第二百六話 妄想の天馬に乗って!
ちなみに、馬合わせのコースは、
〇ゴール
〇野営地点チェックポイント
〇スタート地点
こんな感じでチェックポイント経由型のコースを想像していただけると……。
スタートからゴールまで直行したら先回りできるよ! ということで一つ……。
「ああ……よかった。一時はどうなることかと思ったが……」
慧馬に助け起こされる愛娘、小驪を見て、山 富馬は深々と安堵の息を吐いた。
「いやいや、大変な馬合わせになりましたな。富馬殿」
のんびりとした口調で話しかけてきたのは、馬合わせの結末を見守っていた、族長最年長の光馬だった。
「まさか、このような結果になろうとは。雨に、寒風。想定外のことが多い馬合わせであった」
「そう……ですな」
何事か考え込む様子の富馬に代わって、答えたのは、剛馬だった。
「あの雨がなければ、ミーア姫は勝てなかっただろう。それほどに落露は優れた馬だった。だが、結果はこうなった……」
随伴の騎手として、間近で勝負を見守った彼は、訳知り顔で開陳する……自らの、推測を!
「この勝利は、すべて、ミーア姫が積み上げてきた、細かな計算に基づくものだろう。初日、慣れない川原での勝負に誘導したことが、すべての始まりだった」
普通に平地を走られては圧倒的に不利。しかし、川原ならば、騎乗者の腕は問われるものの、箱入りの落露よりは、帝国の馬のほうが有利だった。
「小驪は地の利は自分にあると思っていたようだが、違ったのだ。あの時のミーア姫は、ひどく楽しそうな顔をしていたよ。まるで、自分の企みが上手くいった子どものような、無邪気な顔をな」
馬の競争は駆け引きだ。相手の力をいかに封じ、自分の馬の力をいかに引き出すか。その読みあいである。そして、自らの狙いが上手くいった時の楽しさを知らぬ者は騎馬王国にはいない。
「そして、川原での勝負で一杯食わされたせいで、小驪は冷静さを失った。結果的に、ミーア姫の、帝国の馬の特性を見誤って挑発に乗ったのだ。あの馬は速い馬ではないが、強い馬だった。たぶん、自身の群れが襲われた時、あの馬は、おそらく生き残るだろう。逃げ足が一番早くなくともしぶとく生き抜く、そんな図太さが感じられたからな。ああいう馬は、走る場所を選ばない」
東風に関する分析を、訳知り顔で語った後、剛馬は難しい顔で言った。
「だが、それでも差は埋まらなかっただろうが、二日目の、あの雨がなければな……」
雨により騎手である小驪の体は冷え切ってしまった。馬に乗り続けることが不可能なほどに。対して、ミーア姫はきちんと備えていた。
馬自体の特性もあったのだろう。帝国の馬の走りは、寒さにもまるで変わらなかった。
「そして、ミーア姫は一貫して無茶な走らせ方をしなかった。あの馬の特性を理解して、知り尽くしたうえで、最後の坂まで体力を温存させた」
……そうだっただろうか?
「雨でぬかるんだ坂道は余計に体力を使う。それを見越したうえで、馬を励ましながら堅実に進ませたんだ」
…………そうだっただろうか?
「一方で、落露は差を詰めるべく、無理をした。体力が削られて、最後の最後で走りに伸びを欠くことになったんだ。落露が万全の状態であれば、こうはならなかっただろう」
あるいは、この最後の坂道がぬかるんでいなければ、普通に走りやすい道であれば……。
あるいは、初日に無茶な攻めを行わず、落露の体力を温存しておけば……。
あるいは、雨に濡れ、焚火に当たる時間がなければ……。
いくつもの仮定。その一つでも実現していれば勝敗は違っていたのだろう。
二日間の馬合わせ、積み重なる不利な要素のすべてが、落露から走る力を奪っていたのだ。
それとは、反対に、東風は二日間、この最後の最後に至るまでずっと自分のペースを守り続けた。どのような事態にも対処できるよう、常に体力を温存した。
その結果が、馬合わせの勝敗に直結したのだ。
「なるほど。ミーア姫は、この天候まですべて見越してあの馬を選んだということか。天馬と言葉を交わすとの噂もあるが、あながち嘘ではないということか」
感心した様子の馬優に、
「あるいは、天馬を説得して天気を変えるぐらいのことはできるかもしれぬぞ」
大真面目な顔で、少々アレなことを言いだす剛馬。それに……、
「異国より来たりし、天馬の姫。我らに調和をもたらさん……」
最も分別を持つはずの最年長、風族の族長、光馬が乗る!
実にもっともらしい発言に、驚いた様子で問いかけるのは馬優だった。
「そのような言い伝えがあるのですか?」
「いいや、過去にはない。が、百年後にはそうしたものができているかもしれぬな」
穏やかな笑みを浮かべる光馬である。実に……実に! 楽しそうである。
「まぁ、いずれにせよ、雨という想定外も含めて、ミーア姫が言いたかったことなのだろうて」
「ん? どういう意味でしょう? 光馬老」
不思議そうに首を傾げた剛馬に、光馬はあくまでも静かな表情で答える。
「わからぬか。姫は、我ら騎馬王国の民が陥った高慢さを非難されているのだ。馬に貴賤はなし。姫が言ったという、その言葉を証明するような結果ではないか」
光馬は、まるでまぶしいものを見つめるように瞳を細めて、遠く、ミーア姫の乗る馬を見た。
「我らは月兎馬をはじめとする駿馬を貴いものと考える。されど、本来、馬はすべて天から授かりし宝なのだ。それに優劣をつけようなど、おこがましいことではないか」
「馬に貴賤はなし……か」
難しい顔で、呆然とつぶやく富馬に、光馬は語り掛ける。
「月兎馬には月兎馬の強さがあり、帝国の馬には帝国の馬の強さがある。それは、異なる特性であり、そこに優劣などない。ある状況においては、帝国の馬のほうが優れた結果を出すのだと、ミーア姫殿下は言っておられるのではないかな。我らが、我らの価値基準で、馬の優劣を論じるなど高慢なことと、そう言っているのではないか……そして」
と、そこで彼はそっと目を閉じて……。
「そして……狼を使う火の一族を受け入れられぬという我らの狭量さをも、おそらくは指摘したかったのであろうよ」
深々とため息を吐いた。
「光馬老、それは……」
「狼を使う者たちと、同じ道は歩めぬと……それは、そこまで絶対的なことであろうか? 我らの持つ価値観は、しきたりは……、血のつながりを、兄弟を、否定するほどに強固なものであろうか?」
老人の自問自答は静かで、されど、鋭い。
「ミーア姫は、馬合わせの結果を以てのみ、我らを説得しようとしているのではない、と、そういうことでしょうか?」
馬優の問いかけに、頷いて見せたのは、ミーアの走りを誰よりも間近で見た剛馬だった。
「なるほど。確かにな。あれだけ馬を熟知したミーア姫だ。もしも勝つだけが目的ならば、ここまで苦労して勝負をする必要がなかった。それを、あえて悪路に強く頑丈な、帝国の馬を選び、その馬が活躍するような走りをしたのだろう」
ミーアの走りを誰よりも間近で見ていたはずの剛馬は証言した。
「あれは紛れもなく馬を知り尽くした賢者の走りだった」
誰よりも間近で見ていたはずなのに…………断言した!
「しかしそれは雨が降らなければ、そもそも、その思惑は成り立たないではないか」
極めて常識的な異を唱える馬優にも、自信満々に首を振って見せる。
「だから、言っただろう。天馬に雨を降らせたのだと」
「天馬に……」
ミーア=天馬姫説が、にわかに真実味を帯びつつあった! 大変なことである!
「天馬を従える姫……天馬の姫か」
思い出されるのは、あの最後の坂の勝負だ。
まるで天馬に乗ったかのように、ぐんぐん上ってくるミーアと馬の姿。あれは、まさに天馬に乗る姫の姿で……。
「天馬を従える……異国の姫、か。なるほど、そうなのかもしれない」
こうして、冷静な知者……であるはずの馬優までもが……楽しい妄想に乗ってしまった!
かくて、騎馬王国の名だたる族長たちは、無邪気に妄想の天馬に乗って飛翔するのだった。