第百八十五話 帝国の叡智の駆け引き
小驪の案内で、族長たちの集まる大部屋に通されたミーア。
てっきり、建物の作りから巨大な円卓でもしつらえてあるのかと思ったのだが、族長たちはみな、床に敷かれた絨毯の上に座っていた。
――ふむ、これが騎馬王国の族長たち……。
一人一人の顔をできるだけ覚えなければ……などと思っていたミーアは、すぐに風光馬の姿を見つけた。部屋の一番奥、堂々と座る光馬。
――ここは、挨拶しておくべきかしら……?
様々な経験上、ミーアは知っている。人脈と礼節は、困った時に自分を助けてくれる、一つの拠り所である、と。
無論、それにすべてを託すのは愚かなこととはいえ、ないよりはあったほうが良い。
今回の話し合いを上手く進めるために、年長の光馬の力が借りられるのであればありがたい。
――ふむ……。どうやら、みなさん、わたくしにはあまり興味がないようですわね。望ましいことですけれど……どうしようかしら……。
今ここで、光馬に声をかけたら、とても目立ちそうだ。せっかくの、目立たずにのんびりしていられる立場をみすみす手放してよいものか。わずかな逡巡、その後、ミーアはすぐに決断する。
――ふむ、やはり少々目立ってしまいますけれど、ここは、ご挨拶をしておくのが良いでしょうね。
ということで、ミーアは早速口を開いた。
「ご機嫌よう、光馬殿。昨日はお世話になりましたわね」
「ほっほ、これは、姫殿下。ワシのほうこそ、昨日は、なかなかに楽しい時間でしたぞ。特に、あのバニツィアに甘い果物をのせるのは、なかなかの良いアイデアでしたな」
「うふふ。わたくしも、あんなに合うなんて予想外でしたわ。とても楽しい時間でしたし、また、そのうちにご一緒できれば嬉しいですわ。今度は、帝国にいらしていただきたいですわね。たっぷりご馳走いたしますわよ」
「わはは。そうですか。では期待しておくとしますかな」
と、そこで光馬は笑みを消して、じっとミーアを見つめてくる。
「しかし、今日は、わざわざご足労いただき、申し訳ないことで。しかも問題は我ら騎馬王国の血族間のこと。我ら自身が解決せねばならぬ問題ゆえ、大して、発言していただくこともないというのに……」
そんなことを言う光馬に、ミーアは……ちょっぴり感動していた!
――ああ、わたくし、今回は部外者扱いされてますわ。しかも、光馬さん、なんだか、すごくやる気がある感じですし……。わたくしがいなくっても、他のみなさんでなんとかしてもらえる……。これほど幸せなことはございませんわ……。
自分たちのことは、自分たちで解決するから、ミーアの手を煩わさないようにする、と言ってくれた光馬に、ミーアは感謝の念を禁じ得なかった。
そもそも、ミーアの構想は、自分がかかわらなくて良い問題から解決してもらい、その間に、巫女姫のことをなんとかする方法を考えることだったのだ。ゆえに、もしも、手を下さなくてもよいのであれば、それに越したことはない。
ともあれ、問題はアベルの姉のこと、そして、理由はよくわからないが、自身を友と呼ぶ慧馬にもかかわることである。万が一“騎馬王国の中では解決したこと”などにされたら、厄介だし、後味もとても悪いだろう。
――族長連中の中に蛇の関係者がいないとも限りませんし。しっかりと状況をコントロールすることが大事ですわね。そのためには……。
と、ミーアが目をやるのは慧馬のほう……。
「いえ。少しでもわたくしにできることがあるならば、力を尽くしたいと思っておりますわ。友のためですもの。このぐらい、何ともありませんわ」
まず、これはお友だちに関わることである以上、あまりいい加減なことをしたら、黙っておかないぞ、と釘を刺す。さらに、ミーアが目を向けるのはラフィーナのほうで……。
「それに、わたくしのもう一人の友であるラフィーナさまも、今回のことは大変憂慮されているご様子ですし。ラフィーナさまが、この件をより良い解決に導こうとされているのでしたら、わたくしが力を貸さないわけにはいきませんわ」
あくまでも、自分は手伝うだけ、とさりげなく訴えつつも、ラフィーナがこの件に介入してきていることを強調しておく。
聖女ラフィーナの前で、非道なことを行えばどのようなことになるのか、知り尽くしているミーアである。それに、ラフィーナがいれば、仮に蛇の手の者がいたとしても、容易には手出しできないはず。
ここは、ラフィーナに頑張ってもらわなければならない、ということで、発破をかけたわけだが……。
ミーアに話しかけられたラフィーナは、ほわぁっと笑みを浮かべてから……、すぐに、キリッとしたすまし顔に戻って、
「ありがとう。ミーアさん。私も全力で、この諍いを収めるつもりよ」
気合の入った声で言った。
その瞳が、若干、感動に潤んでいたことに、気付く者はいなかった。
そして、感動している者は、もう一人いた。
一連のやり取りを見ていた馬優である。
――なんという鮮やかさだ。あれが、帝国の叡智ということか……。
昨日の入城の失敗で、完全にその存在感を消されていたはずだった。それが、どうだ。他の族長たちの視線は、すべてミーアのほうに吸い寄せられていた。
――風族の宴会に招かれたと聞いた時には、光馬殿がなにか企んでいるのだとばかり思っていたが……。
十二部族族長の最年長にして、今回の会議の仕切りをする人物、風光馬。
その彼に招かれて、宴会に参加したこと、さらにそれを強調することで、ミーアは、無理矢理に族長たちに思い出させた。
そもそもミーアが、光馬のエスコートによって、この南都に入城したということを!
――自らの発言力を削ぐための行動を、逆用して、再び発言権の復活を狙うとは……、なんという……。
極めて緻密、かつ苛烈な戦略的会話を前に、馬優は言葉を発することができなかった。
自身も、それなりには策を弄するほうだと考えていた馬優であったが、目の前のやり取りと比べれば児戯にも等しい、とまざまざと思わされてしまったのだ。
――なるほど。これが帝国の叡智。すぐにでも挽回は可能であればこそ、あの日、光馬との入城を受けたのだろう。
底の知れないミーアの器量に、戦慄を隠せない馬優だった。