第百九十話 心一つに……ならず!
族長会議を終えたミーアは、
――うふふ、今回のわたくし、ちょっと冴えてましたわ。これは、あのクソメガネあたりでも聡明と言ってくれるのではないかしら?
などと上機嫌に慢心しつつ、建物の外でルードヴィッヒらと合流。そのまま、林族が滞在している建物まで戻った。
そこで、ルードヴィッヒをはじめ、主だったメンバーに族長会議の結果を話す。
「馬合わせの儀、ですか……。それにミーアさまが参加されると……」
話を聞いたルードヴィッヒが眉間にしわを寄せる。
「ええ。なんでも、二日にわたる長距離競馬みたいですわね」
馬合わせは、南都をスタート地点、星草の岩と呼ばれる場所をゴール地点とする競馬らしい。
「なるほど……。山族の騎手に勝てるかは不透明。であれば最も良い条件で負けることを選択するのが道理とそういうわけですか……。いや、しかし……」
ミーアが思惑を説明する前に、完璧にその思考を読んでみせたルードヴィッヒだったが、なぜだろう……その言葉の終わり方は微妙な否定形だった。
それが、なんとなく気になるミーアであったが……。問いただす前に、ルードヴィッヒはため息を吐いた。
「しかしいずれにせよ、護衛が必要ですね。すぐに皇女専属近衛隊の準備をさせましょう」
そう言って、ルードヴィッヒはそばにいた随伴の近衛隊員に目を向ける。が、
「そこまで厳重なものは必要なさそうですわ。騎馬王国のほうで、護衛をつけてくれるみたいですし。まぁ、護衛というか、審判というかはわかりませんけれど……」
それから、ミーアは先ほどの出来事を思い出す。
族長会議が終わった直後、大柄な族長がおもむろに近づき話しかけてきたのだ。
「ミーア姫殿下。貴女の提案と勇気、騎馬王国への厚意に感謝を。馬合わせの際には、うちの一族の者がしっかり護衛する。山族の連中がもしもなにかしやがってもちゃんと守ってやるからな」
「あら? そうなんですの?」
ミーアが首を傾げると、その族長は丁寧に教えてくれた。
曰く、馬合わせの儀というのは騎馬王国の者たちにとって極めて神聖で厳格なものらしい。
ゆえに不正が行われないように、一部族だけでなく三つの部族から二人ずつ監視員を出して、常時、随伴させるのだという。
今回は、当事者である林族、山族は除外。残る十部族のうち、九部族を三組に分けて監視を行うらしい。
また、残りの一部族、すなわち騎馬王国のもう一つの都市、北都の守り手である水族は古来より儀式を取り扱う神官の一族であるという。彼らのみ審判役として、常に随伴し、公正さを確保することになっているらしい。
また、水族はどうやら、ヴェールガとの関係も深いらしく、ラフィーナも水族の族長とは親しげに話しをしていた。
「常に監視と守り役として八人の騎馬がついてくるということですわね」
それも、並みの八人ではない。馬合わせの監視官となるは、騎馬王国の誉れ。ゆえに、各部族は選りすぐりの乗り手と馬を出してくる。
不正の入り込む余地はどこにもない……が、それは同時にミーアの勝ちの目もほぼ消えたと言える。
なにしろ、まともにやってもミーアが勝てる可能性なんかほぼないわけで、だからまぁ、不正なく勝負したら当然負けるのも当たり前で。
――まぁ、もともと負ける予定ですし、問題ありませんわね。むしろ、暗殺者の危険性が減って良かったと思うべきですわ。
何事も割り切りは大事である。
「では、護衛するとしても、かなり遠くからということになりますか」
「ええ。それは可能でしょう。夜は野営しなければなりませんから、その際には護衛や補給も認められているみたいですし。でもあまり近づくと不正を疑われてしまいそうですし、下手なことはしないほうが良いかもしれませんわね。それに、鎧を付けた兵士を乗せた馬では、わたくしたちに追いつけないかもしれませんし」
冗談めかしてそう言うと、そばで聞いていた皇女専属近衛隊の兵は生真面目な顔で頷いた。
「なるほど。それもそうですね。ミーアさまの勝利にケチをつけさせるわけにはいきません」
「…………うん?」
その言葉にも、微妙な違和感を覚えるミーアであったが……。
「それは……避けられないことなんですか?」
不意に聞こえた声が、その違和感をかき消した。ふと見れば、アンヌが怖い顔で見つめていた。
「え? あ、ええ。そうですわね。今からお断りするのは、少し難しそうですけど……」
その迫力に、ミーアは気圧されつつもなんとか頷く。と、
「わかりました。それでは……万全の用意をさせていただきます」
硬い表情で言って、アンヌはその場から出て行った。
はて……? 万全の用意ってなにかしら? などと首を傾げるミーアをよそに、ルードヴィッヒらも検討を開始する。
「ミーアさまになにかあったら一大事だ。護衛の手も足りないだろうから、馬優殿にも相談して、兵の配置をしなければ……。ディオン殿」
こうして、ミーア一行は動き出した。
けれど、ミーアは気付いていなかった。
「最善の敗北のために……!」っとミーアと心一つにしている者は、その中には一人もいないということに。
さて、ルードヴィッヒらとの打ち合わせを終えたミーアは、外に出てほぅっと一息吐く。
「話し合いの連続で少し疲れましたわね……。ふむ」
軽くお腹をさする。気付けば昼食の時間が近づいてきていた。
「まぁ、馬に乗って運動するわけですし、今日は前祝いに少し豪勢にいっても……」
「ミーア姫!」
と、そこで、話しかけてくる者がいた。
「あら、慧馬さん、どうしましたの、そんなに血相を変えて……」
「どうした、ではない。なぜ、あんな無茶なことを? 馬にならば、我が……」
と、語気荒く言う慧馬に、ミーアは優しく微笑んでみせた。
「焦る必要はありませんわ。慧馬さん」
慧馬の二の腕をポンッと叩き……きゅっと引き締まったしなやかな筋肉に思わず瞠目する!
「ん? ミーア姫、どうかしたのか?」
不審そうに見つめてくる慧馬に、ミーアは慌てて首を振る。
「あ、焦る必要はありませんわ。まだ日数もあることですし……大丈夫、大丈夫」
なんとなく、自分に言い聞かせてしまうミーアである。
それはさておき……そう、焦る必要はないのだ。ここは一か八かの勝負に出る場面ではない。火の一族の和解はもっとじっくりと進めればいい。狼のことだって、時間さえかければきちんと理解してもらえる。
今は、食糧の支援だけ取り付けられれば十分。それが確保できている以上……、
「もう、勝負はついているのですから、なんの心配もいりませんわ」
そう、すでに勝利条件はクリアしている。あとはケガのないように、馬合わせを乗り切ればいいだけのこと。
「勝つ算段がある、ということか……。だが、馬合わせは、コース次第では、たとえ二日間でも体重が落ちてしまうほど過酷と聞いた。そのようなものに出させるわけには……」
「ほう……それは。ならば、なおのことわたくしが出ないわけにはいきませんわ!」
ミーアは、決然とした顔で首を振った。そして、満足げに腕組みする。
――すごいですわ……馬合わせ。二日でもシュッとできるだなんて……。きっちり運動もできて、一石二鳥とはまさにこのこと。
改めて、ミーアは自らの判断の正しさに満足する。
アベルの姉との対決、それを前にミーアを悩ませていた問題が一気に解決するかのようだった。それはまさに光明!
それに、過酷といっても革命期の地獄を知るミーアである。
馬合わせ、なにするものぞ! と、がぜん鼻息荒くなるミーアであった。
まぁ、常識的に言って……二日で痩せ細るほど過酷なコースを、他国の姫に走らせるはずもなく……もっと簡単な、子どもでも行けるぐらいのコースが選ばれるのが当然なのだが……。そこはそれ……。
これで、蛇の巫女姫にだって負けることはない。とニッコリのミーアである。
「うふふ、勝利は確実ですわ……」
などとつぶやくミーアであったのだが……。
「それは聞き捨てならない……ですの」
不意に聞こえた声に振り返れば、そこには剣呑な目つきをした小驪が立っていた。
「あら? 小驪さん。この度はよろしくお願いいたしますわね」
笑みを浮かべるミーアを無視して、小驪は真っ直ぐに慧馬の前に行き、深々と頭を下げる。
「慧馬殿。この度は、私の父が申し訳なかった、ですの」
それを受けた慧馬は、しかし、硬い表情のまま首を振る。
「いや、それは騎馬王国の価値観だ。我らは羊を売り、金を手にした。そこに不正はなかった。だから、謝っていただく必要はない」
それは考えてみれば当然のこと。十二部族は、各部族でずっと助け合ってきた。互いに助け合うことを当然のことと認識しているのだろう。
対して、火の一族は、その助け合いの輪に入っていなかった。
彼らは自分たちの一族のみで、他と対等の関係を築こうとしてきたのだ。
そんな彼らにとって、山族との間の出来事はあくまでも正式な取引だった。山族の側に、何かしらの思惑があり、そのせいで自分たちが窮状に陥ったとしても、それを見抜けなかったのは自分たちの失態に他ならない。
だからこそ、謝られる筋合いではない。
一方的な温情を受けることが当然とは決して思わないし、それを認めることは己が一族の誇りを傷つけることに同じ……。
両者を隔てる深い断絶を感じ、やはり、無理に和解を導いても亀裂が走るだけではないか……などとミーアが自身の選択の正しさに満足していると……。
「しかし、ミーア姫……」
いつの間にやら、小驪がこちらを睨んでいた。
「はて、なにかしら、小驪さん……」
「覚悟してもらいたい、ですの。私への侮辱……勝負を始めるまでもなく勝っているなどという私と、落露に対する侮辱、許しがたい、ですの」
「え? ああ……、いえ、あれは、そういう意味では……」
「目にもの見せてやる、ですの」
ミーアの釈明を聞かず、小驪は踵を返すと、振り返ることなく去っていった。