第百八十八話 ミーアの思惑~天馬の姫の参戦~
一か八か、勝利すればハイリターンが得られるが、負ければハイリスクを負わなければならない……、そのやり方はミーアの好むところではない。
といって、慧馬が勝負を受けてしまった時点で、もはや、事態を止めることは不可能。ならば、どうするのが最善か……。
そうして瞬時の思考の末に、ミーアは決める。
自身が……馬合わせに出ることを。
堂々と、自信満々に言ったミーアには確固たる勝算があった。
その考えの中核となっているのは「別に負けてもいいじゃない?」の精神である。
いかにミーアとて、騎馬王国の者と乗馬で競って勝てると思うほど、無謀ではない。
――一年間ぐらい本気で乗馬に取り組めばともかく、今のわたくしには、いささか厳しいでしょう。
……だいぶ無謀なことを考えているが、ともかく、勝てるとは思っていないミーアである。であれば、ミーアが狙うのはなにか?
それは「最も良い条件で負けること」である。
――幸い、食糧支援自体は確約されておりますわ。光馬さんなどは、それが当然といったご様子。であれば、ここはそれで満足すべき。馬優さんには申し訳ありませんけれど、火の一族の帰還に関しては、時間に解決していただくしかありませんわ。
ミーアが負けた場合、あと問題になるのは、ミーアが乗った馬を富馬にとられることだが、実はそれについてはそこまで心配していなかった。なぜなら、光馬は言っていた。
"相手が求めれば"馬を譲らなければならない、と。
――どうやら、東風のことを馬鹿にしているようですし。これで、よこせと言うのは、腹いせ以外の何物でもありませんわ。
それは……いかにも外聞が悪いことである。
火の一族に対しての行いにより、富馬の立場は悪い。馬合わせで勝利したことにより、潔白を証明するのは良い。勝負の正当な対価といえるだろう。されど、それに加えて相手の馬を奪うというのはいかがなものか? それも、相手の馬が欲しいから奪うのではない。相手への嫌がらせのために奪おうというのだ。
それが、他の族長の目にどう映るだろうか……?
――それに、わたくしが騎馬王国の民ではなく他国の姫であることも、この際は有利に働くはずですわ。
いかにミーアが馬に乗れるといっても、それは、騎馬王国外の、それも姫にしては乗れるという程度である。生まれた時からずっと馬に乗っているような騎馬王国の人間と比べれば、勝負にならないのはあまりにも明白! だからこそいいのだ!
光馬は言った。「持ち馬を失う"危機"に見合った見返りを求めるのが当然である」と。
けれど、ミーアが相手であれば……そこに危機はない。
――ふふふ、むしろ、わたくしとの勝負で危機を覚えるようであれば、騎馬王国の一員と名乗るのをやめなければならないはずですわ。
そんな"絶対に勝って当然"という勝負で勝って、しかも腹いせ代わりに自身が評価していない相手の馬を奪い取る?
それは紛れもない醜態! 実になんとも見苦しい行為である!
――そして、仮にそれで奪い取ったとして……東風を粗末に扱えるはずもなし、ですわ。
仮にも騎馬王国。そこに生きる人々の、馬愛に絶対の信頼を置くミーアである。が、今回はそれに、"馬合わせの勝負で腹いせに奪ったもの"であり"他国の姫の持ち馬だったもの"という条件が加わる。
それを粗末に扱えるものだろうか?
答えは否だろう。むしろ富馬は、他の族長たちの手前、東風が絶対に怪我や病気をしないように手厚く世話をしなければならなくなるのだ。
――これはむしろ富馬さんのところに行ったほうが、軍馬を続けるより楽な馬生を送ることができるのではないかしら?
そのように負けることを前提に思考を組み立て、その上で……ミーアはその場のすべての人間に訴える。
「わたくしは、思いますの。狼を使うこと、それはそこまで悪いことなのかしら?」
どうせ負けるだろうけど、せっかく注目が集まっているのだから、と自らの主張を展開しておく。
「みなさまのお話を聞いていて、ずっと思っておりましたわ。確かにかつて……、火の一族を放逐した際には、不安があったでしょう。突然、狼を飼うだなんて言われてもどうなるかわかりませんもの。部族を率いる者の判断としては妥当であると思いますわ」
ミーアでもそう判断するだろう。小心者としては、とても理解がしやすい思考ではある。けれど、ミーアは静かに首を振る。
「その当時の人々の判断としては理解できる。でも、未だにその判断に縛られるのは、賢明なこととは言えませんわ。だって火の一族は、富馬さんに売ってしまうまでは、しっかりと羊を飼っていましたし、馬だって慧馬さんの乗っていたのは、とても立派なものだったでしょう。それって、立派に騎馬王国の民としての生活ではありませんの? 狼を飼うことに、なんの問題があるというのか、わたくしにはわかりませんわ」
狼を飼ってもなにも問題ないと、火の一族は、証明しているではないか。これでもまだ嫌うというのは、ミーアには、食わず嫌いに思えたのだ。
――黄月トマトなんかまずいと思い込んで、料理長が作ってくれたシチューを食べなかった。あの頃のわたくしと同じですわ。
ミーアの脳裏を過ぎるのは、あの日の苦い思い出だ。
その後悔を知る者として、ミーアはどうしても見過ごすことができなかった。ゆえに、言っておかなければならないのだ。
「それが、みなさんのこだわりであるというのであれば仕方ありませんけれど、わたくしにはきっと、みなさんの気持ちはわからないのでしょうけれど……。でも、それでも……それは後生大事にしなければならないものなのか、今一度、考えるべきではないかしら? せっかく火の一族の方たちと再会して、直接、話すことができるのですから、しっかりと慧馬さんや狼花さんを見て、考えるべきですわ。そうしないと、大切なものを見逃してしまうかもしれませんわよ?」
黄月トマトのシチューはミーアの好物の一つとなった。
その味も、料理長の思いやりも「嫌いなもの」という思い込みに囚われたままだったら、味わえなかったものだ。
自分と同じ轍を踏ませたくないから、ミーアは訴えかけるのだ。
そして、その真に迫った演説は、確かに、族長たちの心に刺さった。
誰もが言葉を失う中で、ただ一人、口を開いたのは、光馬だった。
「……なるほど。その訴えかけが正しいかどうかは、馬合わせで明らかになるでしょうな」
「どうかしら? それは、神に問いかけるまでもなく明らかなことかもしれませんわよ?」
自身が負ける可能性が極めて高い以上、ミーアとしてはそう言わざるを得ないわけで……。
「いずれにせよ、この度の再会が、騎馬王国にとってよきものとなること、わたくしは祈っておりますわ」
「そうですな……。是非に、そのように願いたいものです」
深々と頷き、光馬は、山族の長、富馬に目を向けた。
「しかし、富馬殿も、これは負けられませんな。騎馬王国に恥じぬよう最高の自慢の馬を用意しなければなりませんな」
「え……? あ、いや、しかし、そのぅ、ああ、そう。そのような大人げないことをすることはできますまい。馬合わせの申し出を受けるのはまだしも、我らが最高の馬を用意してはミーア姫に勝ち目がない。姫は、馬に貴賎なしと言っておられましたから、きっとご自分の、あの馬に乗られるのでしょう? ならば、我らも、それに合わせて……」
気が進まない様子の富馬である。
それも当然のことである。なにしろ勝った時のメリットがなさすぎる。最高の馬など出すはずもなく……。けれど、
「なにを言う? 神聖なる馬合わせに、最高の馬を用意するのは当然のこと。騎馬王国十二部族の族長なれば、その名に相応しい馬を用意するのが道理というもの」
光馬の言葉を聞き、他の族長も同意する。
いかに大国ティアムーンの姫とはいえ、多少は馬に乗れるとはいえ……、騎馬王国の者が負けるわけにはいかない。絶対に勝てる最高の馬を用意するのは当然だった。
同時に、それは懲らしめでもあるのだ。
なにしろ、彼は同族の困窮を助けることなく、足元を見て羊を買ったのだ。そのような不心得者は罰を受けるべき、と、族長たちは考えたのだ。
だからこそ、富馬が手を抜くことは許さない。しっかりと、馬合わせに大切な馬を出すようにくぎを刺すのだ。そして、
「とはいえ、確かに騎馬王国の民ではない姫に、族長が対するのはさすがに大人げない。そなたには、姫と同年代の娘がいたはず。騎手をその娘とすれば良いのではないか?」
馬は最高のものを用意し、ハンデは乗り手でつけよ、と光馬は言っていた。
「小驪ですか? いや……しかし」
ぶつくさなにかを言い返そうとしていた富馬であったが、結局は、それに頷かざるを得なかった。
火の一族に対し、暴挙を働いた以上、彼に選べる道はほとんどないのだ。
こうして、後に天馬の姫と呼ばれるミーア・ルーナ・ティアムーンの、馬合わせの儀への参加が決まったのだった。
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