第百八十七話 勘違いしておりますわよ?
「馬に乗るのがよいのではないかしら……」
そのミーアの言葉に、馬龍は頭を殴りつけられたかのような衝撃を受けた。
そしてそれは、彼だけではなかった。他の族長たち、各々の部族をおさめ、沈着さや勇敢さ、相応の知恵を求められる族長たち、その誰もが言葉を失っていた。
その中で、一番早く復活した光馬が……、
「……それは、もしや……いや」
なにかを否定するように首を振る。けれど、
「この場面で、馬に乗るって言ったら一つしかないでしょう。“馬合わせ”だ」
馬龍は断言してみせた。
馬合わせ――それは騎馬王国の古の審判法だ。
それは簡単に言ってしまうと、馬に乗り、先に目的地に着いたほうを正しいとする、極めてシンプルな判定法であった。「馬の脚の速さによって、我らに神意を示したまえ」と神に伺いを立てるわけである。
冷静に考えればそれは、馬に乗るのが上手い者、もしくは良い馬を持っている者に大変有利な方法ではあるのだが……。ともあれ、剣と腕力をもって自分の言い分を通そうという方法よりは、幾分か平和な、なんとも騎馬王国らしいやり方ではあるのだ。
しかしながら、そんな馬合わせも、近年ではめっきり行われなくなってしまっていた。
それゆえ普通であれば、異国の姫が提案するとは思わないのだが……、馬龍はちゃんと聞いていたのだ。
「そういえばミーア嬢ちゃん、言ってたな……。騎馬王国のことを事前に調べてきたって……」
そう、ミーアは事前に騎馬王国のいろいろなことを、綿密に調べてきた、と言ったのだ。
……実際にはそこまでは言っていないのだが、馬龍の中では、情報がカチッとはまってしまったのだから、仕方ない。
彼の頭の中では、ミーアは、騎馬王国の歴史をものすごーく調べてきて、今回の騒動を解決するすべをきちんと考えていた、ということになってしまったのだ。
「なるほど……。馬合わせは伝統的なやり方。もしも、これにより火の一族を迎え入れるべき、との結果が出てしまえば、必然、みなも受け入れざるを得ない。狼を使う術を持ったまま、彼らを受け入れること、それを誰もが納得するにはこのぐらいする必要はありましょうな」
ゆっくりと、顎をさすりながら、光馬は言った。
「すなわち、山族の長、富馬と、火の族長の妹、慧馬とで馬合わせをせよ、と姫はそう言っておられるのじゃな?」
「……は? いやいや、なぜ、我々がそのようなことを……?」
突然、話を振られて、大慌ての富馬。そんな彼に冷たい視線を向けてから、光馬は言った。
「火の一族は、狼を使うゆえに騎馬王国の一員にあらず。故に羊を買った。そう言ったのは、うぬであろう? ならば、火の一族の帰順を一番に反対すべきは、うぬではないかな?」
「なっ……それは……ぐむ……」
今ならばまだグレーゾーン。けれど和解により、火の一族が正式に帰ってきてしまえば、火の一族に対する非道が、より際立つ形になってしまうかもしれない。原則的に法や掟は時間に逆行して適用されないものであるが、それでもイメージが悪いのは否定できないところ。
っと、反論を封じた光馬は、静かにミーアのほうを見つめた。
「さて、ミーア姫殿下、騎馬王国についてよくお調べになってきたとのことだったが……、馬合わせで負けたほうがどのような目に遭うかは、当然ご存知であろうな?」
――はて?
などと首を傾げそうになるミーアであったが、我慢して、じっと光馬を見つめる。っと、ミーアの返事を待たずに、光馬は、確認するように言った。
「敗者は、求められれば自らの乗った馬を、勝者に譲らなければならない……。その決まりも含めてのご提案なのでしょうな?」
――はぇ?
一瞬、なにを言われたのか分からず、小首を傾げるミーア。そんなミーアに光馬は容赦なく、あるいは、誤解の余地なく、言った。
「つまり……、もしも、火の一族の娘が負ければ、あの馬は、そこの富馬のものになるかもしれない。いや、あれほど見事な馬ですからな。絶対にそうなるでしょう。富馬もその危険を承知で自身の馬を出すのです。それに見合った報酬を求めるのは、みなも納得するでしょう。それを承知の上で、提案しておられるのでしょうな?」
――あ、これ、勝手にオーケーしたらまずいやつですわ!
ミーア、即座に悟り、撤退を決断。今ならばまだ間に合うと、口を開こうとして……。
「無論だ。ことを勝負で決することができるというのであれば是非もなし。喜んでお受けしよう」
その前に、慧馬が答えてしまった。ものすごーく堂々と胸を張って……。
――くぅ、遅かったですわ! 慧馬さん、余計なことを!
思わず頭を抱えたくなるミーアである。
この状況、一見すると、活路が開けたように見えなくもない。ないのだが……。
――負けても、食糧支援は受けられるのでしょうけれど……、慧馬さんは愛馬を失う。その上、火の一族は騎馬王国の一員と認められることはなくなる。あるいは狼を捨てて、どこかの一族に受け入れてもらう方法もあるのでしょうけれど……いずれにせよ、リスクが大きすぎますわ!
しかも、ミーアの頭には、先日、慧馬に追いかけられた時の記憶が残っていた。
あの時は、確かに慧馬に追い詰められたが……、ではもし、乗っているのが荒嵐だったらどうだっただろう? もしかしたら、追いつかれなかったのではないか?
――条件さえよければ、わたくしでも逃げ切れたかもしれないですわ。少なくとも慧馬さんは、狼使いや馬龍先輩に比べれば、幾分、劣る気がしますわ。
慧馬ならば絶対に勝てるというのならばともかく、イチかバチかの賭けをするのは、小心者の戦略には相応しくない。それよりは……、むしろ……。
直後、刹那の閃き!
ミーアは自らの直感に従って、口を開いた。
「いいえ……、光馬殿、一つ勘違いしておりますわよ?」
「ほう。勘違い……? それはなんのことですかな?」
「決まっておりますわ。慧馬さんが馬合わせに出るということですわ」
「どういう意味だ? ミーア姫」
これには、光馬ではなく、慧馬が怪訝そうな顔をした。それに静かに微笑みかけて、ミーアは自らの胸に手を当てて言う。
「出るのは、慧馬さんではない。このわたくしですわ!」
その言葉に、その場は再び騒然とした。