第二百二十四話 失礼な親近感
本来、固く閉ざされているはずの城門は開け放たれていた。
一行は、ディオンとギミマフィアスを先頭にして、城内へ。
幸い、どこかから矢を射かけられるということはなかった。
「罠でも仕掛けられているかもしれませんから、不用意に辺りに手を触れないようにお願いしますよ」
ディオンの言葉に、神妙に頷くミーア。
ちなみに、不用意に触るなと言われると、ついつい触りたくなる……などという悪癖を、ミーアは持ち合わせてはいない。むしろ、おっかなびっくり、手を引っ込めて足元に細心の注意を払う。
踏み込んだ床が沈んで、なにがしかの罠が発動したりしないか? 頭上から断頭台の刃が降ってこないか? そんな感じで、警戒心を最大レベルまで高めつつ、進む。
そして、もちろん!
「ベル、わかっていると思いますけれど、不用意になにかに触れてはいけませんわよ?」
好奇心旺盛な孫娘への注意も怠らない。祖母の鑑と言えるだろう。
城門を潜り抜けると、前方に先ほど見た塔と居館が並んでいるのが見えた。そして右側手前に、問題の礼拝堂と思しき建物が見えた。
あくまでも思しき、である。なぜなら、その屋根に掲げられているのは、聖なる象徴ではなく、羽を広げた不気味な怪物の像だったからだ。
建物全体の形も、中央正教会のものとは微妙に形が違っている。
入口のところでは、こちらを威嚇するように、二匹の怪物像が睨みつけていた。
「これは、邪神の使いの悪魔というものかしら?」
その辺りのことは、さほど詳しくないミーアである。ここにラフィーナがいてくれれば、いろいろと詳しい解説が聞けるかもしれないが……。
「どうやら、そのようですね。この建物は、邪神を崇拝していた一派が建てた城ということになるでしょう」
ルードヴィッヒの言に頷き、ディオンは改めて礼拝堂を見た。
「さて……それじゃあ、囚われの姫を助けに行くとしましょうか」
小さくつぶやき、ディオンがギミマフィアスのほうに目を向けた。
「それで、どちらが先陣を切りましょうかね?」
「ふふふ。老兵を気遣っていただき、かたじけない」
ギミマフィアスは、静かに剣を引き抜き、両手で握りしめ……。
「では、僭越ながら、吾輩が一番槍の名誉に預からせていただきまする。いざっ!」
剛剣一閃! 礼拝堂の扉を跡形もなく吹き飛ばした。
もうもうと、舞い上がる埃を切り裂き、一同は中に足を踏み入れた。
建物は、縦長の作りだった。
礼拝堂の前方には、半ば崩れかけた邪神の像が室内を見下ろしていた。
まったく手入れがされず、ボロボロの像を見るに、やはり蛇は邪神を信仰することはないらしい。
不気味な像は、それだけではなかった。礼拝堂の両側、揺れる松明に照らされるのは、礼拝堂を取り囲むようにして立ち並ぶ、無数の像だった。
像の不気味な視線は、礼拝堂の中央、やや前方に集まっていた。
そして、その視線の先……大きな食卓のようになっているところに、一人の少女が横たわっているのが見えた。
「あれは……」
目を凝らす、と、徐々にその姿がはっきりしてくる。
間違いない。それは、攫われたシュトリナだった。
囚人が着せられるような貫頭衣に身を包んだシュトリナ。両手両足を大の字に広げ、太い縄で縛り付けられたその姿は、実に痛々しく見えて……。
「リーナちゃんっ!」
ベルの悲痛な声が響く。
けれど、それが聞こえなかったはずはないのに……シュトリナはピクリとも動かなかった。そのことに、青くなりかけるミーア、であったのだが……。
「う……んぅ……」
直後、かすかに呻きつつ、シュトリナが身じろぎする。縛られているため、動きは制限されているものの、とりあえず、彼女が生きていることにミーアはホッと胸を撫でおろした。
「……酷い」
シュトリナの悲惨な格好に、ベルが口元を覆う。そして、そのベルの感想にミーアも概ね賛成であった。あったのだが……直後、ミーアは気付く。
冷静にシュトリナの顔を見て……二の腕を見てっ!
――ふむ……毒を飲まされたということでしたから、顔色は優れませんけれど、そこまで頬がこけたという感じでもありませんし、いえ、むしろ……。
……ミーアは特に理由もないが、いや、本当に特に理由はないのだが……シュトリナに少々の親近感を覚えた。失礼な話である!
――そう言えば、リーナさんのお父さまのローレンツ卿は恰幅の良い方でしたし……。牢屋に入れられていたとなれば、運動不足になるのは必定。ならば、この件が終わった後で、ゆっくり乗馬にでもお誘いしてみましょうか。
そうして、静かに気合を入れる。絶対に、無事にシュトリナを助けなければならない。
そのためには、まず、毒を飲まされたという彼女の手当てをしなければならないのだが……。十中八九、その前に敵が仕掛けてくるはず。
敵は、ここに、自分たちを呼び寄せた。それで、いったい、何をするつもりなのか?
疑問に首を傾げかけた刹那、
「ようこそ。ミーア・ルーナ・ティアムーン姫殿下。歓迎しますよ」
礼拝堂の中に、声が響いた。
声は奇妙に室内に反響し、どこから聞こえるのかが、よくわからなかった。
「さぁ、早く、毒によって眠りについた、哀れな姫君を、助けたらいかが?」
まるで、自身を探すミーアたちを嘲笑うかのように、声は、歌うように響いた。
それは、まるで邪神への賛美の歌のように、美しく、不吉な声音に、ミーアには聞こえた。




