第百九十九話 ミーア姫、篭絡に失敗する……失敗する?
見事に馬パンで釣り上げた小驪を逃さぬよう、ミーアは一緒に食事をすることを提案。
すぐに小驪の手を引いて、近衛兵が用意した帝国鍋のほうへと誘う。
携帯用の馬形黒パンはとても固い。だから、スープなどに浸して食べるのが常だ。
帝国鍋の中で、ゆらゆら、スープに浸かりながら揺れている馬パンを見て、小驪は、ほわぁ、っと可愛らしい歓声を上げる。が、すぐに、顔を引き締める。
「ふ、ふん……。まぁまぁ、ですの。でも、鍋の中身が少し足りない、ですの」
それから、小驪は、自分の仮設幕屋に取って返すと、すぐに何かを持って帰ってきた。
「あら、それは……」
「チーズ、ですの。鍋に入れるとトロトロに溶けて、最高ですの」
「ほぅ……」
「それに、干し肉もありますの。これを刻んで入れると、チーズと絡んで実に濃厚なうま味が出ますの」
「ほうっ!」
小驪は手慣れた動作で、チーズの表面を削って、鍋の中に投入。干し肉も入れて、帝国鍋に絶妙な彩を添える。
すぐに香り立つのは、まろやかで、なんとも食欲をそそるチーズの香り、そのトローリとしたチーズの衣を身にまとい、美味しそうな干し肉がぷかぷか顔を出していた。
「おお……これは、素晴らしい! さすがは騎馬王国の食材ですわ。では、早速一口……」
ぐつぐつ煮立った鍋、小驪が提供してくれた干し肉を自らの取り皿に移して、ミーアはさっそく一口。
「ほふぅっ!」
口から、熱々の湯気がこぼれる。
とろりとしたチーズは、とっても熱かったから、やけどをしないように、と、ほふ、ほふっと息を吸う。
それがよかったのだろうか、口の中に濃厚な、チーズの風味が一気に広がった。まろやかな風味、さわやかな酸味、そこに干し肉の塩気の強い香ばしさが混ざる三重奏。
カリリッと固い干し肉を噛み締めれば、ジュジュワッと染み込んだスープが口の中に広がる。
「お、おお……これは、素晴らしい……」
後は……言葉はいらなかった。
ミーアと小驪は夢中で、食事に向かった。
お腹が減っていたからだろうか……。その味は、とても……とてーも! 美味しくて、たまらなく美味しくって……っ!
気付けば、鍋が空になっていた!
時間が飛んだような錯覚すら覚えてしまうミーアである。実に恐ろしいことである。
「ああ……なんだか、夢中で食べてしまいましたわ。うふふ、すっかりお腹いっぱいになってしまいましたわ。なかなか楽しかったですわよ、小驪さん」
上機嫌に言うと、不意に、小驪がプイっと顔を背けた。それから、
「なっ、馴れ合うつもりはないですの。ミーア姫は敵だ、ですの」
キッと睨んでくる小驪。対して、ミーアは、笑顔で受け止める。
そうして笑って誤魔化しつつ、反論を準備する!
「それは、違うのではないかしら?」
「なにが違う、ですの? 仲良く馬を並べて走らせるのが馬合わせだとでも? それは、馬合わせに対する侮辱ですの」
「いえ、そうではありませんわ」
ゆっくりと首を振りつつも、ミーアは、ここぞとばかりに持論を展開しにかかる!
「なるほど、馬合わせは互いの主張をぶつけ合うもの。それゆえに、本気でぶつかり合うことはわかりますわ。けれど……」
まず、相手の意見を自分がきっちりわかってますよぅ、というアピールだ。その上で、
「けれど、真剣勝負は、あくまでも馬合わせの中でのこと」
まず、戦いの終わりがいつなのか、を明確にしておく。”馬合わせが終わった時”それが戦いの終了地点。つまり、戦いはそこまでにしましょうという線引きをする。
そして勝負が終わればノーサイド。仲良くしましょうよ、とアピールするのだ。さらに、
「勝負自体も相手への敬意をきちんと持って争うべきですわ」
馬合わせの間も、あまり乱暴なことをせずに、フェアプレイでいきましょうよ、と付け加える。これにより、不必要な禍根を残さぬよう、配慮も欠かさない。
ミーアの心遣いがキラリと光った瞬間である!
「意見を争わせるのは馬合わせの中でのみ……。その後は示された結果に従って協力せよ……」
「え……?」
唐突に小驪が言った言葉に、ミーアは瞳を瞬かせる。
「我ら騎馬王国の父祖、光龍の教えですの。ミーア姫が言いたいのは、これですの?」
「そう。まさにそれですわ!」
ミーアは我が意を得たり! という様子で頷く。が、もちろんそこまで深い考えがあるわけではない。もちろんである。
けれど、生まれた流れを逃すミーアではない。ここは乗っていく! 一切の躊躇なく!
「馬合わせは相手を殺すための戦争ではない。あくまでも協力し合うための、物事の決め方ですわ。だから、我々は敵ではない。憎しみや私情にとらわれることなく、終わった後は互いに健闘を称えあうべきではありませんの?」
グッと拳を握りしめ、ミーアは力説する。
「ミーア姫……」
小驪は、ほんの一瞬、感銘を受けたような顔をしたが……すぐに顔をプイっと背けた。
「そんなのは綺麗事ですの。信じられるわけない、ですの」
「そう。それは、残念ですわ」
ミーア、ちょっぴりため息を吐く。
――これは、なかなかに難敵。ふぅむ、ここは……。
一転、ミーアは作戦の転換を図る。それはミーアの得意技である……、
「ですけれど、わたくしは、あなたと落露の走りを称えますわ」
全力ヨイショである。
ミーアにはかつて、幾度も、このヨイショで危機を乗り切ってきた実績がある(……少なくともミーアの中ではそうなっている!)
今回も、そこに活路を見出すべく、ペラペラしゃべりだした。小驪のおかげで夕食が大変美味しくなったこともあり、その舌の動きは実に滑らかだった。
「今日の落露の走りは、月兎馬の中の月兎馬の名に恥じぬ見事な走り。実に天晴でしたわ。わたくしも、帝国の姫として良い馬は知っているつもりでしたけれど、そのいずれにも劣らぬ素晴らしい馬ですわね。それに、あなたも……。あなたが、立派に戦ったということは、ほかの誰が見ていなくとも、わたくしがきちんと見ておりましたわ」
自分だけは、あなたのこと評価しますよぅ! とミーアは力強く訴えかける。
こんなことを言われたら「お前の馬をよこせ」とは言いだしづらいだろう、という雰囲気を懸命に演出しているのだ。実にあざとい!
「そ、そんな見え透いたお世辞、聞きたくない、ですの」
などと言いつつ、小驪が立ち上がった。
「こっ、これ以上、馴れ合うつもりは、本当にない、ですの。明日は覚悟するがいいですの!」
そう言って、ミーアの前から去っていく小驪。その背中を見送りながら、ミーアは小さくため息を吐いた。
「ふぅむ、これは失敗したかしら……」
それからミーアは立ち上がり、そっと空を見上げた。
「さて……明日はどうしたものかしら……」
ミーアの不安を表すかのように、輝く月は、薄っすら雲に覆われつつあった。