第二百三十三話 自分ファースト探求
そうして、月日は巡り……。半年後。
セントノエル学園には再びの春が訪れていた。
「それでは、ミーアさま、私は、学園の方と少し打ち合わせをしてまいります」
「ええ、お願いいたしますわね。新入生歓迎舞踏会には、学園の職員の協力が不可欠ですし」
笑顔で挨拶を交わし、アンヌと別れたミーアは、一人で図書室を訪れていた。
もうすぐやってくる、生徒会選挙の公約作りをするためだ。
「ふぅむ、毎年のことですけど、公約作りはなかなか大変ですわね。そろそろラフィーナさまに生徒会長の座を返上したいところですけど……」
つぶやきつつも、思い出すのは、生徒会長に立候補した時のことだった。
「ふふふ、思えば、ベルがいなければ、わたくしが生徒会長をすることもなかったのですわね」
ラフィーナの求めに応じて、生徒会には入ったかもしれないが……会長の座を巡って、ラフィーナと選挙戦を戦うことになるとは思ってもみなかった。
「思い返せば、いろいろなことがありましたわね……あの子が来てから。ふふふ、ベルがいなければ、こうはならなかったでしょうね……」
生徒会長の件だけではない。四大公爵家の面々との関係も、今とは全く違ったものになっていたに違いない。
「サフィアスさんなんか、もしかしたら、政敵になっていたかもしれませんし、本当にわからないものですわ」
今でこそ、頼りになるサフィアスであったが、出会ってすぐは見栄ばかり張りたがる、どうしようもない少年だった。あの生徒会長選挙がなければ、彼との関係がどうなっていたのか、想像もできなかった。
「それに、イエロームーン公爵家。あの家との仲も、もっと別のものになっていたはずでしょうし……リーナさんも……」
と、そこで、ミーアは最近の悩みの種のことを思い出した。
「……リーナさん、表面上は平静を装っていますけれど、無理してますわよね、やっぱり」
ベルがいなくなって、一週間ほど、シュトリナは魂が抜けたようだった。
声をかけても、表情一つ動かすことなく、まともに会話をすることもできなかった。
けれど、ミーアやエメラルダらの働きかけにより、一か月もすると徐々に元気を取り戻していった。今では、可憐な笑顔を浮かべることもあるし、お茶会にも参加する。その振る舞いは、一見すると、かつてのままだ。
だけど……その顔に心からの、無邪気な笑みが浮かぶことはなかった。
表面上は平静を取り繕ってはいるが、無理をしているのが見え見えで、ミーアも、周りのみんなも心配していた。
「ベルのことを、きちんとお話できればいいのですけど……」
ベルの秘密のことを、シュトリナにだけは話しておこうと思っていたミーアであったが、シュトリナは頑としてそれを聞いてはくれなかった。
「ベルちゃんから聞くって、約束しましたから……」
その一点張りだった。
「大丈夫です。ベルちゃんは死んだんじゃありません。よくわからないけど、ベルちゃんはきっと、天使みたいなものなんだって、思うことにしておきます。今は一度、天に帰っているけど、必ずまた戻ってくるんだって……。その時になったら、きっと全部話してくれるんだって、思ってますから……」
なんだか、泣きそうな顔で、そんなことを言われてしまったので、もう、なにも言えなかった。
「リーナさんのことはなんとかしないといけませんけど……。なかなか大変ですわね。やはり時間が必要かしら……」
それに、ルードヴィッヒたちにも説明はまだしていない。こちらは、いずれ説明する、で納得してもらってはいるものの、さて、なんと説明したものやら……。
「リーナさんの天使説で押し切るというのもありでしょうけれど……いずれにせよ、悩みの種は尽きませんわね……ふわぁ」
そんなことをつぶやきつつ、とろん、と眠たげに、ミーアは瞳を瞬かせた。
「しかし……少し眠いですわね……。最近、夢見が悪いせいかしら…」
アンヌと二人だけの部屋。それが、なんだか広く感じられて……ちょっぴり寂しくもあり……。そのせいか、最近のミーアは、少しだけ寝つきが悪くなってしまったのだ。
「不思議なものですわね。以前まではむしろ手狭に感じておりましたのに……。ふふふ、にぎやかな子でしたものね……」
今でもふと、部屋の中でベルの姿を探している時があった。
お祖母さま、と呼ぶ声が聞こえるような、そんな気がしてしまって……。
「あの子のためにも頑張らないといけませんけれど……ふわぁ……」
っと、大きなあくびをもう一つ。
「ふむ、ダメですわね。眠たくって。やはり眠い時には寝るしかありませんわね」
ミーアは、図書室の机に顔を伏せて、そっと瞳を閉じる。
「それにしても、やっぱり、なにか導が欲しいですわね。考えるヒントでもあればよいのですけど……どこかに、落ちてないものかしら……? あの本棚の辺りに、また皇女伝か、日記でも挟まっていれば……。ああ、未来の歴史書とかでもいいのですけど……」
なんとなく、そんなことを考えた時……ふと視界のはずれ、奥の本棚に黄金の光が散ったように見えた。
「ベル……?」
顔を上げ、そちらに目を向けたミーアであったが……。錯覚だったのか、光はすぐに見えなくなった。
小さく首を振り、ミーアは苦笑いする。
「なんて、ね。ふふふ、感傷的になってますわね。頑張らないといけませんわね。あの子の、誇れる祖母になるために」
ミーアの子や、孫が暮らす世界を少しでも良くするため。
ベルが目覚める世界を、優しい世界にするために。
ベルが笑って目覚めることができる世界、その世界こそが、ミーア自身が幸せを享受できる世界だと思うから。
こうして、ミーアの『自分ファースト探究の旅』は続いていく。
「しかし……。頑張るにしても、やっぱりなにか導が欲しいところですわね。もしくは、なにか、甘いものが……」
諦め悪くつぶやきつつ、時にサボりつつも、続いていく。
ミーア以外の何者かになることなく、どこまでもミーアらしく、彼女は歩み続ける。
その歩みの行き着く先がどこに繋がるのか、彼女と、彼女の帝国とがどこに向かうのか……。
帝国の叡智という月の導く明日が、どのような世界となるのか……。
知る者はまだ、誰もいなかった。