第百八十六話 渦潮ミーア、降臨す
「はじめに、このような機会を設けていただいたことを感謝する。私は火族の長老、火狼花と申します。そして、この娘は火族族長の妹、慧馬と申します」
ゆっくりと立ち上がり、口を開く狼花。眼光鋭く族長たちを見つめてから、静かに頭を下げる。
その迫力は族長たちの耳目を引くのに十分なものであったが……それよりなにより、一同の視線を集めたのは、族長の妹と紹介された慧馬のほうだった。
なんといっても入城時、あの見事な馬を乗りこなしていた少女である。
歴戦の戦士のごとくキリリっと引き締まった表情、凛とした立ち居振る舞いに、ほぅ、っと感嘆の息が漏れる。
これは油断ならぬ相手、並々ならぬ俊英に違いない、と……各々の顔に緊張が走る。
持ち馬こそが最大の評価基準という、騎馬王国の病理が見え隠れする一面と言えるだろう。
その後、一通りの自己紹介が済んだところで、最後に、ラフィーナが静かに口を開いた。
「ヴェールガ公国公爵令嬢、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガと申します。幾人かの族長の方とはお会いしたことがあったかしら……」
小さく首を傾げて、涼やかな笑みを浮かべる。
それから、静かに瞳を閉じて、ラフィーナは神聖典の一説を唱える。
“神、地上に降り立ちし時、羊を飼う人々、勇みてそれを迎えん”
「我らの神を一番に迎え、もって大いなる祝福を受けた羊飼い、その末裔たるみなさまの、会議に参加できることは望外の喜びです。どうか、神の祝福と大いなる導きとが、この会議にありますように」
厳かな祈りは、その場の者たちの心に清らかな風を吹かせた。
そうして、族長会議は静かに始まった。
口を開いたのは、仕切り役である光馬であった。
「さて。今回の会議を招集したのは林族の長、馬優殿であったか。まずは、この会議の趣旨を説明していただこうか。何の故あって、我らはこの場に集められたのか……。何を求めてのことなのかをご説明いただきたいのだが、いかがだろう、馬優殿」
「ははは、光馬老に「殿」と呼ばれるのは、いささか面映ゆいな」
話を振られた馬優はおどけた様子で笑ってから、ゆるりと立ち上がる。それから、長い袖を、音を鳴らして直してから、静かにみなに視線を送る。
「さて、親愛なる族長のみなさま方、この度は呼びかけに応じていただき感謝する。また、このような素晴らしき時を共にすることができること、歓喜に堪えない」
歌うように朗々と、舞台役者のような見事な声で語り掛ける。
「ほう、素晴らしき時とな?」
光馬の問いかけに、馬優は深々と頷く。
「そうです。我らは、失っていた兄弟を再び見つけることができた。過去のいきさつから別たれていた血族が、今再び会い見えんとするこの時、きっと我らの父祖もお喜びのことでしょう」
その訴えかけに、何人かの族長が素直に感銘を受けたように頷いていた。
感動した様子で目を潤ませている者までいる。騎馬王国の民は、基本的には善良で素直な人たちなのである。
「なるほど。つまりは馬優殿は、その感動を分かち合いたいがために、我らを呼び集めたと、そういうことでよろしいかな?」
「無論、それだけではありませぬ。聞けば、火の一族は不作により、困窮の中にあるらしい。その結果、盗賊にまで身を堕とす者もいたとか。これを放置するは、我が国の恥。我らの父祖、光龍に顔向けできぬことでしょう?」
「ほう。つまり、困窮する火の一族を支援する、その助けが欲しいとそういうことじゃな?」
光馬はパンッと手を打ち、微笑んだ。
「そういうことならば話は早い。血を分け合った一族が困っているのだ。食べ物なぞいくらでも支援しようではないか。それに、他国との折衝も必要だろう。盗賊の被害を受けた国には使者を送り、しっかりと補償をせねばなるまい」
光馬の言葉に、今度はすべての族長たちが頷いた。
過去にどのようないきさつがあったとはいえ、同胞を助けるのは理の当然。論ずるまでもないこと。それは、騎馬王国の良識だ。
基本的には、善人で素直な人たちなのである。
だが……、そこで、あえて、馬優は一歩踏み込む。
「いえ、光馬老。話は、それで終わりませぬ。私は、騎馬王国の未来について論じあうために、みなさまに集まっていただいたのだ」
その言葉を受け、光馬はスゥっと目を細めた。構わず、馬優は続ける。
「火の一族が困窮したことは不幸なこと。されど、同時に私には天啓に思えたのだ。ぜひ各族長のみなさまには考えてもらいたい。火の一族を、別たれていた我らの兄弟を、今一度、我らのもとへ迎え入れることを」
その一言で、その場の空気が一気に凍り付いた。
「それは、つまり林族に火の一族を迎え入れたいと、そういうことか? それとも、火の一族を他の十二部族に分散して迎え入れたいという……」
「そうではない、ということは、おわかりではないですか? 光馬老ならば……」
それから、馬優は族長たちの顔を見回してから言った。
「私はこう考えている。今こそ、再び、十二部族が十三部族へと戻る時ではないか、と……。他の族長のみなも、きっと私と同じ立場ならば、同じことを考えたのではないか? 私のように、火の一族を最初に見つけたのならば……」
「それはどうだろうな。実際、その立場に立ってみないとわからんが。どうも、馬優殿は、火の一族に対する妥協が過ぎるように思えるな。貴殿は、歴史歌の名手だったはず。過去の、我らが別れたいきさつをすべて忘れてしまったのかね?」
その指摘は、光馬に次ぐ年長の族長からなされた。他の族長たちも、どこか困惑した様子で馬優を見つめていた。
助けを出すのは当然のこと。されど、別れた一族を再び国に加えるか……、その大きな変化がなにをもたらすのか、不安に思わぬ者はなく……。
と、その時だった。狼花がそっと手を挙げてから、口を開いた。
「いや、馬優殿には申し訳ないが、実は、林族が最初ではないのです。すでに付き合いのある族長殿がおりましてな。山族の富馬殿には、以前も世話になっているのです」
唐突に話を振られ、富馬がビクンと肩を震わせた。
「おや、なんと、そうなのですか?」
馬優は、少し驚いた様子で言った。それから、残念そうに首を振る。
「なんだ、富馬殿、言ってくだされば良かったものを」
ちょっぴり青い顔をする富馬に目を向けてから、馬優は狼花に尋ねた。
「それでは、火の一族は山族と付き合いがあったと……?」
「ああ、いや、それは……」
となにか言いかけた富馬を遮るように、狼花は言った。
「ええ。我らが困窮している時に、富馬殿から申し出があったのです。我らの家畜を買い取ってやろう、と。はじめは羊、次はヤギ、果ては馬まで……」
そこで、一つ目の大きな流れが起こった。
「……どういうこと、かな? 富馬殿……?」
ひときわ大柄な族長が、野太い声で言った。
ちなみに、先ほどの馬優の口上に感動して、瞳をウルウルさせていた男であった。単純で激情家で、大変、人情深い男として知られている。
「い、いや、そのぅ……」
他の族長からも白い眼を向けられて、もごもごと口ごもる富馬である。
長く別れていた火の一族の者は知らないことであったが、血族の困窮を無償で助けることは、古の時代、十二部族で共有された、ある種の掟であった。
その行為は、自らの利を追求するべきものではない。取引ではないし、商売でもない。
相手が立ち直れるように手を差し伸べるための行為、完全なる慈善の行為なのだ。
にもかかわらず、富馬は、困窮した火の一族の家畜を買ったという。
家畜は財産、もっと言えば生活に必要不可欠なもの。それを失えば、一時の金を得られたとしても、その後、さらなる困窮が待っているのは必定。
それがわかっていながら、家畜を買うということ……それは、掟に反する許されざる行為なのだ。
場の空気は一気に、富馬を責めるもの、そして、火の一族への同情へと変わっていた。
それは、馬優の計算通りのものだった。
火の一族に一方的な温情を与え、隷従を求める……そのような形で彼らを迎え入れることを馬優は望まない。そのバランスをとるための措置であった。
されど、できかけた流れを打ち消すような、重たい一言が響く。
「だが……狼のことはどうするのだ?」
声の主、光馬は静かな眼光で、狼花を、そしてその隣にいる慧馬を見つめた。
「狼を捨てるというのならばわかる。あれは我らが別れた原因だからな。それを捨てようというのならば、喜んで火の一族を迎え入れよう。だが……」
思案するように沈黙してから、光馬はつづけた。
「林の一族に吸収するのであれば、林の一族の掟に従う必要がある。同様に風には風の、山には山の掟がある。おのずと狼は捨てることになろう。されど、火の一族を火の一族のまま受け入れるということは、火の一族の掟をも、我らは受け入れなければならぬということになる。であれば、狼を使うという、そのしきたりもまた受け入れなければならぬ。そうではないか?」
「そっ、そう。まさに、その通り。いや、さすがは光馬殿。私も火の一族は我らの仲間と認められないと思ったから、羊を買っただけであって……あれ?」
などと、富馬が何か言っていたが……、だぁれも聞いちゃいなかった。
睨みあう光馬と馬優によって生まれた膠着。それを打破するのは、そのどちらかであると誰もが確信していたからだ。固唾を呑んで状況を見守る族長たち。
されど、次の流れはまったく別の場所で生まれようとしていた。極めて強力で、すべてを飲み込む渦潮のような流れが。ある穏やかな声をきっかけに生まれようとしていた……。
さて、族長たちの話をじっと聞いていたミーアは、ひとまず安堵していた。
――ふむ、さすがは身内のことですわね。きちんと解決できそうですわ。
ミーアの見たところ、彼らがもめているのは火の一族を、どのように救うかという、その方法について。馬優の主張の通り、騎馬王国に復帰できれば一番良いが、最低でも食糧の支援は取り付けられそうな状況。
誰一人、見捨ててしまえ、などと言い出さないのは、実に良いことである。
――落としどころを探るのは、やはり当人たちにしかできないことでしょうし、この調子ならば、わたくしが口を出す必要はどこにもございませんわね。よし……。
そうして、ミーアは腕組みすると、すぅっと静かに瞳を閉じる。
なにかを数えて、暇つぶしをするような真似は、今日はしない。時間の無駄である。
今日のミーアは本気モードなのだ。
本気で向き合おうというのだ……自らの、FNYと。
――この会議が終わったら、いよいよ、お義姉さまと対峙しなければなりませんし……。時間は予想よりありませんわ。どうするのが効果的かしら……? 真面目に考えませんと……。
問題は、どのようにして効率的な運動をするかということ。
ミーアは自分が、決して運動が嫌いなわけではないと知ってはいたが、それでも、食べた量動けというのは、なかなかに大変なことである。
――長続きするやり方を考えなければ、なりませんわね。とすると……。
ミーアは、そこで静かに頷いて、そっと目を開けて、
「そうですわね。馬に乗るのが良いのではないかしら……」
なにしろ、ここは騎馬王国。
ならば馬に乗るのは当然の流れといえた。
――毎日じっくり乗れば、良い運動になるでしょうし、アベルと一緒に乗れば楽しいですわ。長続きしますし、少しぐらい食べ過ぎても大丈夫なんじゃないかしら?
などと、自らの思い付きにニヤニヤしていたミーアは、直後に気付いた。
自分に突き刺さる、族長たちの視線に。
「それは……どういう意味ですかな? ミーア姫殿下」
光馬すら、飄々とした普段の態度を崩し、いささか震える声で尋ねてくる。
「…………はぇ?」
ミーアはポカーンとしつつも、敏感に察していた。
流れが、再び変わりつつあること。
自分が流れを変えてしまったということを……。
されど、そんなミーアでも気付いていないことがあった。それは、自身が生み出してしまった流れが、族長たちのすべてを飲み込む巨大な渦潮であったことで……。