第百八十九話 悪意の視線
さて、族長会議でミーアが大暴れしている間、ルードヴィッヒらは南都の町中を回っていた。
メンバーはルードヴィッヒとディオン、アベルと護衛のギミマフィアス、さらにベルとシュトリナも同行している。
「本当によろしいのですか? アベル殿下」
問うてくるギミマフィアスに、アベルは静かに首を振った。
「そうだね。気持ちとしては、すぐに行きたいのはやまやまだが……」
歯切れ悪く言ってから、アベルは肩をすくめた。
「単身乗り込んで討ち死にしよう、なんて情熱的なことは、さすがに考えてないよ。まぁ、ミーアが囚われているというのであれば考えないでもないけどね」
冗談めかして微笑むアベルである。それから、表情を引き締めて、
「多分、今は命を危険に晒す時じゃない。命の懸け時はほかにあると思うよ」
「なるほど。戦うにも時がある、ということですか。ご立派になられましたな……」
「いや、そうでもないさ。ただ、まぁ、今はできることをやろうと思ってるだけだ」
そう言って、改めて視線を巡らせるアベルである。
彼らが街に繰り出したのは、なにも物見遊山のためではなかった。蛇の手の者がどこかに紛れ込んでいないか調べるために、街を練り歩いているのだ。
蛇の巫女姫により放たれた蛇導士たち。恐らくサンクランドでエシャール王子に近づいたという騎馬王国民風の男というのも、そのうちの一人だろう、と、そのような疑いを持ったルードヴィッヒたちは、警戒を強めていた。
この南都には、騎馬王国の民のみならず、レムノ王国の商人も出入りしている。どちらかというと閉鎖的な他の部族とは違い、他国人の出入りも多い。
ゆえに、怪しげな人間が隠れ潜んでいたとしても不思議ではない。
まして族長会議に合わせて、随伴の者たちも大勢訪れている。それに紛れてミーアの命が狙われる可能性は否定しきれないところだった。
「ともあれ、これだけの中から探し出すのは、なかなかに大変だ。ルードヴィッヒ殿、なにか策はあるだろうか?」
アベルの問いかけに、ルードヴィッヒは、軽くメガネの位置を直した。
「そう……ですね。あまり画期的な考えではなくて恐縮ですが、ミーアさまに近づく可能性が高い人物を中心に探りを入れるのが良いのではないかと考えます」
それから、ルードヴィッヒは考えをまとめるように、ゆっくりと話し出す。
「正直、手勢も時間もない。だから基本は、ミーアさまのそばについてその身をお守りする以外にないでしょう」
幸いにして、と言って良いかはわからないが、サンクランドの白鴉などとは違い、蛇導士は、徒党を組んで行動をするのは、そこまで得意ではないのだろう。
直接的な襲撃などに対しては皇女専属近衛隊で対処は可能と考えられた。
「一番に警戒すべきは、やはり毒でしょう。こちらは毒見などによって対処する必要がありますが……」
準備期間を長くとれたならばともかく、ミーアが族長会議に出ることを決めたのはごく最近のこと。もしも、ミーアに対する暗殺が企てられたとして、準備をする期間はあまりにも短い。
「恐らく、毒見をかわすような、特別な仕掛けをするのは難しいのではないかと考えます」
どこか歯切れの悪いルードヴィッヒの言葉を聞いて、アベルもまた苦い顔をする。
ルードヴィッヒはこう言っているが、実際には決して万全の備えではない。蛇という存在の、なんと見つけにくく、その攻撃の防ぎにくいことか……。
それでも、できることをやっていくしかない。
「ほかにミーアさまに近づく方法が……」
「商人に扮して、ということだね」
アベルはそう言って目を上げる。視線の先には、南都最大の市場が賑わっていた。
「ミーアさまは、異国の食糧に興味がございます。民を飢えさせるのが、ともかくお嫌いな方ですから。きっと、この地の商人たちとも関係を築こうとなさると思います」
「それは蛇も知るところ、か。となれば、この市場の中に潜んでいる可能性が高い、と」
「あくまでも可能性です。もしかしたら、この南都にはいないかもしれないし、いるとしても、どこかほかのところに潜んでいるかもしれない。しかし、残念ながらできることは限られている」
「その中で、できることをやるしかない。とりあえず、見慣れない商人がいないかどうか、尋ねて回るしかないかな」
などと、深刻な話をするルードヴィッヒたちである。一方で……。
「あ、ほら。リーナちゃん。馬のお守り(トローヤ)がありますよ?」
近くの露店にたったか走っていくベル。にぎやかな市場の空気に、なんともご満悦であった。
「待って。ベルちゃん……」
それを追いかけようとしたシュトリナだったが……、ふと立ち止まり辺りを見回した。
「あれ? どうかしたんですか? リーナちゃん」
「うん、なんだか、誰かに見られてるような気がしたから……」
そう言いつつ、なぜか、腕をさするシュトリナに、ベルは首を傾げた。
「貴族のご令嬢が珍しいから、とかでしょうか……?」
「うーん……。確かに帝国貴族はあまり騎馬王国とは縁がないかもしれないけど……」
感じた視線は、ねっとりと絡みつくような、ちょっぴり気持ちの悪いものだったから、少しだけ気にはなったけれど……。
「まぁ……いいか」
どこか、釈然としない思いを抱きつつ、シュトリナはベルの後を追った。