな?」
冗談めかした口調で言うと、ベルは困ったような顔で首を振った。
「いいえ……それが、違うんです。実は、リーナちゃんは……」
静かに、ベルは話し出した。あの日、ミーアのベッドで目覚めた、後のことを……。
「ゆっくり、話しましょう。あの後、なにがあったのか。これからのことも……。たくさん話したいことがありますわ」
優しい笑みを浮かべるミーアに、ベルは、一番気になっていたことを尋ねた。
「あの、ミーアお姉さま、リーナちゃんは……?」
自らの親友のこと……。シュトリナが、今、どうなっているのかを……。
すると、ミーアは驚いた顔で、ベルを見つめたが……。
「ああ……そうでしたわね。まだ、記憶の整理が上手くできていないのですわね……」
それから、ふとベルから視線を外し……。
「リーナさんは……」
なにか、言いづらいことを言おうとするかのように、言いよどむ。
その様子を見てベルは……ひどく嫌な予感がした。
もしかして……シュトリナは、もう……。
その時だった。
「失礼します」
部屋のドアが開き、一人の“少女”が姿を現した。
「ミーア陛下、ベルちゃん、いますか? 今日はお茶のお約束があるのですけど……」
現れたのは、可憐な少女だった。
野に咲く花のように華やかな髪、それをふわふわ揺らしながら歩いてくる少女、それは……ベルの大切な、大切なお友だちで……。
「リーナ……ちゃん?」
つぶやき、直後に否定する。
いや、違う……。そんなはずがない。
だってシュトリナは、ミーアより一歳年下なのだから……。
対して、やってきた少女は、どう見ても十代の半ばに見える。その髪には艶やかな光があり、その肌にも若い張りが見えた。だから、シュトリナのはずはない。
では……シュトリナではないとしたら? この、シュトリナにそっくりな少女の正体は……、いったい何者だというのか?
「リーナちゃんの娘さん、いいえ、お孫さん、ですか……?」
ベルの脳裏に、再び嫌な予感が過ぎる。
なぜ、自分は、シュトリナ自身ではなく、その孫と友誼を結んでいるのか?
なぜ、お茶の約束を……親友であるシュトリナ自身としていないのか?
そして、先ほどの祖母ミーアの、何とも言えない表情……。
「もしかして……リーナちゃんは……、リーナちゃんは……もう」
じわり、っとベルの視界が滲む。思わず鼻をすするベルに、ミーアは……。
「あー、ベル……。よく思い出してみるといいですわ。たぶん、あなたの記憶の中に答えがあると思いますわ。リーナさんが……どうなったのか」
やっぱり、なんとも言えない、複雑そうな顔で言うのだった。
その声に導かれるようにして、ベルは思い出そうとして……、記憶の小箱をひっくり返してみて……。
「……あ、あれ?」
再び、違和感に襲われる。
なぜだろう、自分の記憶の節目節目に、いつも目の前のシュトリナの姿があった。
五歳の誕生会の時、お茶会、社交界デビューにミーアお祖母さまの生誕祭などなど……。思い出に残っているイベントには、必ずといっていいほど、シュトリナが一緒にいて……。
まったく変わらぬ姿でベルを見守っていた。
「え……どういうこと、でしょうか? ええと、リーナちゃん、なんですか……?」
混乱するベルに、シュトリナはきょとりん、と首を傾げた。
「あの、ミーアさま、ベルちゃん、どうかしたんですか?」
「ええ。実は、ようやく記憶が戻ってきたみたいなんですの。ほら、あの、蛇の城での時から……」
「あ……」
っと、シュトリナは両手で口を押さえながら……小さく声をこぼした。
それから、ベルに歩み寄ると、そっとその頭を胸に抱いた。
「おかえりなさい。ベルちゃん……。リーナ、ずっと待ってたのよ?」
「リーナちゃん……やっぱり、リーナちゃんなんですね……」
そこでようやく、ベルは確信を持つことができた。目の前の少女が、シュトリナ本人である、ということに。
となれば、疑問は当然……。
「でも、どうして、リーナちゃん、年を取ってないんですか?」
これである。
ベルが見た限り、シュトリナは十代の半ば。明らかに年齢が合わない気がするのだが……。
シュトリナは、そんなベルの反応を見て、おかしそうに笑って……。
「うふふ、ありがとう、ベルちゃん。でもね、リーナ、すっかりおばあちゃんになってるのよ? ミーアさまと同じで孫だっているしね。ほら、ここ、見て。こんなに皺が……」
などと、手の甲を見せてくれるのだが……ぶっちゃけ、ベルにだって、その程度の皺ぐらいはあるわけで……。シュトリナの状態は明らかにおかしかった。
助けを求めるようにミーアのほうに目を向ける。っと、ミーアは、やれやれ、と呆れた様子で首を振った。
「イエロームーン家の総力を挙げたという話ですわ。イエロームーン家の薬草の知識をフル活用して、若さを保っているのだとか……。わたくしは魔法だとか魔女だとかは信じていないのですけど、リーナさんは、もしかしたら、魔女なんじゃないかって、ひそかに思っておりますのよ?」
呆れた様子でそう言うミーアに、シュトリナはニッコリと可憐な笑みを浮かべて。
「あら? ミーア陛下、このぐらい大したことじゃありません。リーナは、ベルちゃんとお友だちでいるために、努力を積み重ねてきただけですから」
それから、彼女はベルに目を向けた。
「ベルちゃん、リーナね、ベルちゃんのお友だちでいるために、頑張って、若さを保ってきたの。いろいろ忙しい時期もあったけど、子どもはもう成人してるし、家督も譲っちゃった。だから、これからは、心おきなくベルちゃんと一緒にいられるの」
「リーナちゃん……」
その、なんともシュトリナらしい友情の形に、ベルは感動しそうになって……。
「あれ? でも、リーナちゃんの、結婚した相手の方はいいんですか?」
「ふふふ、大丈夫。あの人は剣にしか興味がないような人だから。リーナの自由にさせてくれるわ。なんだったら、ベルちゃんと遊びに行く時、護衛としてついてきてくれるかもしれないわね」
なぜだろう……結婚相手のことを口にした一瞬、ベルは、何とも言えない凄味を、シュトリナに見たような気がした。
わずかばかり、シュトリナの結婚相手が心配になり……直後、思い出す。シュトリナのパートナーが誰であったのかを……。
――ああ、あの人なら、心配する必要なんかないかもしれない。
なにしろ、彼はベルが知る限り最も……。
「そんなわけだから、ベルちゃん。百歳ぐらいまで長生きしていいのよ? だいたい、ベルちゃんとリーナは四十歳差ぐらいだから、リーナは百四十歳まで生きて、ずっとベルちゃんのお友だちでいてあげるから」
そうして、シュトリナは悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「百歳と百四十歳のおばあちゃんだったら、年の差とか全然関係なく、いいお友だちって言えるでしょ?」
そんなことを言うのだった。
「……というわけで、リーナちゃんとは、ええと、おばあちゃんと孫というよりは、普通のお友だちとして、お付き合いさせていただいています」
「なるほど。そういうことだったのね」
シュトリナは、神妙な顔で頷いた。
「うん……。確かに、ベルちゃんが未来から来たって知ったら……リーナならそうすると思う。なんか、自分のことだけど、すごく納得しちゃった……」
深々と頷いてから、シュトリナは言った。
「……ちなみに、ベルちゃん、リーナ、すごーく気になることがあるんだけど、それも教えてくれる?」
「はい。なんでしょうか?」
ニッコニコと笑みを浮かべるベルに、シュトリナは言った。
「リーナの結婚相手って誰なの? ベルちゃんのお話を聞いてるとなんだか、すごく気になっちゃうというか、嫌な予感がするんだけど……」
「うーん、それは言えないんですけど……」
ベルは、ちょこんと首を傾げてから、
「あ、でも、安心してください。リーナちゃん、すっごくラブラブで、この前なんかも……」
直後、シュトリナの声にならない悲鳴が、部屋に響き渡るのだった。
訂正。
ミーア四十 ベル母 二十 ベル誕生……ぐらいですかね。
……ということで、シュトリナとベルは四十歳差ぐらいでした。