第百八十一話 続・馬式人生相談
最後にミーアを出しておけばオチになるとか、安易に思っていません。誤解です。
「気分悪いな……くそ」
馬龍は、外に出て一言、吐き捨て、それから思いきり息を吸い込んだ。
胸の奥に渦巻く黒いもやを吐き出そうとするかのように、息を吸って、吐いてを繰り返す。
吹き付ける夜風は冷たく澄み渡っていた。
その冷たさが心地よくて、馬龍は目を閉じ、しばし、その場にたたずんでいた。
そうして、目を開けた時……、ふと、その視界にぼんやりと立ち尽くすラフィーナの姿が映りこんだ。
「ん? あれは、ラフィーナ嬢ちゃんか……?」
その姿に微妙に、違和感を覚える。
ぼんやりとした顔で、うつむいているラフィーナ。その横顔は、ひどく儚げに見えた。放っておいたら、どこかに溶けて消えてしまいそうなほどに……。
「ラフィーナ嬢ちゃん……、どうかしたのか?」
話しかけた瞬間、びくっと怯えたように細い肩が震えた。けれど、馬龍のほうを見て、すぐにホッとした顔をする。
「ああ……馬龍さん……」
その様子を見て、馬龍は気付いた。どうやら、ラフィーナは護衛を連れていないらしい。南都の中にいるとはいえ、自身の立場をよくわきまえているラフィーナらしからぬ行動だった。
いや、それを言うならば、ここに来るまでも、ずっとラフィーナらしからぬ行動が多かったような気がする。
どこか元気がなかったし、物思いにふけっていることが多かったように思えるのだ。
「確か、ミーア嬢ちゃんと一緒に食事に行ってたんじゃなかったか?」
「ええ……。少し、気分が悪かったものだから、夜風に当たりに……」
「護衛も連れずにか?」
「それは……」
言い淀み、再びうつむいてしまうラフィーナ。
――普段であれば、もっともらしい理由の一つや二つ、簡単に思いつきそうなものだが……。らしくねぇな。放ってもおけないだろうな……。やれやれ……。
面倒だな、と頭をかいてから……馬龍は、ふっと苦笑いを浮かべる。
――いや、らしくないのは俺も一緒か……。
普段の自分であれば、きっと面倒くさがらずに、強引にでも事情を聞き出そうとしただろう。放っておくなどということは、頭の片隅にも浮かばなかっただろうから。
「やれやれ……、うじうじ悩むなんて。本当にらしくないな。よし」
頬をパンパンと叩いた馬龍は自分らしいことをすることにした。すなわち……、
「嬢ちゃん、ちょっと馬に乗ろうぜ! 付き合ってくれ」
そう言って、ニカッと笑みを浮かべた!
「…………へ?」
小さく首を傾げるラフィーナに、馬龍は言った。
「俺もいろいろあってむしゃくしゃしてたんだ。一緒に、少し馬を走らせてこようぜ」
そう言って、馬龍は指笛を鳴らす。っと、彼の愛馬がどこからともなく、駆けてきた。
「いえ、でも……あの……」
などと、戸惑いを見せるラフィーナを、馬龍は、ため息交じりに抱き上げる。
「きゃっ!」
「ちょっとごめんよ」
背中に片手を添え、もう片方の手を膝の裏に入れる…………いわゆるお姫さま抱っこというやつである!
「あっ、え……え?」
戸惑ったように馬龍を見つめ、口をパクパクさせるラフィーナ。そんな彼女を、ひょーいっと馬の背の前に乗せ、馬龍はその後ろに乗る。
護衛? そんなの関係ない、関係ない。
馬に乗ってる限りにおいて、馬龍は自由で、どんなしがらみにも捕らわれないのだ。
「しっかりつかまってろよ」
横座りで前に乗るラフィーナが、しっかりと自分の服を掴むのを確認してから、馬龍は馬に指示を送る。
その夜の秘密の乗馬は、こうして始まったのだった。
淡く輝く月。満天にきらめく星々。そこを一頭の馬が進んでいく。
夜の町に、ぱかり、ぽこり、と、のんきな馬の足音が響いていた。
「どうだい? 馬はなかなかいいだろう? ちょっとは気分が晴れたんじゃないか?」
「え……は、はい、ええ……うん」
なにやら、微妙な声を上げているラフィーナ。見れば、じっとうつむいたまま、かっちーんと固まっていた。
「ははは、別に、そんなに固くならなくっても大丈夫だ。落ちそうになったら、ちゃんと支えてやるから」
そう言って笑うと、ラフィーナは……、むぅっとした顔で睨んでくる。
「べっ、別に怖いわけじゃ……」
……と抗議の声を上げるも、すぐに、諦めたように、ふぅっとため息を吐いた。
静けさの中で輝く星々が、ラフィーナの心を開いたのだろうか……。あるいは、馬龍の常識はずれの行動で、なんだか、もうどうでもよくなってしまったからだろうか……。
ラフィーナはぽつり、ぽつり、と話し出した。
「私……自分が信じられなくて……」
「うん……?」
「私は騎馬王国の問題を解決するために来ました。ヴェールガの聖女として……。それなのに、私は、ミーアさんが、慧馬さんのことをお友だちだって言ったことに囚われて……嫉妬して……」
ラフィーナは、小さくうつむいた。
「ヴェールガの娘として……そんなことに気を取られている場合じゃない。こんなのではやっぱりダメだ……。ミーアさんとお友だちになってしまったから、こんなにも気持ちが揺さぶられるんだって、そんなことを考えた時、思ったんです。それなら、ミーアさんとお友だちであることを、やめなければいけないんじゃないかって……こんな風に悩んでいること自体が聖女らしくない。そう思っているのに……わかっているのに、ミーアさんとお友だちをやめたいって思えなくて……、そんなの考えたくもなくって……」
と言った時、ふいに、ラフィーナが言葉に詰まった。その瞳には、かすかに涙が浮かんでいた。
混乱するように瞳を揺らすラフィーナは、迷いなく決断を下す統治者の顔をしていなかった。多くの民から慕われる聖女の顔でもなかった。
「……どうしよう、私……どうすればいいのか、わからない」
小さなつぶやき。葛藤に震える声は、友人関係で思い悩み、途方に暮れる普通の少女のもので……。
「いいんじゃないか? そのほうが人間らしいさ。友を思い、その友にとって一番大切な存在でいたいって考えるのは、人として自然なことだろう。好きな人間と、ずっと友だちでいたいって思うのもな」
などと言うものの、ラフィーナはうつむいたままだった。
「うーん、そうだな……」
うなりつつ、馬龍は考える。やがて「らしくない言葉」で励ますより、ここは、自分の言葉で話すべきだろう、との結論に至り。ゆえに!
「馬に乗る人間の中には、酷い人間もいてな」
「…………へ?」
突如始まった馬談議に、ラフィーナは目を白黒させる。それに構わず、馬龍は続ける。
「正直、馬が可哀想だって思うことがあるよ。人間がいなければ、もっと馬だって幸せなんじゃないかって、な……。でもさ、たぶん、そうじゃないんだろうな」
「どういう……意味ですか?」
「この地は神が形作り、そこに生きる人も動物も神が創造した。そして、我ら騎馬王国には、神の使いにより馬が与えられた。それは、人は馬を飼うものとして造られ、馬は人を乗せるものとして創造されたってことだ。だから、馬にとっての幸福というのは、人とともに生きる先にある。馬の幸せを願うなら、野に放てばいいんじゃない。俺たちが良き馬のパートナーになれるように、考えなきゃならないってことだ。それと同じことさ」
「……え、えと? うーん?」
ラフィーナが、明敏な彼女にしては珍しく、きょっとーんと首を傾げていた。
どこか幼くあどけないその顔がおかしくて、馬龍は笑った。
「つまりな、神が、人を導く「人」として聖女というものを置いたんだろう。それなら、聖女とは「人」であるべきだと思うのさ。馬を従えるように人が造られているのと同じだ。嬢ちゃんは人として、人のままで、人らしく、聖女であり続けるべきなんだ。友のことで悩まなくなったり、判断の邪魔だからって友だちを切り捨てる。そんなのは人じゃないんだと俺は思う」
そう言って馬龍は空を見上げた。
「だから、ラフィーナ嬢ちゃんは、それでいい。そのほうがいいんじゃないか? ちゃんといろいろ悩んで、悲しんで、いい友だちと笑いあう。聖女だろうが民草であろうが、それでいいんじゃないかな」
それから、馬龍はからかうように笑みを浮かべた。
「少なくとも、俺は、そのほうが好きだがね」
「えっ、ぁっ……」
なぜか、目を見開いたラフィーナ。馬龍はその目尻に浮いた涙を、人差し指で拭って……。
「ははは、友だちのことで悩んで泣いちまうぐらいのほうが、年相応で可愛いと思うぞ」
「なっ、こっ、子ども扱い、しないでください」
むぅっと睨みつけてくるラフィーナ。その頬は、ほんのり赤く染まっていた。
――顔色を変えるぐらい怒らせちまったか……。やれやれ、難しいな。
馬龍は苦笑いを浮かべて、肩をすくめてから、
「まぁ、なんにしてもミーア嬢ちゃんは、そういうこと、あんまり気にしないと思うぜ。ラフィーナ嬢ちゃんの悩みごとだって、ちゃんと飲み込んでくれるだろう」
馬龍は小さく首を振った。
「なにしろ、ミーア嬢ちゃんは、馬の心がわかる人だからなぁ。自由気まま、融通無碍、どんなものにも縛られない心がある。本当に、うらやましい限りだよ」
ちなみに、その頃、ミーアはといえば……。
「ふむ……。このバニツィアというお料理は、なかなかですわね。見た目はパンですのに、サクサクとしたパイ生地の中にチーズが練りこんでありますわ。上にのってるお野菜との相性も抜群で……。ほう、塩漬けのお肉をのせて食べるのが伝統……? ふむ、しかし、これは逆に甘いヨーグルトも合うのではないかしら? いろいろ試してみましょう」
自由を満喫していた!
自由気まま、融通無碍、伝統の食べ方に新たなる概念を付加して、新しい食べ方を見つけ出していく食の開拓者。
それこそが、ミーアなのだった。
自然を保護するとは人間が一切その環境に干渉しないことか?
それとも人間が自らを自然の一部と認識し、自らの役割を果たすことか?
みたいなことを考えつつ、書いております。
馬龍は後者が正しいと考えたようですね……。