第二百十六話 蛇とはなにか?
ヴァレンティナとのお茶会は、翌日も持たれた。
前日のお茶会ではすっかりペースを握られてしまったシュトリナだったが、この日は一転、攻勢に出る。
「潰す方法がわからないというなら教えてください。混沌の蛇とはなにか……」
上目遣いに見つめつつ、そっと紅茶を口にする。毒……の味はしない。
さすがに、ここから毒を使ってどうこうということはしないだろうと、ある程度、確信を持っているシュトリナであった。
「あら、知ってどうするの?」
口元に笑みを浮かべるヴァレンティナに、シュトリナは勝気な笑みで答える。
「決まっているでしょう。潰す方法を考えるんです。相手の正体がわかってさえいれば、対処することは可能ですから」
その言葉に、まるで、困った子どもに向けるような目を向けて、ヴァレンティナは答える。
「貴女のお得意の毒のように、かしら? ずいぶんとお詳しいのでしょう? 大切なお友だちを殺せるほどに」
「ええ。大切な人たちを守れるほどには……」
その答えに、ヴァレンティナはわずかばかりに驚いた様子だった。
「あら、それはもうあなたの傷ではないのね。ふふふ、まぁいいわ。知りたいならば、教えてあげましょう」
気を取り直した様子で紅茶に口を付け……。
「でも、あなたのお父さまも知っていることよ?」
「え…………?」
きょとん、と瞳を瞬かせるシュトリナに、巫女姫は満面の笑みを向ける。
「ローレンツ・エトワ・イエロームーン公爵、彼は、混沌の蛇がなにかを知っていた、と言っているの」
「え? うそ……。だって、お父さまは、なにも……」
混乱した様子で、瞳を揺らすシュトリナに、ヴァレンティナはからかうような口調で、
「あらあら? もしかして、教えてもらったこと、なかったのかしら?」
からかうように笑ってから、一転、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「ふふふ。可愛らしい。よっぽどお父さまのこと大好きなのね?」
「なっ……! そんなこと……は……」
シュトリナは、頬が熱くなるのを感じる。またしても翻弄されていると、思わず唇を噛みしめる。ペースをつかむつもりが、場を支配するのは、またしても巫女姫だ。
悔しくて、うつむくシュトリナに、思いのほか柔らかな声がかけられる。
「ふふ、別に、照れることはないわ。それはとても素敵なことじゃない。とても、うらやましいわ」
その声に、含まれる微妙な温かさに、シュトリナはさらに混乱する。それは、まるで、本気で……うらやましいと思っているような……口調に聞こえたから。
「うらやましい? そんな適当なことを……」
「あら? 本当よ? あなたの持っているものは、私が持っていないものだもの。うらやましいと感じても、なんの不思議もないと思うけど……」
ヴァレンティナは、自嘲するように笑って肩をすくめた。
「なにしろ、私は、父か、あるいは父に近しい者に殺されそうになったんだもの」
「え……?」
唐突な告白に、ギョッとするシュトリナだったが、ヴァレンティナはすぐに首を振った。
「まぁ、私のことはどうでもいいわね。話を戻しましょうか。別にからかおうとしたのでも、偽りを言ったのでもないわ。ローレンツ・エトワ・イエロームーン卿は、確かに、混沌の蛇が何であるのか知っている。少なくとも、バルバラさんは、そう思っていた。ふふ」
と、そこで、ヴァレンティナは笑った。
「そんな嫌そうな顔はしないであげて。ずいぶんと意地悪をされたと思うけれど、あの人にはあの人の事情があった。貴族を恨むに足る理由があったのだから――なぁんてことを聞くと、たぶんあなたは考えるでしょうね。巫女姫のお姉さんは、混乱させようとしている。蛇にも蛇になるだけの事情がある、なんて知ったら、同情もするでしょうし、感情が揺れてしまうから……」
仮に、そんなことをまったく思っていなかったとしても、一度、そう意識してしまったら、もう記憶から消すことはできない。
きっと、こうして話をしていること自体、こちらの心を掌握するためにやっている……そうは思っても、シュトリナは耳を塞ぐことはできなかった。
「さて、それはさておき、ローレンツ卿が混沌の蛇の正体に気付いたとしても、別に不思議なことではない、と私は思うの」
ヴァレンティナは意味深に笑って、静かに告げる。
「だって、最弱のイエロームーンとは、まさに、蛇の理屈に基づいて作り出された存在だから」
「それは……どういう意味ですか?」
かすれるようなつぶやきを聞き流し、ヴァレンティナは言った。
「では、なぜ、ローレンツ卿は教えなかったのか? あなたにも、ミーア・ルーナ・ティアムーンにも、ね。その答えは、とても簡単。それを知らせてしまうと、きっとあなたたちは絶望してしまうから。倒せるだなんて言っていたけれど、そんなことは不可能だって……ローレンツ卿はちゃんと知っていたのよ」
雄弁に語る巫女姫を尻目に、シュトリナは目の前の紅茶を飲んだ。
腹が立つほどに美味しい紅茶をじっくり味わい、それから思い出す。
そうだ、ミーアはいつだって、紅茶と甘いお菓子をたしなむ余裕を失わなかった。あの、まるで何も考えていないかのような、能天気な顔を脳裏に浮かべつつ、シュトリナは改めて、ヴァレンティナと対峙する。
「お父さまがそう判断したとして、その判断が正しいとは限りません。だから、ぜひ教えてもらいたいです。そろそろ教えてもらえませんか? 本当に教えるつもりがあるのなら……」
あえて、呆れた顔を作って、シュトリナは言った。
「それとも、やっぱり教えてくれないつもり……」
「混沌の蛇とは、邪教徒にして、邪教徒にあらず。捨てられた一族にして、捨てられた一族にあらず。没落した貴族にして、没落した貴族にあらず。国に排斥された王女にして、王女にあらず……」
そらんじるように、そっと瞳を閉じて、ヴァレンティナは言った。それから、
「しかして、その実態は、その本体はなにか……?」
じらすように、優雅な仕草でティーカップに口を付けた。
唇を、華やかなハーブティーで湿らせてから……静かに告げる。
「混沌の蛇、それはね、ある特定の集団に感染する思想よ」