第六十話 剣術大会3 -アベルの戦い-
「それでは、予選第七試合を始めます。アベル・レムノくん、ゲイン・レムノくん、闘技場の上にあがってください」
審判の声に呼ばれて、アベルは小さく息を吐いた。それから、静かに闘技場の階段を上がり、中央まで行ったところで、剣を抜いて構える。
刃引きした練習用の剣を挟んで、目の前に立つのは、幾度も負け続けてきた兄の姿。
緊張に、腹がピリピリと痛んだ。
――だけど、負けるわけにはいかない。
しっかりと剣を構え、兄、ゲイン・レムノを睨みつける。
「さてと、それじゃあ、どれだけ成長したか、俺が試してやろう。我が弟よ」
剣を肩にのせ、ニヤニヤと意地わるげな笑みを浮かべる兄。と、次の瞬間、いきなり踏み込み斬りつけてくる。
「ぐっ……」
重たい斬撃を受け止めた瞬間、刀身がきしむ。
両腕から痺れが走り、危うく剣をとり落としそうになってしまった。
刃を潰してあるとはいえ、重量のある金属製の剣だ。当たれば切れはしないが、あざぐらいはできるし、当たり所が悪ければ当然、骨だって折れる。
数年前、兄に折られた骨の痛みを思い出し、自然と体が固くなるのをアベルは感じた。
「ふん、まぁ、そんなものだろうな。お前など」
軽蔑した目で見つめてくる兄に、アベルは歯を食いしばる。
――ぐっ、強い。
十代前半の男子は、一年経つごとに体が大きく成長する。それゆえ、兄との年齢差は、絶対的な力の差となって現われてくる。
防戦一方のアベルを嘲笑うように、ゲインが言った。
「しかし、良い女を引っかけたじゃないか。アベル」
「え?」
剣と剣を合わせ、つばぜり合いの状態を作ってから、ゲインはアベルに顔を寄せた。
「弱いくせに、帝国の姫君を落とすとはな。父上もさぞかしお喜びになるだろうさ」
品のない笑いを浮かべて、ゲインは視線をアベルの後ろへと動かした。そこには、アベルの試合を観戦しているミーアの姿があった。
「それにしても、今日はずいぶん大人しかったな。ふん、帝国の叡智などと言っても、しょせんはガキ、少しばかり脅してやれば大人しくなると思ってたが予想通りだったな」
「それは……」
違う、という否定の言葉。それが口にのぼる前に、兄の言葉が続いた。
「もしアベルと婚儀を結ぶなどということになれば、我が国に呼んでやろう。一週間ほど滞在させれば、その間にきっちりと俺がしつけてやろう」
アベルの脳裏に、母や、姉、それに城のメイドたちのことが思い浮かぶ。
「なぁに、少しばかり痛い目見せてやれば、大人しくなるだろう。その方があとあと、お前も楽だろうしな。帝国も思うがままに……」
虐げられ、粗雑に、時に暴力的に扱われる、その姿が……、暗い目をした彼女たちの姿が、ミーアと重なる。
先ほどまで恐ろしい速さで打っていた心臓の音が徐々に遅くなり、目の前の景色がはっきりとしたような気がした。
兄の剣で打たれれば痛い、ケガをするかもしれない。
けれど、そんなことどうでもよくって……、そんなものよりはるかに大切なものがあることに、気づいてしまったのだ。
「兄上」
気づけば、口を開いていた。
その響きの冷たさに、アベルは自分でも驚きを感じる。
「んっ?」
その口調が変わったことはゲインも気づいた。
剣を引き、間合いを取る。
「ボクのことは、なんと言っていただいても結構。ご自由になさるがいい。けれど」
兄に鋭い視線を叩きつけながら、アベルは言った。
「ミーア姫を貶めるようなことをこれ以上言うというのなら……」
帝国の叡智と謳われた彼女が、その輝きを無理やりに奪われる……。
そんなことを、許していいはずがない。
「言うのなら? なんだ?」
片手でヒラヒラと剣を揺らすゲイン。その馬鹿にしきった態度を冷静に見つめながら、アベルは構えを上段に変える。
振りおろしの一撃に、自らの持てるすべてをこめるその構えはレムノ王家に伝わる剣術の第一の構え。
相手よりも速く攻撃を当てる、その一点のみに力を注ぎ、守りのことは気にしない、攻め一辺倒の構え。
それを見て、ゲインは再び嘲笑を浮かべる。
なぜなら、それは、剣術を始めた者が最初に習う基礎の構えだったから。
「第一の構えか。まぁ、お前はしょせんそんな程度だろうな」
余裕の態度で剣を構え直す兄を、決して倒すことのできなかった兄を、しっかりと見据えて、アベルは息を吸って、吐いて。
仕掛ける!
どん! と、闘技場を踏みぬかんばかりの重い踏み込み、
「これ以上、彼女を貶めることは絶対に許さない!」
叫ぶと同時に剣を振りおろす。
加速する刃は、日の光を受けて、一筋の稲光と化した。
勝負は……、一瞬でついた。
「へ……うぁ……ぎゃあああああっ!」
痛みに、情けない悲鳴をあげるゲイン。音を立てて、その手から剣がこぼれ落ちる。
彼の肩には、アベルの剣がしっかりと入っていた。
「勝負あり!」
審判の声、直後、闘技場が歓声に埋め尽くされる。
呆然と、運ばれていく兄を見つめていたアベルだったが、
「アベル王子!」
どこかから聞こえた、その声に、ようやく肩から力を抜いたのだった。