第二百二十七話 導の少女2~帝都の空に月は輝き~
※注)今日とっても切ない話です。
甲高く鋭い風切り音は、狙いを違えることなく……ベルの首筋を貫いた。
「あっ……」
ぐらり、とベルの体がバランスを崩した。そのまま、よろよろ、とシュトリナのそばに、ベルは倒れこんだ。
再度の風切り音。とどめの一矢は、けれど、ベルの体をとらえることはなかった。
間に立ち塞がるように割り込んだ少年、アベルの右腕に突き刺さったからだ。
「ぐっ……」
バランスを崩しつつ、その場に踏みとどまり、アベルは姉を睨みつける。
「姉上、なぜ……。なぜ、このようなことをっ!」
血を吐くような叫び声。その向かう先には、
「ああ、失敗。でもいいわ。目的は達したから」
弓を片手に持つ、ヴァレンティナの姿があった。その横合いからギミマフィアスが斬りこんだ。
「ああ、おひさしぶりね、師匠。相変わらずの、すごい太刀筋ね」
瞬時に弓を捨て、剣を抜くヴァレンティナ。間一髪でギミマフィアスの一撃を受け流す。
そのまま、ギミマフィアスと切り結びながら、ヴァレンティナは外に出る。
その後を追って、狼使い、さらに、アベルも礼拝堂の外に行く。
目まぐるしく展開する光景。ミーアは、ただ、それを呆然と見守ることしかできなかったが……。
「あっ、でぃ、ディオンさん、行って!」
駆け寄ってきたディオンが、硬い表情で言う。
「……行くのは構いませんがね。アベル王子殿下をお守りすればよろしいので? それとも、ギミマフィアス殿と協力して巫女姫を討ち取りますか? 確かに、狼使いはいい腕をしているから、ご老体には厳しいでしょうが……」
「……誰も死なせないようにして」
「姫さん、それは……アベル王子とギミマフィアス殿ですか? そこに狼使いを加えてもいいかもしれないが……まさか、あの女も含めてじゃないんでしょう?」
ディオンは、苦々しい顔で問う。
「そいつは、お人よしが過ぎるってもんじゃ……」
「お願い。ディオンさん」
その声は、小さく震えていた。
ディオンは、ミーアの顔を見ると、小さくため息を吐き、
「やれやれ……。納得はいかないが……まぁ、レムノの剣聖と剣を交える機会も、そうそうないか」
肩をすくめると、ディオンは礼拝堂を出て行った。
実際のところ、ミーアには特に深い考えがあったわけではなかった。
ただ、時間が欲しかった。頭を整理する時間が……。
今は……なにも考えられないと、わかっていたから。
「ベル……」
とぼとぼと歩み寄った先に彼女が倒れていた。
首に矢を受けた孫娘、ミーアベルが、床に倒れていた。
追撃の矢は受けなかった。けれど、最初の一矢で十分に致命傷であることは、見ただけですぐに分かった。
「ベル……ちゃん……。や……やだ。やだっ!」
ルードヴィッヒの手で拘束を解かれたシュトリナが、がむしゃらに這って、友だちのところへと向かった。力なく横たわる体に、抱きすがると、その手が、赤く染まっていく。
世界が、赤い色で塗りつぶされていく。
それは、いつかミーアが見た風景。
……赤い、燃えるような赤が、視界を埋め尽くしていた。
呪われた邪悪な礼拝堂、その生贄の台は、少女の鮮血で染まっていた。
荒れた床に倒れ伏し、ティアムーン帝国最後の皇女、ミーアベル・ルーナ・ティアムーンは、けれど……穏やかに笑みを浮かべていた。
幸せが、その心を満たしていた。
聞こえるのは優しい人たちの声、声、声。
ルードヴィッヒ先生がいた。アンヌお母さまがいた。
お友だちのリーナと、そして、尊敬するミーアお祖母さまがいた。
ずっと聞いていたいと思った、一緒にいたいと思っていた人たちの、温かい声。
夢のような最期の光景が、そこにあった。
だから、もう痛みはなかった。怖くもなかった。
息苦しさも消え……そして、世界は、いつしか黄金に染まっていた。
「ベル、ちゃん……?」
呆然とつぶやいたのは、シュトリナだった。
その手のひら、べったりとついた血が、突如として金色に輝きだしたからだ。輝きは血からベルの体へと移り、その全身を明々と輝きで満たした。
その、黄金の輝きに……ミーアは見覚えがあった。
――これは、ベルが現れた時と同じ……?
言葉もなく、ミーアはただ、その光景を見つめる。
「ごめんなさい。リーナちゃん。お別れの時が、来てしまったみたいです」
ベルの声が聞こえる。先ほどまで声も上げられなかったはずだったのに、その声はやけにはっきりと聞こえて。
それが逆に、その時が来たことをはっきりと感じさせた。
「ベルちゃん……うそ。やだ、そんなの……やだ!」
涙に濡れた声で、ベルに縋りつく、シュトリナ。その瞳からは、ぽろぽろ、ぽろぽろと、とめどなく、涙が零れ落ちていく。
ベルは、困ったように笑って、シュトリナの目元を指で拭ってから、
「ごめんなさい。リーナちゃん。いろいろ約束、守れなさそうです。えっと、ボクの秘密は、ミーアお姉さまに聞いてください。聞けばきっとわかるから。大丈夫。またきっと会えるから……。絶対にまた……。だから、大丈夫……」
安心させるように言って、それから、ベルはミーアのほうに目を向ける。
「ミーアお姉さま、今まで、ありがとうございました。こんなことになってしまって……ごめんなさい」
そっと頭を下げて、
「リンシャさんにも、お礼を言っておいてください。それに、エリス母さまにも、ミーアお姉さまのお父さまにも、シオン王子にもキースウッドさんにも……」
「ベル……」
その輝きが、さらに強さを増していく。気付けば、ベルの体は、端のほうから徐々に、光の粒子に変わっていって。なぜだろう、ミーアには、その姿がジワリと滲んで見えて……。
そんなミーアに目を向けて、ベルは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ミーアお祖母さま……サボらないで、ちゃんとボクのお母さまのこと、産んでくださいね。アベルお祖父さまと仲良くしないと、駄目ですよ? ボクの、お母さまは八人の子どもたちの中の……」
直後、パッと……。光が小さく瞬いて……。
ベルの姿は散って消えた。
嘘のように、なんの痕跡も残すことなく……消えてしまって。
それは、まるで夢の終わりのように……。
幸せな夢の終わりのように……。
ただ、小さな馬のお守りだけが、ぽつんと、その場に残っていて……。
それは、まどろみの中、ベルが見た光景。
瞬きを一つ。
そこは、破壊され、瓦礫で埋もれた帝都。
空一面を覆うのは、憎悪の暗雲。渦巻く復讐の連鎖が、大空を黒く染め上げた世界。
そこは、蛇の世界。破壊と混沌の世界。
その光景を見て、ベルは思う。
――やっぱり……あれは夢だったのかな……。そうだよね……。あんなふうに優しい世界があるはずなんかないんだ。あれは、夢。ボクが誇りを失わなかったから、死ぬ前に、神さまが見せてくれた夢だったんだ……。
諦めと失意に、ベルが、そっと瞳を閉ざそうとした、その刹那……、どこかで声が聞こえた。
懐かしい、あの声が……。
「あなたの夢は、わたくしが終わらせませんわ」
それは、ベルがずっと胸に抱き続けていた誇り。
帝国の叡智の、尊敬する祖母の……敬愛するミーアお姉さまの声で……。
瞬きを、もう一つ。
刹那、世界は一変する。
空をかけるは、波紋のような衝撃。
巨大な波に流されて、見る間に憎悪の黒雲が散っていく。
覆いつくす闇が一掃された空に、燦然と輝くは月。
夜の闇を切り裂いて、その存在を誇示する力強き輝きは、世界のことごとくを黄金の色に燃え上がらせる。
崩れ去る瓦礫の帝都。すべては黄金の輝きと化し、その姿を変えていく。
それは、まるで夢のように。
辛かったこの世界すらもまた夢であったかのように。
瞬きを、再び一つ。
そうしてベルが見た風景……それは。




