エピローグ 幸せな夢の続き
瞬きを、一つ……二つ、三つ……。
かすむ視界。
まぶたをこすりつつ、彼女は静かに目を覚ます。
帝国皇女、ミーアベル・ルーナ・ティアムーンは、ふわぁ、っとあくびを一つして、それから辺りを見回した。
――あれ? ここ……どこだろう?
見えてきたのは、広く豪奢な部屋。
ミーアベルは、その部屋に置かれた大きなベッドの上に横になっていた。
ふかふかで、ふわふわなベッドの毛布にくるまり……うーん、もうひと眠り……。
などと倒れこみそうになったところで……唐突に、思い出す。
古びた蛇の廃城、邪悪な礼拝堂で、自分は、矢で射られて……っ!
「っ! くっ、首、首っ!?」
っと、慌てて、ペタペタ自分の首を触るけれど、どこにも矢なんか刺さっていなくって……。
「あ……あれ? えーっと……」
そうして、改めて辺りを見て……ミーアベルは気付いた。そこがどこであるのか……。
「ここは、白月宮殿。ミーアお祖母さまの、お部屋……?」
小さい頃から、困ったことがあると、こっそり隠れる、そこはミーアベルの一番の隠れ場所。ここに逃げ込めば、いつでも、優しいお祖母さまが助けてくれるから。
「そうだ。ボクは、ミーアベル・ルーナ・ティアムーン。帝国の皇女で、栄えある帝国の叡智の孫娘……」
彼女には、しっかりとした記憶があった。帝国の姫として、白月宮殿で、大切な人たちに囲まれて育った記憶が。
ここは帝都。ティアムーン帝国一の都。だから、廃墟と化した帝都の記憶なんかあるはずなくって、そこの貧民街での生活の記憶なんか、あるはずなくって……。
だから……。
「夢……だったのかな? でも、それにしては……」
「まぁ、ベル。あなた、やっぱりここにいましたのね……」
ふと見れば、部屋の入り口に、一人の女性が立っていた。
すっと伸びた背筋、長く美しい髪、老いてなお燦然と輝く帝都の月、帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンが、ミーアベルの大好きなお祖母ちゃんが……そこに立っていた。
「ルードヴィッヒが探しておりましたわよ? お勉強の途中で逃げ出すなんて、ダメですわよ。勉強は物量が命ですわ。全部、暗記してしまえば、どうということも……」
「あ、ミーアお祖母さま……ボク……」
っと、その声を聴いて、ミーアはきょとん、と首を傾げた。
「ボク……?」
「あっ……」
ミーアベルは慌てて口元を押さえる。
「あ、あれ……ボク? 変ですね。あはは、なんだか、夢の中に引っ張られてしまって。『私』ですよね」
頭の中にある記憶と、夢の記憶。
不思議なことに、どちらもミーアベルには本当のように感じられて……どちらも……愛おしく感じられてしまって……。
「あのね、ミーアお祖母さま、とっても不思議で、楽しい夢を見たんです。ミーアお祖母さまの若い時に、行って、そこで大冒険する夢。セントノエル学園で生活して、若い日のミーアお姉さまや、アベルお祖父さま、それに、天秤王シオンや、忠臣キースウッドさん、アンヌお母さま、エリスお母さま、ルードヴィッヒ先生……それに、それに……リーナちゃん……!」
興奮した様子で言ってから、ミーアベルは、楽しそうに笑った。
「とっても、素敵な夢でした。うふふ、本当に楽しい夢で……ボク、ずっとあそこにいたいって思ってて……。変ですよね、夢のことなのに……」
それから、ミーアベルは、自分の首元を撫でた。
「ボク、首に矢を受けて死んじゃったんですよ。お姫さまなのに、そんな危ないところに行くなんて、やっぱり変です。変な夢……」
と、その時だった。ミーアベルは気付いた。自分の首筋に引っかかる、紐の感触。そして、胸のあたりに感じるゴワゴワとした、毛の塊のようなもの……。
紐を引き、襟元から引っ張り出したそれは……古びた、小さな馬のお守り(トローヤ)で……。
「……これ……は……」
目の前に鮮やかに甦ってくる風景があった。
それを受け取って、とても嬉しそうに微笑む親友の顔が、目の前を過って……。
顔を上げた時、彼女は気付いた。
祖母が、とても穏やかな笑みを浮かべて見つめていることに……。
感慨深げに、目じりに皺を寄せてミーアは言った。
「そう……。あの日のあなたは、今日に繋がっていたのですわね……」
それから、祖母はミーアベルの隣に、そっと座った。
「ミーアお祖母さま……ボク……」
と、そこで、ミーアは、ベルの頭をギュッと抱きしめる。
お祖母さまに抱きしめられたことは何度もあったけれど……なぜだろう、ベルには、それが、ひどく懐かしいことのように感じられて……。
「おかえりなさい、ベル。あなたとの約束を守れていればいいのだけど……」
「約束……?」
「ええ。約束。遠い日の約束……。この世界は……あなたの夢の続きになることはできているかしら? わたくしは、あなたの夢を終わらせずに、いられたかしら?」
「あっ……」
思い出す。
まぶたの裏に浮かぶ風景。
若き日の祖母の顔。
胸を張り、「あなたの夢は、わたくしが終わらせはしませんわ」と力強く、宣言してくれた。約束してくれた、あの時の声……。
「ミーア、お姉さま……」
「ゆっくり話しましょう。あの後、なにがあったのか。そして、これからのことも……。たくさん話したいことがありますわ……。だけど」
と、そこで、ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それは、みなを呼んでからにいたしましょうか。きっとみんなもあなたと話したいはずですもの」
かくて、祖母から孫へ……優しい時間は受け継がれていく。
それは、ベルが見た幸せな夢の続き。
断頭台の姫ミーアが蒔き、大切に育んできた豊かな実りの形だった。
これにて、ティアムーン帝国物語、第四部は終了となります。当初の予定だとこのエンディングです。ちょっぴり切ない綺麗なエンドとなりました。
そして、次の話は、諸事情により続くことになった第五部への導入となります。
前に活動報告でお知らせしたとおり、「ティアムーンに切ないエンドなんかいらねぇ! ご都合でもいいから砂糖を吐くぐらいのハッピーエンドがいい」という方、女子高生になったミーアに興味がある方はどうぞお進みください。
でも、切なく綺麗なティアムーン帝国物語で終わりたい方は、もしかしたら、第四部までにしたほうが良いかもしれません。シリアスさんは、四部後半に燃え尽きました。
第五部から始まるものは、砂糖を吐くハッピーエンドを目指す旅路なので。
それでも構わない方は、覚悟して続きをどうぞ。