表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
591/1401

第二百九話 巫女姫とシュトリナ

 深い森の奥。忘れ去られた廃城、蛇の拠点にて。

 蛇の巫女姫、ヴァレンティナ・レムノのもとに、その日、珍しい客人が訪ねてきた。

 ちょうど、テーブルでお茶を楽しんでいたヴァレンティナはやってきた男、火燻狼(かくんろう)に優しげな笑みを浮かべた。

「お久しぶりね。燻狼。まさか帰ってきてくれるとは思ってなかったから、驚いたわ」

「おや、巫女姫さま、それは、あんまりな言いよう。ここは、あなたの家、いつでも帰ってきていいのだと、そう温かく送り出してくれたあなたは、どこへ行かれてしまったのです?」

「ふふふ。相変わらず、愉快な記憶違いね。燻狼。あなたを送り出したのは、火の一族の里でしょうに……。もちろん歓迎はしますよ……だけど」

 と、ヴァレンティナは、その目を燻狼の隣へと移す。

「駄目よ? 女の子にそんなひどいことをしたら……」

 視線の先、そこには、椅子に座らされた一人の少女の姿があった。

愛らしい蜂蜜色の髪の少女、帝国四大公爵家が一つ、イエロームーン家の令嬢、シュトリナ・エトワ・イエロームーンは、華奢な両腕を、後ろ手に縛られて、身動きを封じられた。もぞもぞと、居心地悪そうに身をよじるシュトリナ。その口から声が出ることはなかった。

 口には痛々しくさるぐつわが噛まされ、その目には目隠しが巻かれていたからだ。

「そんな風にいじめたら可哀そうよ」

 咎めるように言うヴァレンティナに、燻狼は、実に嫌そうな顔をした。

「やめてくれませんかねぇ。ジェムやバルバラと一緒にされたらかなわない。あの二人なら、腹いせに乱暴に扱うんでしょうが、俺は別に、意地悪でやってるわけじゃないですよ? 舌でも噛まれたら、面倒だと思ったんでね」

「その心配はないでしょう。その子は、自分が死んだら、ミーア姫殿下が困ったことになるって、ちゃんとわきまえているでしょう」

 そう言われ、燻狼は怪訝そうに首を傾げる。

「そうですかね? でも、このお嬢ちゃん、食う物も食べないし、水も無理やり飲まさないとダメだったぐらいですぜ? てっきり世を儚んで死のうとしてるものとばかり……」

 その言葉を証明するかのように、シュトリナの寝巻の襟首には、わずかにシミができていた。

「まだまだ、人の心の把握が甘いわね。それは、あなたに毒を盛られると思ったからではないかしら? おおかた、彼女の意識を奪うのに怪しげな薬でも使ったのでしょう」

 呆れた様子でため息を吐いて、ヴァレンティナは静かに立ち上がる。その拍子に、長い黒髪が、しゃなり、と美しく揺れた。

 そのまま彼女は椅子に座らされたシュトリナのそばに立つと、かがみこみ、丁寧な手つきで、口に噛ませてあった布紐を外す。

 苦しかったのか、ぷは、っと小さく息を吐くシュトリナ。

次いで目隠しを外すと、長く目を塞がれていたからだろうか。まぶしそうに、目を細めた後、シュトリナはあたりを見回しつつ、眉間にしわを寄せた。

「ここ……は?」

 けほ、っと、せき込んでから、かすれた声で言う。

「ここはね、混沌の蛇の拠点の一つ。レムノ王国からあまり離れていない場所にある、森の奥深く。廃城を利用しているの」

 すらすらと、歌うように言ってから、巫女姫ヴァレンティナは、華やかな笑みを浮かべる。

「そして、私はヴァレンティナ。ヴァレンティナ・レムノ。蛇の巫女姫のヴァレンティナよ」

「……ぇ?」

 ぼんやりと話を聞いていたシュトリナだったが、直後、その言葉の意味を理解したのか、瞳を大きく見開いた。

「あーあ……。せっかく、目隠ししてきたのに、そんなに話しちまったら、生かして帰せないでしょうに」

 こともなげに肩をすくめる燻狼に、ヴァレンティナは首を振った。

「だから、ご令嬢を脅かすようなことを言ってはだめよ。燻狼。せっかくあなたが生かして捕らえてきたのだから、もちろん無駄に殺すようなことはしないわよ」

 っと、優しい口調でそう言ってから、ヴァレンティナはシュトリナのほうを見つめた。

「ちゃんと生きたまま、有効に使わせてもらうわ。いいことを思いついたから……あら?」

 そこで、ヴァレンティナは何かに気付いたのか、シュトリナの細い首筋に指を伝わせた。びくん、っと震えるシュトリナの、首にかかった細い紐……それを指先に引っ掛けるようにしてつまみ上げる。

「あら……これは」

「あっ……」

 シュトリナの小さな声。無視して、するする、と紐を引いていくと、その襟首から現れたものは……。

 小さな馬のお守り(トローヤ)だった。

「ふふふ、まぁまぁ。蛇を裏切ったとは思えないぐらい可愛らしい趣味ね」

 ぷつん……と紐を引きちぎり、ヴァレンティナは、手の中の馬のお守りをもてあそぶ。

「あ、だめ。返して……ください」

 慌てた様子で言うシュトリナに、ヴァレンティナは楽しそうに笑いかける。

「ふふふ、だーめ」

 まるで、子どもをからかうような気安い口調で、馬のお守りを揺らしてから、

「これは、貴女の心の支えになりそうだから、返さない。だって、たぶんこれがあると、あなたの心を…………へし折れないでしょう?」

 上目遣いにシュトリナを見つめる。その目つきは、冷たい蛇のようだった。

 けれど、それもすぐに変わる。その目はすぐに悪戯っ子のような、無邪気なものへと変わって。

「ふふふ、なぁんてね。冗談よ。これを返さないのはね、これを送って、あの子を呼び出そうと思ってるから」

「あの子……?」

「決まってるでしょう。帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンを、よ」

 それから、ヴァレンティナは、馬のお守りを、燻狼に渡してから、

「準備が整うまでは、あなたには、ここにいてもらうことになるわ。あ、そういえば、あなた一人で着替えたり、身の回りのこと、できるかしら? 粗野な方でよければ、誰か身の回りの世話につけることもできるけれど……」

 そう言って、ヴァレンティナは燻狼のほうに目を向ける。それに気付いて、シュトリナはブンブンと慌てた様子で首を振った。

 その、かすかに青ざめて、怯え切ったような顔を見つめてから、ヴァレンティナは、シュトリナの頬に手を伸ばした。

 そっと労わるように、彼女の頬を手のひらで撫でて……、

「怯えた顔もとっても可愛らしいけれど……ふふふ。でも、それ、半分は演技、よね?」 

 真正面から、シュトリナの目を覗き込む。

「さっき、目隠しをされて猿ぐつわを噛まされていた時にも、私たちの会話にきちんと耳を傾けていた。どうやって情報を引き出して、自分に有利な状況を作ろうか、きちんと考えてたでしょう? おおかた、今も監視をつけられずに済む、とかそういったことを考えているのじゃないかしら? 怯えた態度で油断を誘おうとしているのよね?」

 瞬間、すとんっとシュトリナの表情が消えた。けれど、すぐに、その顔は笑顔に変わる。愛らしい、野に咲く花のように可憐な笑みだった。

「なんでもお見通しなんですね。巫女姫さま。人の心を読めるという噂は本当なんですか? それに、お名前からすると、レムノ王国の王族の方……それとも、そうリーナに思わせたいのかしら?」

 上目遣いに、探るように見つめてくる。

「あらあら、さすがは、かのイエロームーン家の星持ち公爵令嬢。心が強いのね」

 ヴァレンティナは、ぱちぱちと拍手をしながら笑った。

「そうね。名を偽っているならば、あなたにとっては好都合でしょう。それは、あなたに偽りの情報をミーア姫のところに持って帰らせよう、ということになるでしょうし。でも、残念。私は正真正銘、レムノ王国の第一王女、ヴァレンティナ・レムノよ」

「それをリーナに明かすことに、なにか意味があるのですか?」

 きょとりん、と可愛らしく首を傾げるシュトリナ。

「それを教えてあげてもいいけれど……。そうね。せっかくゆっくり話をするなら、お茶会をしましょうか。慧馬さんとしようと思っていたのだけど、あなたとも一度じっくりとお話ししたいと思っていたのよ」

 ヴァレンティナは、いたずらっぽくウインクして、

「ここには、粗野な人しかいないから、お茶飲み相手に飢えてるのよ。もしも、付き合ってくれたら、なんでも教えてあげるわよ」

「ふふふ、わかりました。まさか、巫女姫さまにお誘いいただけるなんて、すごく光栄です」

 そうして、シュトリナは可憐な笑みを浮かべる。完璧な、誰からも愛される少女の笑み。そんなシュトリナに、ヴァレンティナは、満面の笑みのまま顔を寄せて、その小さな耳元で……囁く。

「でもね、その前に……」

 シュトリナの体が、かすかに緊張に強張るのが分かった。それを確認してから、ヴァレンティナはからかうように、ゆっくりとした口調で言った。

「お風呂に入るのが先ね。あなた、少し汗臭いわよ?」

「なっ……!?」

 思わぬ指摘に、シュトリナの顔が、ひくっとひきつる。直後、その頬が、ほのかに赤く染まる。それは羞恥と怒りに彩られた、むき出しの少女の感情。

 シュトリナの”作ったような可憐な笑み”の奥にある素の心に届きうる足がかり。

 まるで蛇のように、音もなく、ヴァレンティナは、そこに踏み込む。

「そんなのではお友だちにも嫌われてしまうわよ?」

 その指摘に、けれど、シュトリナは堂々と首を振った。

「そんなことない。ベルちゃんはこんなぐらいで、リーナのこと嫌いになったりは……あ……」

 顔を上げ、ヴァレンティナを睨みつけるシュトリナ。けれど、直後に、その顔に焦りの色が広がる。なぜなら、

「ふふふ、そう。ベルちゃんていうの。そのお友だち、とっても大切な子なのね? もしかして、あの馬のお守りを作ったのもその子なのかしら?」

「……っ!」

 シュトリナは、唇を噛み、黙る。ヴァレンティナと目を合わさないように、そっとうつむいた。

「あはは。愛らしいほどに賢明ね。これ以上、情報を漏らさないように黙るのは、正しい。本当は、全然突かれても痛くないって態度が取れればなおよかったけど、それでも合格点ね」

 笑いながら、ヴァレンティナは、再びシュトリナの目を覗き込む。

「もっとも……蛇の巫女姫は、心を読めるかもしれないけど……?」

「…………」

 黙り込み、逃げるかのように目をギュッと閉じるシュトリナ。しばし、彼女を観察したヴァレンティナは、ゆっくりと立ち上がる。

「そう、そんなにそのお友だちが大切なのね。なるほど。あなたは蛇にはなれないわね。大切なものを後生大事に抱えていては、蛇にはなれないから」

 それから、ヴァレンティナは、歌うように言った。

「ああ、お茶会。とても楽しみ。たくさんお話をしましょうね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] うわ〜。女の化かし合いだ…こわ〜い。
[一言] リナとティナ。呼ばれても(音が近くて)聞き間違えそう(笑)
[一言] ヴァレンティナから滲み出る強キャラ感よ けどこの作品賢い人間の方がミーアを誤解し影響受けてる気がするし ヴァレンティナも案外すんなり陥落させられそうな気がするw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ