第百八十四話 ミーアベルの復讐、始まる……かもしれない?
「やれやれ、さすがだな。ミーア嬢ちゃんは……」
朝食を取り終えた馬龍は、自らの馬に餌をやるべく、外に出た。
「事前に調べてきたから、挽回も可能ってか……。まったく、本当に大したもんだ」
父、馬優もそうだが、しっかりと物事を考えて、準備をする人間のことを、馬龍は尊敬していた。
――でも、よくよく考えれば、そうだよな。混沌の蛇だったか……。
先日、聞かされた謎の集団。どうやら火の一族に関係するらしい、その邪教徒たちを相手に、ミーアやラフィーナたちは戦っていたという。セントノエルにいた頃、馬龍は、そんなことに、まったく気付きもしなかった。
――ミーア嬢ちゃんなんか、なにも考えずに馬に乗ってるように見えたが……いや、時々、切羽詰まったように乗ってることがあったな。あれは、そういうことだったのか……。
餌をあげて、ブラッシングも終えてから、馬龍は、ふと首を傾げた。
「ん……?」
後ろから気配を感じて、振り返ると……なにかもの言いたげな顔で立ち尽くすラフィーナの姿があったのだ。
「ああ、ラフィーナ嬢ちゃんか。おはよう。よく寝られたか?」
そうして、笑みを浮かべる馬龍。ラフィーナは……チラリ、と目を向けた……、かと思うと、すぐに、目を逸らしてしまった。なにか気になるのか、片手で美しい髪をいじったりしつつ、おどおどしている。
「お、おはようございます。馬龍さん」
小さな声でそう言うも……なんだか様子がおかしかった。
――まだ悩んでるのか、それとも……。
と、少し心配になった馬龍は、おもむろにラフィーナの額に手を当てた。
「ひやっ!」
小さく悲鳴を上げ、飛び上がるラフィーナ。
「ふむ……ちょっと熱があるか? もしかして、昨日の夜、冷えちまったかな?」
「いえ、そんなことは……。熱もないので、ご心配なく……」
一歩、二歩と後ろに下がってから、上ずった声で言うラフィーナ。首を傾げつつ、馬龍は、まぁ、いいか、と納得する。
「まぁ、昨日のがうまく気分転換になりゃよかったんだが。それはそうと、今日は、よろしく頼むぜ、ラフィーナ嬢ちゃん。今日の族長会議、ミーア嬢ちゃんは、なかなか身動きが取れないだろうからな」
「え……? それは、なぜかしら……」
首を傾げるラフィーナに、馬龍は昨日の入城の意味を教える。
「なるほど……。昨日のやり取りにそのような失敗があったのね……」
それを聞いたらラフィーナは、ようやくいつも通り、落ち着いた表情に戻った。
「ミーア嬢ちゃんは挽回できるって言ってたが、俺らは俺らで行動しなきゃならないだろうな。と言っても俺自身が族長の息子って立場なんでな。まだまだ、できることは限られてるんだが……」
族長会議は、基本、十二部族の族長たちによって行われる話し合いである。
今回は成り行き上、関係の深い馬龍も参加できることにはなっているが、どれほど、発言に耳を傾けてもらえるか、甚だ不安なところであった。
「その点、ヴェールガの聖女の言葉には重みがあるからな。無視はされないだろう。すまないが、よろしく頼む」
深々と頭を下げる馬龍に、ラフィーナは、涼やかな笑みを浮かべて頷く。
「ええ。もちろんよ。騎馬王国の悲しい因縁を解くことに、私も全力を尽くす所存です。私にできる限りのことをしましょう。ところで、それはそうと……」
と、ここで、一転。ラフィーナはちょっぴり、困った、情けない顔で言った。
「あの……、昨日のことなのですけど、できれば、誰にも言わないでほしいのですけど」
「ん? ああ、それは構わないが……」
その答えに、ぱぁあっと顔を輝かせるラフィーナ……だったのだが……、
「あ、けど、あの嬢ちゃんにはもう話しちまったな」
続く言葉に、かっちーんと固まる。
「だっ、だ、誰に? 誰にですか?」
「ほら、ミーア嬢ちゃんと一緒にいるあの子だよ。ベルっていう……」
ふらっと、ラフィーナの体が傾いだ。その口からは、声にならない悲鳴が零れ落ちた。
長き時を超えて……今、司教帝ラフィーナへのミーアベルの復讐が始まろうとしていた……のかもしれないが、まぁ、どうでもいい話なのであった。
南都の中央部には、割と大きな建物が建っている。その名も「グレートホースキャッスル」
山族の長、富馬が建てた、まぁまぁの大きさの屋敷である。
建築様式はレムノ王国の影響を強く受けたものとなっていて、だから、戦城としての機能もそれなりに持っているらしい……が。
いかんせん、その名前が……。
「ぐ、グレート……ホースキャッスル……」
その、なんともアレなネーミングに、ミーアは思わずクラッとする。
せめて、騎馬王国風の名前にしておけばいいのに、なんだか、無理をして外国っぽい名前を付けたのが、ものすごーく感じられて……。なんとも居たたまれない気持ちになってしまう。
……ちなみに、乗馬に「シルバームーン」とか名付けたり、孫娘に「ミーアベル」とか名付けたりと、ミーアのネーミングセンスもなかなかアレなところがないではないが……、そんなことは、ポーイッと記憶の彼方に放り投げているミーアである。
そうして、館の門を潜り抜けたミーアは、直後に見つける。
自分たちを見下ろす、巨大な馬……の像を。
「ほう。これは見事な造形……。いい仕事してますわ。わたくしの馬パンの完成度を上げるのに、大いに役に立ちそうな……」
近づいて、像を観察していたミーアは、ふと見つける。
その馬像についたタイトル……。
「我が愛娘『落露』に捧ぐ。ふむ、馬の名前は騎馬王国っぽいですけれど……、愛娘……」
ミーアは、改めて馬の像を見上げて、うむむ、っとうなる。
――どうでもいいですけど、お父さまといい、権力者というのは、どうして自分の娘の像を建てたがるのかしら……。もっと、こう、有意義なお金の使い方があるでしょうに……。
そんな風に、ミーアが、人の世の権力者の愚かさを嘆いていると……。
「ようこそいらっしゃいました、ですの」
背後から声をかけられる。
振り返ると、そこには、一人の少女が立っていた。
年の頃はミーアと同じぐらい。騎馬王国の民の特徴である黒い髪を異国の可愛らしいリボンでまとめた少女は、スカートの裾をちょこんと持ち上げ、
「山族族長、富馬の娘、小驪と申します、ですの」
ぎこちない笑みを浮かべる。
「これはご親切に。わたくしは、ミーア・ルーナ・ティアムーン。ティアムーン帝国の姫ですわ」
対するミーアは、完全無欠なお姫さま然とした態度で返す。
それを見た小驪は、
「……本物の、お姫さまですの」
ポカーン、とした顔でミーアを見つめていたが、すぐに首を振って、踵を返した。
「あ、ええと、みなさまのご案内をするように、と父から、言いつけられております、ですの。どうぞ、こちらへ」