第百八十二話 ミーアの怖い夢
その日、ミーアは夢を見た。
それは前時間軸の夢……などではなく、純粋な悪夢だった。
「あら? ここはいったい……」
気付けばミーアは、見知らぬ廃城の廊下に立っていた。暗い廊下は闇に沈み、手元の灯では到底、照らし出すこともできない。
「はて……これはどういうことかしら? わたくしは、このようなところでなにを?」
“ここはどこ、わたくしはミーア”状態でキョロキョロしていたミーアの鼻に、不意に、とても良い匂いが漂ってきた。なんだか、とっても……。
「ああ、実に美味しそうな匂いですわね。ふむ……行ってみようかしら?」
どちらにしろ、どこかへ向かわなければならないとするならば、美味しそうな匂いがするほうに行ったほうが良いに違いない。
ミーアは、そう信じて、匂いのするほうへと向かっていく。
やがて、現れたのは巨大なパーティーホールだった。
長い机の上には、ほかほか、湯気を立てたお料理の山、山、山。
それは、昨日の宴会を髣髴とさせる素晴らしいお料理で……。
「ん? 昨日の宴会……はて? わたくしは、なにを?」
「あら? なんて、品のないお顔かしら? 美味しいお料理があれば、すぐに飛びつくだなんて、なんと意地汚い」
突如として、突き刺すような声が響いた。目を向けた先、そこには、一人の女性が立っていた。
年の頃は、二十代の前半といったところだろうか。グイっと吊り上がった目と、意地悪そうに歪んだ唇、闇に溶け込むような漆黒の髪。
それよりなにより特徴的なのは、その体に巻き付いた毒々しい大蛇だった。
実に……こう、悪趣味な服装だった。
けれど、その特徴的な格好に、ミーアはとある人物を思い浮かべた。
蛇……、蛇を体に巻き付けた女性……すなわちっ!
「蛇の巫女姫……もっ、もしや、あなたが、ヴァレンティナお義姉さまですの!?」
ミーアの問いかけに、女性は、実に嫌らしげに口角を上げた。
「姉の顔もわからないだなんて、ずいぶんと無礼ね。それでアベルと結婚しようだなんて、百年ぐらい早いのではないかしら」
実に底意地の悪そうな顔で、ジロリとミーアを睨みつける。
「それに、そんなにFNYって。昨夜は、ずいぶんと食べていたみたいね」
そう言って長い指で、ミーアの二の腕をぐいいっとつまんだ!
「なっ? で、でも、騎馬王国の食べ物は、体に良いと聞いておりますわ。それに、そうと信じて食べれば、FNYることはないという話をどこかで聞いたことが……」
「迷信ね。迷信極まるわ! そんなので帝国の叡智だなんて、笑ってしまうわね!」
……ごもっともな話ではある。なんの反論もできないミーアである。
ミーアとて薄々は気付いていたのだ。そんな上手い話があるわけはない、と。
「それに、物には限度があるでしょう。信じて食べれば太らないというのが正しいとして……あれでは明らかに食べすぎでしょう」
夢は……、しばしば見る者の願望を反映するものである。
ミーアは、疑いつつも信じていたかったのだ。
心から信じて食べれば、FNYらないと……、信じて、いたかったのだ。
それゆえに、そこに限定をかけた。つまり、ものすごくたくさん食べたらダメだけど、たくさん食べるだけなら信じて食べれば大丈夫なのだ、と……。
条件付けを、無意識にしたのであった。諦め悪く妥協点を探る、ミーアらしい夢といえた。
「それでは、体が重くなって軽やかなダンスのステップを踏むこともままならないでしょう?」
その言葉と同時に、ズンッと体が重くなる。確かにこんなに重たければ、ダンスなんかできそうになくって……。
「で、で、でも……」
「やはり、アベルのお相手として、あなたは相応しくありません。失格です!」
ずん、っと再びの衝撃。そして、ミーアは、悲鳴を上げながら、どこかに落ちていき、落ちていき……。
「おふっ……」
と、そこで目を覚ました。
「なっ、あ、ゆ、夢……ですの?」
ぼんやりとかすむ目をこすりこすり、あたりを見回す。っと、いつの間にやら、自分のお腹の上に、ベルの頭が乗っていて……。
「ふむ……。なるほど、ベルが乗っていたから、体がこんなにも重たく感じたと……」
ミーアはため息を吐きながら、自らの上に乗るベルをどける。頭の下に枕を差し込んでやると……、ベルはにっこり笑みを浮かべて……。
「ミーア、お姉さま……。うふふ、ボク、もう食べられません」
幸せな寝言も、今のミーアの耳には、ちょっぴり痛い。
「先ほどの夢は、食べ過ぎてしまったことによる罪悪感が見せた夢といったところかしら?」
もしくは、なにかの天啓であったのだろうか?
ミーアは、思わず考え、自らの行いを顧みる。
「サンクランドでの出会いが衝撃的だったから、ついつい食べ過ぎている感は否めないところ。さすがは、蛇の巫女姫ですわ。こちらが痛いところを的確に突いてくる。実に嫌味なやつでしたわ……」
敵は蛇である。こんな見え見えの弱点を放置することは、得策ではないだろう。
「これは、運動しなければ、なりませんわね……」
アベルの姉、ヴァレンティナ・レムノとの対決は近づいている。
こちらの弱点を晒さないためにも、アベルとの仲を認めてもらうためにも、シュッとしなければ……。
「なにか、考えなければなりませんわね……。ふむ」
そうして、腕組みするミーアであった。