第百九十八話 ミーアの黒〇パン
空も赤く染まりつつある夕刻。夜の足音が聞こえてくる時間帯になって、ようやく、ミーアは予定していた野営地へと辿り着いた。
そこは行程の、ちょうど半ばぐらいの位置にある水場だった。
明日は、この水場を経由して、ぐるりと回るようにして、南都の北方にあるゴール地点へと向かうことになるのだ。
「ふむ、予定通り順調に来ておりますわね」
先発していた皇女専属近衛隊の者たちとも無事合流。したのは良いのだが、馬合わせの最中は、助言などをもらわないよう、最低限の接触しかできないルールらしく……。
仮設の幕屋を建ててもらい、お料理が出来上がるのを黙って見ているしかできないミーアである。
本来であれば、お料理を用意してくれているアンヌと楽しく会話をするところなのに、それも最低限しかかなわず。
「ミーアさま、頑張ってください。とっておきのお料理を用意しますから」
ぐらいなもので。
ちなみにアンヌが用意してくれた料理は、グリーンムーン家のメイド、ニーナからもらった香辛料が入っている特別製の鍋料理だった。帝都に戻った折には料理長からも手ほどきを受けるアンヌは、すでにかつてのアンヌではない。
具材を切って煮込む鍋料理ならば、問題なく作れるようになっているのだ。成長しているのだ!
まぁ、料理が美味しそうなのはめでたいことなのだが、やっぱり、こうして一人で黙っているのは、ミーアとしては、ちょっぴり寂しくて……。
だが……今に限っては、それは悪いことばかりではなかった。
なぜなら、ミーアの野営地点のすぐそばに、同じく野営の準備を進める小驪の姿があったからだ!
「これはチャンスですわ。小驪さんも、今は一人でいるはずですし……一緒に食事をいただいて、互いの健闘を称え合えば、自然と仲も深まるはず」
周りに仲間がたくさんいる状態であれば、当然、楽しい会話は望めない。けれど、幸か不幸か、今は互いに、一人きり。周囲との会話を禁じられた状態だ。
一緒に食事をするのを妨げるものはない!
「仲を深めておいたほうが、負けた時に都合がよいというのは、未だに変わらぬこと。ならば、ここはともに鍋を囲み、親睦を深めるべきですわ!」
うんうん、っと頷くと、ミーアはさっそうと小驪のもとに向かった。
一方の小驪は、といえば――ちょっぴり打ちひしがれていた。
彼女の予定としては、もう一つ先の水場で野営する予定だったのだ。
それが、ミーアの策に乗せられて、無駄に勝負を仕掛けてしまったせいで、計画通りにいかなかったのだ。
ついてくるミーアになど構わず、そのまま進んでいれば、もっと先に行って、すでに勝負が確定するぐらいの差がついていたかもしれないのに……。
「落露、ごめんなさい、ですの。私がもっとしっかりしていれば」
しょんぼり、肩を落としつつ、小驪は落露の首筋を優しく撫でた。
「明日は必ず圧倒的な差をつけて勝つ、ですの」
などと気合を入れる小驪に……話しかけてくる者がいた! それは彼女の乗馬である名馬、落露……ではなくて……。
「小驪さん、少しよろしいかしら?」
対戦相手のミーアだった。しかも、こう……なんというか、イラァッとするぐらい能天気な顔で話しかけてきたっ!
「なんか用か……ですの」
ムスーッとした顔で振り返る、と、
「うーん……前から思ってましたけど、小驪さん、なんでも『ですの』をつければ、令嬢っぽい言葉遣いになるって誤解しておりませんこと?」
「むっ……」
小驪は、むぅっと顔をしかめた。
なにしろそれは、知り合いの貴族のご令嬢に教わった言葉遣いだったからだ。
そのご令嬢は、小驪の言葉遣いを田舎臭いとさんざん指摘した後、なんでも語尾に「ですの」をつければいいと、笑いながら言っていたのだ。
なんとなく、からかわれているのではないか? と思わないでもない小驪だったが、それでも、一応は信用して、言葉遣いを心掛けるようになったのだった。それなのに……。
黙り込んだ小驪に、ミーアは、んー、っとうなりつつ……、
「お知りになりたいのでしたら、わたくしが教えて差し上げますけど、でも……別に小驪さんは、普通の言葉遣いでもいいのではないかしら?」
「え……?」
「ほら。食べ物もそうじゃありませんこと? その土地には、その土地に適した食べ物と料理法がある。たとえば、帝国に素晴らしいキノコがあったとして、騎馬王国のキノコも全部それになればいい、とはわたくしは思いませんわ。それに、騎馬王国に生えたキノコを帝国の料理法で調理しようとも思わない。それでは、つまらないですもの」
わかりやすくなるように、だろうか。わざわざ、たとえ話を用いて、ミーアは言った。
「言葉もたぶん、それと同じことですわ。小驪さんが貴族令嬢らしい言葉に憧れるのは自由ですけれど、わたくしは騎馬王国の言葉訛りも素敵だと思いますわ。特に歴史歌などは、騎馬王国の訛りのほうが素敵に聞こえると思いますけれど……」
その意外な言葉に、小驪は一瞬、呆気にとられたような顔をしたが……、すぐに顔を背けて言った。
「そっ、そんなことより、なんの用、ですの?」
「ああ。そうでしたわ。一緒にお食事をどうかと思いまして……」
「ふん。対戦相手と一緒に食事など……」
「あら? 残念ですわ。せっかく、わたくしのとっておきを披露しようと思っておりましたのに」
ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「とっておき……?」
きょっとーんと首を傾げる小驪の前で、ミーアはおもむろに、あるものを取り出してみせた。
それは……端的に言えば、携帯用の黒パンだった。とても固いため、スープに入れてほぐしながら食べるような代物である。
まぁ、それは別にいいのだが……、問題は、その形状だった。
「そっ、それは……?」
「ふっふっふ、これは、わたくしが考案した馬形の黒パン。黒馬パンですわ!」
「…………ほう!」
小驪、食いつく!
ミーアの持つ黒パンを、じっくりと見つめ、そのパンの形状を確認した瞬間、おおっ! と歓声が口から洩れる。
「これは……確かに馬の形……。いやしかし、これは……」
なんという……なんという……っ! 天才かっ!
小驪は、帝国の叡智の、恐ろしいまでのセンスに愕然とする。
まさか、パンを馬の形にするなんて……そんな素敵なことを、今まで思いつかなかっただなんて……っ!
悔しさから、ついつい負け惜しみを言いたくなってしまって……。
「こっ、これは、なかなかのでき……ですの。けれど、甘いですの。ミーア姫」
カッと目を見開き、小驪が言った。
「あら? 甘いとは……?」
首を傾げるミーアに、小驪は手に持った馬パンを突き付けて、
「確かに、パンを馬の形にするというのは良いアイデアですの。とても秀逸、奇抜、帝国の叡智の名に恥じぬ閃きといっても過言ではない、天才的な発想ですの。しかし……馬であれば、こう、耳の部分が……」
くいっくいっと指で形を作る小驪。
「ふむ……!」
それを熱心に頷きつつ、聞いているミーア。
こうして、二人は馬の造形について、熱心に議論を戦わせる。
……なんか、ちょぴっとだけ、友情が深まったみたいだった!