第二百三十二話 戦いの終焉
塔の下での戦闘も佳境を迎えていた。
「そんなものか? 火馬駆」
「ぐっ……」
ディオンの重たい斬撃を、馬駆は間一髪のところで受け止めるも、勢いに押されて二歩、三歩と後退する。
対するディオンは、追撃をしない。あえて、馬駆が体勢を立て直すのを待っている。
「やれやれ。気合を入れてやってみれば拍子抜けだな。その程度か」
戦いが始まって以来、ディオンはずっと、馬駆だけでなく、ゲインとギミマフィアスの戦いをも視野に入れながら戦っている。
いざという時には、いつでも止めに入れるよう、常に意識しつつ、ある程度の余裕をもって決戦に挑んでいたのだ。
もっとも……心配する必要はあまりなさそうだったが……。
「どうした? ギミマフィアス、これでは、稽古にもならんぞ」
挑発するように言うゲインであったが、その剣筋は、言葉とは裏腹に堅実なものだった。
上段からの振り下ろしを基本とした攻撃的な剣技。それは、以前見たアベルのものと似ていたが……。
――アベル王子のような我武者羅さはない分、安定している。聞いていたよりも、やるな。あの王子殿下。実力差があるから、あえて攻勢に出て、受け身に回らないようにしている。
ギミマフィアスに主導権を握らせれば、すぐにでも無力化される。それがわかっているからだろう。ゲインは徹底して、攻めに回り、決して主導権を渡さない。
決して捌ききれないような猛攻ではないものの、余裕をもって反撃ができるほど弱くもない。
さすがのギミマフィアスもやりづらそうだった。
――斬り捨てて良いものならばそうするのだろうが、相手は王位継承権一位の王子。まさか、反撃して殺すわけにもいかないか。怪我をさせないようにあれを無力化するのは、確かに手を焼きそうだけど……まぁ、寄る年波には勝てないってところかな。僕も、あのぐらいの年齢になったら、さすがに剣の腕は鈍るだろうし……。
などと、無駄なことを考えている間に、馬駆は動いていた。
ゆらり、ゆらりと揺れるような不規則な動きで接近するや、一閃。鋭い斬撃を放ってくる。
自らの首筋に迫る軌道に、ディオンは剣をねじ込むと、そのまま、敵の刃の上に自らの刃を滑らせて接近。馬駆の間合いに踏み込む。
「そろそろ実力差を悟って、諦めたらいいと思うが……」
「このっ!」
怒声を上げ、馬駆もまた踏み込む。互いに接近したことで、両者、相手の間合いのさらに内。超至近距離で、鍔迫り合いの状況が生まれる。
「わからないな。火の一族の戦士たちは投降した。そして、蛇の手の者たちは、この地を離れたんだろう? 隠れ潜み、暗躍することこそが蛇の基本戦術ならば、君がこんなところで戦う理由なんかないんじゃない?」
ディオンは刃越しに馬駆の目を覗きこむ。
「まさか、本気で巫女姫に惚れてる、なんてこともないんだろう?」
対して馬駆は……思わずと言った様子で、苦笑いを浮かべた。と同時に、ディオンを蹴りつけ、反動を使って大きく後ろに下がる。
「惚れる、か。どうかな……」
彼は自らの手の内の剣の状態を確認してから、小さく首を振った。
「国に捨てられて心を折られ、蛇に憑かれた哀れな王女だ。一人ぐらい殉じてやる者がいなければ、哀れに過ぎるとは思わんか?」
「ふん。それが、狼を使わずに一人で戦う理由かい? 君個人の矜持での戦いに巻き込みたくないから、という……」
「我の個人的な感情に、狼たちを突き合わすわけにはいかぬゆえ」
馬駆が抱く気持ちが好意なのか、純然たる忠誠心であるのかは、ディオンにはわからなかった。ただ、滅びゆく主に殉じようという、その気持ちにはどこか共感できるものがあって……でも、なぜだろう……? ヴァレンティナが殺した少女のことが、先ほどから、脳裏に浮かんで離れなかった。
理由はまったくわからないが、彼女が討たれたということが、主であるミーアを討たれたのと同じように感じてしまって、なんだか無性に腹が立ち……。
「そうか……。まぁ、君の言い分はよくわかった。その気持ちはわからないでもないが――あいにくと君たちが何を考えているかなんて知ったことじゃあない」
ディオンは静かに剣を構えて、馬駆を睨みつける。
「あのお嬢ちゃんを殺しておいて……理想に殉じて綺麗に死のうなどと、虫の良いことは思わないことだ」
静かなディオンの声。そこには確かな感情があった。
それは怒り。
狼の矜持を軽々と踏みにじり、屈服させる、圧倒的なまでの強者の怒り。
刹那の踏み込みと同時に振るわれるのは、帝国最強が放つ至高の一撃。
それは、凄腕の戦士である馬駆にすら、反応を許さない絶対的な一撃。
それでも辛うじて……まさに間一髪で、馬駆は剣を上げ、刃で受け止める……受け止めた、はずだった。が、直後に響いたのは、硬質な物の割れる乾いた音。
ディオンの剛撃は、やすやすと馬駆の刃をへし折った。
「なっ……」
そのまま、流れるような動きでディオンは第二撃を繰り出す。
返す刃……の横腹で、馬駆の右肩を横に薙ぐ。
「ぐっぅっ……!」
真横に吹き飛ばされる馬駆。受け身を取り、起き上がろうとするも、その右腕に力はなく……。
「兄上!」
悲痛な声を上げて、駆け寄ってきたのは慧馬だった。それを横目に、ディオンは肩をすくめてみせた。
「昔、鋼鉄の槍の穂先を失ったどこかの猛者が、こん棒として使えば問題ない、みたいなことを言ってたが、確かにそうだね。剣とはいえど鉄の塊。刃のない部分とはいえ、殴りつければ骨も折れるか」
剣を鞘に収めながら、ディオンは言った。
「その腕ではしばらく剣は持てないだろう。無駄な抵抗はやめて、投降することだね。ああ……でも、そうだな」
ふと思いついたように、手を叩くと、ディオンは言った。
「もしも、君が自ら命を絶とうとするなら、僕が直々に巫女姫の首を斬り落とすことにしよう。君たちのお得意な人質というやつだね」
「それは、帝国の叡智に相応しからぬやり方だな」
「あくまでも、僕が個人的にすることだよ。それと、追加しておこうか。君の狼たちと馬もだ。誇り高き忠実なる戦士に殉じさせてあげるよ。君が綺麗に死ぬるだなんて、思わないことだ」
それから、ディオンは、静かな笑みを浮かべた。
「ひぃっ!」
なぜだか、兄の隣にいた慧馬のほうが、びくん、っと体をすくませていたが、それはさておき。
ディオンの言葉を聞いた馬駆は、静かに、そこに倒れこんだ。
ディオン・アライアの渾身の一撃は、馬駆のみならず、ギミマフィアスの心をも打った。
「……見事」
自身には、すでに振るえぬ圧倒的な一撃。
目の当たりにした老人の胸に過るのは刹那の憧憬。
生じた間隙は一瞬、されど……、
「どこを見ている!」
ゲイン・レムノは、その一瞬を見逃さなかった。
レムノの剣聖との戦いに、よそ見をする余裕などあろうはずもなく、必然的に彼の集中力は高まっていたというのは、もちろんある。けれど、それ以上に……弟に負けて以来、研鑽を続けた彼の執念が、その一撃を導いた。
踏み込み、と同時に狙うのは腕。
もとより金属鎧を切り裂くだけの技量も力もないことは、ゲイン自身がよくわかっている。
ゆえに、腕に全力の一撃を加え、剣を持つ力を奪う。
放たれた斬撃は、幾度となく繰り返したもの。それは寸分たがわぬ正確さで、老人の腕を打ち据え、その手から剣を叩き落とした。
「ぐむ……」
呻きつつ、一歩後ろに退くギミマフィアス。
そのまま剣を突き付けて、ゲインは顔をしかめる。
「よもや、卑怯とは言うまいな? 戦いの最中によそ見をした貴様が悪いのだ、我が師よ」
「いえ、見事にございます。ゲイン殿下。我がレムノ王国の明るい未来を見せつけられたような気がいたします」
「どうだかな……」
小さくつぶやき、ゲインは剣をおさめた。
……かくして、ここに蛇の拠点での戦いは終わった。
蛇の蒔いた悪意が、どのような形に決するのか、今の時点でわかる者は一人もいなかった。
「ふぅ……。やっと終わりましたわね……」
ミーアたちが塔から降りてくると、戦闘は、すでに終わっていた。
ゲインと戦っていたはずのギミマフィアスも剣をおさめ、ゲインのそばに控えていた。
そうして、すべてが終わった光景を眺めながら、ミーアは静かにつぶやいた。
「今回は、少し大変でしたわね。さすがに疲れましたわ……」
深々とため息を吐く。それから小さくパンッと手を叩き……。
「やはり、これは甘いものが必要ですわね。帰ったら、みんなでお茶会をしましょう。ラーニャさんにお願いして、あまぁい物を食べきれないぐらい用意するのですわ」
セントノエルでの至福の時に、ミーアは想いを馳せる。美味しいケーキにキノコ鍋、とても楽しみだ。
「食べ過ぎてもいいように運動もしなければなりませんわね。ひさしぶりにダンスもしたいですわ。ベルにもダンスをしっかり教えてあげないといけませんし。どうも、あの子は、いい加減なところがありますから、しっかりと教えこまなければなりませんわ」
「ミーア……」
「アベルも、ダンスのパートナー役で手伝ってもらえるかしら? ああ、それと勉強も。あの子、すぐサボりますから、何か甘いもので釣るのがいいかしら……。それに……それに……」
ぐにゃり……と、なぜだか、目の前が歪んだ。まるで、水の中に潜ったみたいに……。
「ベル……教えてあげたいこと……たくさん、ありましたのに……一緒に食べたいもの、もっとたくさん……たくさん……」
瞳にたまった熱い涙は、あっさりと決壊し、ミーアの頬を伝い落ちる。
ぽろり、ぽろり、と地面に落ちる涙は、止まることはなく……。
「どうして……ベル……うぅ」
次の瞬間……ミーアは抱きしめられていた。
左腕一本の不器用な抱擁。けれど、すがるように、ミーアはその少年の胸に顔をうずめる。
そうして、ミーアは、アベルの胸で泣いた。
人目をはばからず、ただただ、幼い子どものように泣いた。
それを咎める者は、ただの一人もいなかった。
その後のことは、すべてルードヴィッヒがしてくれた。
憔悴した様子のミーアを見た彼は、ミーアの世話をアンヌに任せ、テキパキと物事を処理していった。
ヴァレンティナの身柄は、ヴェールガ公国が預かることになった。
レムノ王国側は不本意だったろうけれど、各国にまたがる破壊工作にかかわっていたとなれば、強くは出られない。
一方で、火族の族長、火馬駆については、別の処分が待っていた……。
その日、連行されてきた彼に、ヴェールガ公爵令嬢、ラフィーナは重々しい口調で言った。
「火馬駆さん、単刀直入に言うわ。あなたには、蛇導士の討伐を担っていただきます」
「我に……か?」
「そう。仲間だったのだから、足取りを追うことは難しくないでしょう? あなたには仲間を狩っていただきます。ああ、もちろん、殺す必要はない。というか、殺さないで、捕縛して戻りなさい。あなたはこれから、誰をも殺すことを禁じます」
「ずいぶんと甘いことだな。聖女ラフィーナ。我が裏切ることは考えぬのか?」
「ええ。あなたが裏切れば巫女姫……ヴァレンティナさんを処刑しますから」
「人質、ということか……。ディオン・アライアのようだな。帝国の叡智の入れ知恵だとするなら、ずいぶんと相応しからぬやり方だと思うが」
馬駆の揶揄に、けれど、ラフィーナは首を傾げる。
「それはどうかしら? これが誰を納得させるための処置なのか、考えられないあなたではないと思うのだけど……。狼使い、あなたはそんなに愚鈍な人ではないでしょう?」
いつになく、ラフィーナの声は冷たい。
「私は甘い処分だと感じたけれど、仕方ないわ。ミーアさんの進言だし、それに、確かに有効でもある。あなたのような優秀な追跡者を使うことができれば、将来に残す禍根をできる限り排除することができる。それに、あなたやヴァレンティナさんを殺さない理由にもなる」
「自らと、自らの主君の罪を、自らの手で贖え、ということか……」
「いいえ、違うわ。人は自分の罪を自分では贖えない。人の罪は、人には贖えぬもの。それができるのは神のみ。神の前に悔い改める心がなければ、そこに赦しは与えられない」
聖女の言葉はどこまでも清く、容赦がなかった。
「だから、あなたにできるのは、ただの時間稼ぎ。主君が悔い改める機会を、できるだけ増やすための悪あがき。それすらも、私には温情が過ぎるように思えるけれど……」
「そうだな。我もそう思う。素直に、その温情に感謝しよう」
馬駆は、静かに頭を下げる。
それを見つめたまま、ラフィーナは重々しい声で言った。
「定期的に連絡をよこしなさい。それと、ヴェールガからの監視も付けますが、さすがに我が国にはあなたや、帝国のディオンさんのような腕利きはいない。だから監視者もあなたの責任で守りなさい。忠実なる蛇の剣士よ」
それに、無言のまま首肯して、馬駆はラフィーナの前を出て行った。