第百九十三話 重装騎兵ミーア、出陣す!
馬合わせの儀の当日……、
南都には、多くの騎馬王国の民が集まってきていた。
さすがに、十二部族すべての人間とまではいかないまでも、近隣の部族の、かなり多くの人々が集結していた。
馬合わせという神事に、みなの血は沸き立っていた。
そんな人々の前に、先に現れたのは山族の騎手、小驪だった。
そして、うら若き乙女の乗る、その馬は、山族の長、富馬が所有する中で最高の馬。義理の娘とまで呼んでいる馬……落露だった。
はじめに目につくのは、その見事に整えられた馬鬣だった。話に聞く猛獣、獅子のごとき堂々たるたてがみは、艶やかに輝きを放っていた。
まっすぐに前を見る瞳には、どこか女王のような気品があり、この馬の健康状態をうかがわせた。すんっと通った鼻筋、引き締まった首筋から前足にかけてのしなやかなラインは、騎馬王国の人々が知る理想的な駿馬のもの、力強く大地を踏みしめる後ろ足は、彼らの知識にある理想すらも凌駕する力強さを感じさせた。
堂々たる女王の馬……落露。
朝露の落ちる一瞬、朝明けの日を輝かせる、その儚くも鮮烈なる光を、その名に持つ馬。
一日中見ていてもこの、決して飽きが来ない美しい馬に、人々は感嘆の息をこぼす。
「あれが山族の落露……」
「さすがは月兎馬の中の月兎馬と言われる馬だな」
「ああ、富馬殿が自慢するのもわかるな。本当に見事だな」
称賛の声は、馬のみならず、それに乗る騎手にも向けられた。
すっと伸びた背筋、まるで馬を自分の手足のように操り、人々の前を歩いていく小驪。
その身に帯びたのは、薄手の乗馬服だった。レムノ王国で仕入れた、上等の布を使って作ったそれは、騎馬王国の人々が見慣れない、煌めきを放っていた。
「見事な乗りこなしだな。馬といい騎手といい、実に素晴らしい」
そのように、感心していた人々は……直後に、驚愕に固まる。遅れて現れたミーアたちに……別の意味で目を奪われたからだ。
「……あれは、えーっと……」
思わず、言葉に詰まる。
なにしろ、ミーアは……騎馬王国の子どもが着る、初心者用のモコモコ服を着ていたからだ!
そんな着ぶくれスーツに身を包んだミーアは、無表情に馬にまたがっていた。まるで、魂がどこか遠くの世界にいるように、その瞳はただただ前方の、草原のみを映していた。
そして若干、重装備な姫を乗せた馬もまた、ちょっぴり不格好に見えた。
確かに、毛艶は悪くない。
月毛と呼ばれる、月光のような色味の毛は、落露には劣るものの、まず健康的な艶を放っていた。この馬が大切に飼われていることに疑いの余地はない。澄んだ目も、ずんぐりしていながら、引き締まった体も、きちんと手入れをされていることが窺える。
されど、それでも相手が悪いだろうと誰しもが思った。
まして、それに乗る者があのなりでは……。
「随分と懐かしい格好、ですの。ミーア姫、今日はこれから、雨か雪でも降る、ですの?」
ゆっくりと近づいてきた小驪は、ミーアの服装を見て、それから、空を見上げた。
青く澄み渡った空を見て、肩をすくめながら、
「それとも、それを着ていないと、怖くて馬にも乗れない、ですの?」
煽るように、小馬鹿にするように、口元にニヤリと嘲笑を浮かべる。
対して、ミーアは……無言。無言である!
その顔には、怒りも、羞恥も、強がりの笑みさえも浮かぶことはなく……。その瞳はただ、ひたすらに真っ直ぐに前を見つめるのみ。
そう、ミーアには、すでに周りの声は聞こえていなかった。
今のミーアは一心に精神の集中を図っていたのだ。
帝国の馬マニアこと、ゴルカとの会話や、自らの忠臣たちの大きな期待、心配、様々なもので心が落ち着かなくなったミーアは、アンヌによって原点に立ち返ることができた。
それは、なにか……? そう、それは……。
――楽しく馬に乗りシュッとすること、これこそが、大事ですわ!
これである! これこそが、ミーアが馬合わせに臨む原点なのである……いや、これだっただろうか?
疑問の余地はないではなかったが、ともかく、ミーアの実現すべき目的はそこだった。
「楽しく……馬に乗り……」
ぶつぶつつぶやきつつ、目的を自分に言い聞かす。
――さすがはアンヌですわ。実に頼りになりますわ。
目標を明確化したうえで、耳寄り情報をも届けてくれた。
できるだけ汗をかくこと……少々暑いが、この程度の努力であれば……。
「この程度ならば、軽いもの……」
などと、ぶつぶつつぶやくミーアである。
そして、そのうえで……まぁ、無理のない範囲であれば……勝利を目指すのも悪くはないのかな、とも思っている。
なにしろ東風は、皇女専属近衛隊のゴルカが自信を持って推す、帝国軍の馬なのだ。
ならば、ミーアが何を考えていようと、勝てることもあるかもしれない。
――わたくしが、帝国軍の馬を信じてあげずして、誰が信じるというのかしら?
近衛隊はいざという時、自分を守ってくれる忠義の騎士。だからこそ、その名誉を自分は全力で擁護する。
同じように……近衛隊の馬もまた、信頼しようと思うミーアである。
「あなたならば、勝てますわ。東風」
そうして、首筋を撫でるミーア。それから、ふと顔を上げれば……、
「ふふふ、それは馬も大変ですの。まぁ、せいぜい頑張ればいい、ですの」
なんだか、ものすごーく気合が入った顔をする小驪がいた。
「あら、小驪さん。今日はよろしくお願いいたしますわ。お互いにベストを尽くしましょう」
そう微笑むミーアを、小驪は、苦々しげに睨んで離れて行ってしまった。
そして、東風は、いつも通りに涼しい顔をして、それを見送っていた。
スタート地点に立つ男が、大きな旗を手に取った。高々と上げられた深紅の旗、それが一度、くるり、と回され……、
「神意を、走りによりて示せ! 馬合わせの儀、始めっ!」
まるで、落星のごとく、赤き旗が振り降ろされて……。
馬合わせの儀が始まった。