第二話 君の名は?
――ふむ……リーナさん、良かったですわ。
孫と、その友だちの再会を見つめる、お祖母ちゃんの視線は優しいものだった。
シュトリナのことで頭を痛めていたミーアであったが、やはり、友は強いということだろうか。
――これで、ベルの口から直接どういうことなのか聞くことができれば、リーナさんも立ち直ってくれるのではないかしら……?
しばしベルに抱き着いていたシュトリナだったが、ようやく落ち着いたのか、体を少し放した。
それから、真っ直ぐにベルのことを見つめて、
「ベルちゃん、なにがどうなってるの? ベルちゃん、首を矢に射られて消えちゃったんじゃないの? それとも、やっぱり、ベルちゃんは天使だったの?」
「……天使?」
きょとん、と小首を傾げ、ミーアのほうを見上げてくるベル。
「ああ、ええと、あなたの消え方がちょっとアレな感じだったから、リーナさんはそう考えているようですわ。天使が天に帰っていったのだと……」
「なるほど……」
ベルは少し黙り込み、それから、シュトリナに言った。
「えっと、リーナちゃん、前にした約束のこと覚えていますか?」
「約束……」
「はい。帝都に戻ったら、ボクのとっておきの秘密を教えてあげるって……」
「あっ……」
シュトリナは、目を見開いた。
切望しつつ、決して叶うことはないと思っていた大切な約束……それが今、叶おうとしていたから……。
「あの約束を今、果たします。実は、ボクは……え?」
ふと気付くと、シュトリナはベルの腕をひっつかみ、ぐいぐい引っ張っていた。
「あ、リーナさん……?」
「ミーアさま、無礼を承知でお願いします。ベルちゃんお借りします」
そう言って、深々と頭を下げると、シュトリナはさっさとベルを牽引して行ってしまう。
どうやら、ベルの秘密を聞くならば、二人きりで聞きたい、ということらしい。
「……お願いって……まだ、聞くとは一言も言っていないのですけど……」
思わず苦笑いのミーアである。
「もっとも、あのお願いには、さすがのわたくしも、ノーとは言えないですけど……」
シュトリナは、ミーアから『ベルの秘密』を聞くのを拒否した。
親友のことが気になっただろうに、我慢して、ベルとの約束を固く守ったのだ。
二人きりで、その約束の時を迎えたいと思うこと、それは自然な気持ちだろうし、シュトリナにはそうする資格があると、ミーアは思った。
シュトリナの一途な友情を邪魔するほど、ミーアは無粋ではない。
ミーアは粋な女なのである。
「しかし、困りましたわね。あの様子では、ベルは当分、解放してもらえないでしょうし、とすると……」
ミーアの関心は、自然、すぐそばに立つ謎の少女のほうに向かう。
「いったい、なにがどうなっているのか、説明してほしいのですけど……ふむ……」
改めて、正体不明の少女を観察する。
きょとん、とミーアに向ける顔に表情はなく、何を考えているのかよくわからなかった。
その瞳の色はベルと同じ青い色ではあるが、瞳の形はどちらかというとミーア自身に近いような感じがした。
――ふむ、切れ長の瞳はわたくしに似ておりますけれど……わたくしの血が強いということかしら……。でも……。
と、そこでミーアは違和感を覚える。
――この子……先ほどのベルとリーナさんのやり取りを見ていて、なんとも思わなかったのかしら?
二人の会話は、事情を知らない者からすると、意味がわからないものだっただろうけど、それでも、興味を持たずにはいられないものだったはず。
――矢で射られたとか、天使だとか、子どもならば気になる会話だったでしょうし、あのリーナさんの行動も好奇心を刺激するのに十分なものだったはず……。なのに、どうして、こんなに無関心を装っていられるのかしら?
よくしつけがされていると言えるのかもしれないが、ミーアとしてはむしろ、異常なものを感じてしまう。なんだか表情に乏しいその顔は、人形めいて見えてしまって、ちょっぴり不気味ささえ感じてしまって。
「ええと、とりあえず、あなた、お名前は? わたくしは、ミーアというのですけれど」
少女を混乱させないために、とりあえず、フルネームは避けて名乗る。それからミーアは、少しだけ膝を曲げ、少女の目を覗き込んだ。っと、少女はミーアにチラっと目を向けてから、静かに視線を逸らした。
――あら? 名前を名乗らない……。ふむ。
瞬間、嫌な予感がした。むしろ、いやぁな予感しか、しなかった。
――これは、もしや……名乗りたくないほど、恥ずかしい名前なのでは……?
基本的に未来の自分は信用しないミーアである。なにせ、ミーアベルのネーミングという、やらかしてしまった前科があるわけで……。
少女にどんな“ミーアネーム”がつけられたのか、戦々恐々としてしまうミーアである。
――もちろん、わたくしがつけたのではないかもしれませんけれど……ヘンテコな名前を付けてしまった可能性は低くはありませんわね。さて、どんな名前を付けたことやら……。
聞くのは怖いが、さりとて、名前を知らずにいるのはいろいろ面倒。それに、名前から得られる情報もあるだろう。
――さて、どうしたものかしら……?
その時だった。くぅっと小さな音が鳴った。とてもささやかで、可愛らしいお腹の虫の鳴き声が聞こえてきて……咄嗟に自らのお腹を押さえたのは、なんとミーアだった! つい先ほど、お菓子を食べたのに、実におこがましい!
そうして、すぐにミーアは気付く。今のは自分じゃなくって……。
「あら……? 今のはあなたですの?」
少女の顔を覗き込む。っと、少女の顔に初めて表情らしいものが見えた。その頬が、ほんのり赤く染まっていたのだ。
「そう。あなた、お腹が空いておりますのね。でしたら、なにか美味しいものを食べながら、ゆっくりお話を聞くとしましょうか」
少女の、年相応な幼さが見れて、ほんの少しだけ安心するミーアであった。