第二百十一話 ダレかの薫陶を受けて
「ミーア姫、我に用事とはなんだろうか?」
やってきた慧馬は、室内の面々を見て、わずかばかり緊張した様子だった。
そこにいたのは、ミーアとアンヌとルードヴィッヒ、それに、ディオン・アライアだったからだ!
にっこり笑みを浮かべるディオンのほうに、まったく視線を向けず、ぎくしゃくとミーアのほうに向かってくる慧馬である。
そんな慧馬を、自然にテーブルのほうに誘導し……、それからミーアは無言でクッキーを勧める。駆け付け三枚。これがミーア式接待術の基本だ。
甘いものを勧められて敵対的になる人はいないからだ(……ミーアの中では)
そうして、十分に相手の心を懐柔したうえで。
「実はお願いしたいことがございますの」
ミーアは、慧馬の目を見つめて、おもむろに切り出した。
「単刀直入に言いますけれど、あなたのお兄さんと、巫女姫さまの居場所をわたくしたちに教えていただきたいのですわ」
「……それはどういう意味だ?」
眉根を寄せる慧馬に、ミーアはゆっくりと続ける。
「シュトリナさんが行方不明になっていることは、ご存知ですわよね?」
「ああ、無論だ。我らも仲間を呼んで、捜索に加わろうと思っていたところだ。ミーア姫には、とても世話になったからな」
腕組みしつつ、頷く慧馬。
「それで、シュトリナさんを連れ去った者として、わたくしたちは、蛇の巫女姫のことを疑っておりますの」
ぴくり、と慧馬の肩が震えた。
一瞬「兄を愚弄するな!」と怒り出すのではないか、と不安になるミーアだったが……、幸いなことに、慧馬は落ち着いていた。
「なるほど……。だから、我に巫女姫と兄の居場所を聞こうということか……」
瞳を閉じて、じっと何事か考え込むように黙る。
それから、息を大きく吸って……吐いて。
「ミーア姫……。よくぞ、我を頼ってくれた」
感動に、打ち震える声で言った!
その反応に若干面食らうも、とりあえず、気を悪くした風もない慧馬に、ミーアも一安心……だったはず、なのだが……。
「これで、決心がついた。我は、兄と決別しよう」
「…………はぇ?」
唐突な慧馬の宣言に、ミーアは思わず不意を突かれる。
――兄と、決別……? はて……?
きょとーんと首を傾げつつ、ミーアは言った。
「いえ、えーっと、そのようなことは、わたくしは……」
「兄とミーア姫が相容れることはないだろう。どちらかにつくということであれば、我は、友であるミーア姫につく」
……誰の薫陶を受けたものかは、まったく定かではないが、慧馬の宣言は、たいそう重たいものだった。
そのパワフルな宣言の余波を受け、ミーアは思わずクラッとする。
なるほど、確かに、ミーアは頼れる友人を求めている。
いざという時に助けてくれる人脈はとても貴重なもの。だから、自分の味方をしてくれるという相手に対しては、ありがたいと思うはず……なのだが、それはそれとして、この発言は少々……重い。
――肉親と釣り合うだけのなにかを、わたくしが返せるとは思いませんし……。
ミーアは難しい顔で、ぐむっとうなる。
「ちなみに、慧馬さん、ご両親とか、お兄さん以外の肉親の方は……」
「蛍雷と羽透だけだ」
「蛍雷……は、あの馬ですわね。羽透というのは……」
「我の戦狼の名前だ」
「なるほど……」
つまりは、兄一人、妹一人の二人兄妹だということだ!
――た、たった一人の肉親ではありませんの……。これは、あまりにも重いですわ……。
同じクッキーを分け合えば、みーんな友だち! みたいなノリの慧馬はいったい、どこに行ってしまったのか……。なぜ、こんな重たい決意を固めているのか、ミーアはしきりに首をひねる。
それから、気持ちを切り替えて、やわらかくて、とぉっても優しい笑みを浮かべる。
「それは……いけませんわ。そのようなことを軽々と口に出すものではありませんわ」
「いや、しかし……」
「お兄さまは、あなたにとって大切な方のはず。であれば、そう簡単に諦めるべきではありませんわ」
反論を許さぬ口調で、ミーアは言った。
「そう簡単に決別するだなんて……言うべきではない。けれど、同じように、わたくしたちにとって、リーナさんは大切な方。だから、どうしても助け出したいと、そう考えていますわ」
そうして、ミーアはグッと手を握る。
「協力してほしい。けれど、あなたがお兄さんと決裂するのを見たくない……。わたくしの、このわがままに、応えていただけるかしら?」
こう……なんというか、ほどほどで良いのだ。ほどほどで。
今回に関しては、情報さえもらえればそれで良い。そもそも、シュトリナが本当に誘拐されたのかどうかはわからないわけだし……。
「そうか……。わかった。短絡的にならぬよう、肝に銘じておこう」
慧馬は、神妙な面持ちでそう頷いてから、
「貴女と友誼を結べたこと、我は誇りに思う」
どこか、感動した口調で、そんなことを言った。
そうして、救出作戦が話し合われていた、まさにその時のことだった。
ノックの音と同時に、見張りに立っていた近衛が入ってきた。
「失礼いたします。ミーアさま……このようなものが届けられたのですが……」
応対に出たルードヴィッヒは、直後、表情を変え、急ぎミーアのもとに戻ってきた。
その手には、小さな小箱があった。
「ミーアさま、これを……」
「……? はて、なにかしら?」
首を傾げるミーアだったが、中身を確認して、すぐに顔色を変える。
「すまないけれど、ベルを呼んできていただけるかしら?」
やがて、やってきたベルに、ミーアは、中身を黙って差し出した。
それを見た瞬間、ベルは悲痛な声を上げた。
「これっ! リーナちゃんの……」
ベルの小さな手に乗せられたもの……それはベル自身の手で作られ、シュトリナにプレゼントされたもの。
シュトリナがどんな時にも手放さない、彼女の宝物。
小さな馬のお守りだった。