第二百十五話 ミーア姫、巧みに(相)槌を振るう
さて、慧馬の案内で、敵の拠点へ向かう途中、ミーアたちは火の一族の隠れ里に立ち寄った。慧馬によれば巫女姫が現在、拠点として使っている廃城は、里よりもさらに南下した先、ヴェールガとレムノの間に横たわる、深い森の中にあるという。
火の一族の隠れ里はちょうど進路の途中であり、休憩をとるには適した場所ではあったのだが……。それ以上に、ルードヴィッヒからの進言が大きかった。
「ぜひ、火の一族のみなさんに、協力していただくべきでしょう」
ルードヴィッヒの言にミーアは粛々と従う。
彼の言を一瞬たりとも疑ったりはしない。
シュトリナのことが心配で、一刻も早く助けに向かいたい! というベルをなだめたり、いきり立つ皇女専属近衛隊を止めることこそが、自らの仕事であると心得ているのだ。
「ルードヴィッヒの言うことに間違いはありませんわ。わたくしは、彼のことを信じておりますわ」
などと、すまし顔で言うのみだ。ミーアは、イエスと言うべき相手をきちんと心得た賢いイエスマンなのだ。
里につくや否や、ミーアたちを、明るい笑みを浮かべた村人たちが迎えた。
すでに、騎馬王国との話し合いが上手くいっていることは知らされていた。林族からの援助もすでに行き届き、村は緊張から解放され、一時の平和が訪れていた。
「ふむ、良かったですわね」
馬車の中から村人たちの様子を見て、わずかばかり表情を和らげるミーアであった。
「ミーアさま、今後のことを、少しご相談させていただいてもよろしいでしょうか?」
そんなミーアに、ルードヴィッヒが難しい顔で話しかけてきた。
「ええ。構いませんわ。早めに対策を練っておかなければなりませんものね」
ミーアとしても、これからどう行動するか、わかっていたほうが安堵できるので、この申し出には大賛成だった。
現状、シュトリナをどうやって救い出すのか、その策は定まっていない。当面は相手の言う通りにするしかないとは思っていたのだが……。
そんなミーアに、ルードヴィッヒは静かに告げた。
「慧馬嬢、そして、火の一族の女性たちには今回の騎馬王国との和解を手土産に、火の一族の戦士たちに帰順を呼び掛けていただきましょう」
眼鏡の位置を直しつつ、ルードヴィッヒは続ける。
「当初の予定通り、敵の戦力を削る。それが最善の一手と、私は考えます」
「ふむ……」
ミーアは、うなり声をあげ……ルードヴィッヒの隣に座る男、ディオンに視線を移した。
幸いなことに、というべきだろうか。この場にルードヴィッヒとディオンが揃っている以上、自分がなにか口をさしはさむのは控えるべきである、とミーアの常識が告げていた。
――下手なことは言えませんわね。ここは、当面、彼らの言葉に耳を傾けるべきですわ。
自らの分を知る賢人、ミーアは、一言も発することなく、ただ黙って、意味深に頷いて見せた。ルードヴィッヒは頷き返して、
「おわかりかと思いますが、巫女姫にそれを防ぐ手立てはないはずです」
「なるほど、確かにな。火の一族の戦士たちにとって、巫女姫と敵対する我々は敵。だが、火の一族の女たちは、そうではない、か」
ディオンの問いかけに、ルードヴィッヒは静かに頷く。
「いくら巫女姫であっても、火の一族の戦士に『火の一族の女性たちを殺せ』とは言えない。そして、彼女たちが騎馬王国との和解を告げれば、火の一族の男たちも聞かないわけにはいかない」
そうして、火の一族の戦士たちを、巫女姫から切り離すことができれば……巫女姫の周りには、ほとんど手勢がいなくなる。
「以前よりわかっていたことですが、蛇の手勢はそれほど多くない。というより、多くの手勢を持たないことこそ、蛇の強みではないかと私は考えています」
陰謀による秩序への攻撃こそ、蛇のやり方。直接的な軍を持つことは稀で、現在、巫女姫の周囲を固めているのは、利害が一致した戦士たちだ。その戦士たちにしても、現状は、族長に従っているだけであり、巫女姫に対しての忠誠はそれほどではないのではないか、というのが、ルードヴィッヒの考えだった。
「慧馬嬢にお聞きしたところによれば、蛇の理念に賛同した者たちは、みな村を出ていったと聞きます。蛇の教えを広めるために世界に出て行ったと……。サンクランドのエシャール殿下に接近したのも恐らくは……」
蛇の教えを説く蛇導士。蛇の理念に賛同した者がなるのはそれであり、巫女姫の護衛とは違う。蛇への情熱は、巫女姫を守るためではなく、蛇の教えを広めるためにこそ使うべき、ということだろう。
「ふむ……ふむむ」
ルードヴィッヒの言に頷き、ミーアは続きを促す。顎に手をやり、いかにも何かを考えてますよぅ、というアピールも欠かすことがない。
人が気持ちよく話すためには、聞き役の適切な相槌が大切なのだ。
今のミーアは一流の相槌打ちであった。
「ともかく『なにがなんでも巫女姫に従う』という者以外を分離させるのが良策と考えます。敵の数はできるだけ減らしておくべきでしょう」
それを聞き終えたミーアは、黙ったまま、ディオンのほうにも目を向ける。
「僕も同意見ですがね。まぁ、火の一族の女性たちを人質にするようで気は引けますが……」
「ふむ……」
もっともらしくうなり、ミーアは……シュシュっとルードヴィッヒに視線を戻した。そこんところ、どうなの? という疑問を視線に乗せて。
「人質という側面があるのは事実ですが……。恐らくは問題ないかと思います」
断言するルードヴィッヒに、ミーアは頷きを一つ返し、
「では、火の一族に協力を依頼しましょう。慧馬さんに、集めてもらいましょうか」
ルードヴィッヒがそう言うのだから、そうなのだ。
ミーアの、忠臣に対する信頼は厚い。
そうして、集まってきた村の者たちに、ルードヴィッヒは事情を説明し……その上でお願いをする。
「みなさんには、ぜひ、火の一族の方たちに、戻ってくるよう説得していただきたいのです」
その言葉に慧馬が返事をする……前に、村の女性たちが答える。
「もちろん、協力します。男衆を巫女姫のところから連れ戻すためですから」
火の一族の女たちは、まったく反対しなかった。
もともとは、戦士たちを取り戻してほしい、というのは彼女たちのお願いだったからだ。
その状況を整えたうえで、協力を求められれば当然ノーとは言わない。
人質の側面があろうがなかろうが、利用されていようがなかろうが、関係ない。
そこにあるのは、美しい利害の一致だった。
――なるほど。協力の最良の形は、自分が利益を独占することにあらず。互いに利益を得る形を作ること。それを作るために、クソ眼鏡はずいぶんと苦労してましたものね。
帝国末期、ルードヴィッヒは食料を得るために苦慮していた。相手にとっての利益を提示することが、すでに帝国では難しかったからだ。
結局のところ切れたのは空手形のみで、それだってまともに受け入れてくれる者はほとんどいなかった。
――今回の協力要請は、彼女たちとの利害が一致している。だから、すんなりと受け入れてもらえる、と、そういうことですわね。
おそらくは、出て行った男たちを連れ戻そうという働きかけは、今までにも行われていたのだろう。けれど、それが実を結ぶことはなかった。村に戻ってどうなるというのか? そう言いたくなるような状況が、火の一族全体を覆っていたからだ。
けれど、状況は変わった。
騎馬王国と再び、ともに歩むのであれば、村に戻ることは魅力的な選択肢になるだろう。
感情的に納得いかないという者もいるかもしれないが、その説得の役割は、女たちが担ってくれるだろう。
「ふむ……。これで、とりあえずは、敵の戦力を大幅に削ることができる、ということですわね」
「はい。ミーアさまが、馬合わせを提案された時には、どうなることかと思いましたが……。さすがですね。ミーアさま。これで、大規模な武力衝突は回避できるように思います」
素直な称賛の言葉ではあったが……ミーアは、なにやら嫌な予感がしていた。
「このまま、大人しく分断できればいいのですけど……。いや、それはそれで、気味が悪いかもしれませんわね」
相手は、蛇の巫女姫である。
油断せずに、ことを進めなければ、と気持ちを切り替えつつ……、ミーアは目の前に置かれていたクッキーを口に放り込むのだった。
今週はミーアの出番が少なめです。