第百七十九話 ミーアの入城 壮大なる伏線……?
騎馬王国の南都は、この日、静かなる緊張感に包まれていた。
臨時に開かれる族長会議、そこに、失われし一族である火の一族の者を招こうというのだから、緊張が生まれるのは必然ともいえた。
しかも、である。
「どうやら、聖女さまや、帝国のお姫さまもいらっしゃるらしいぞ?」
「帝国のお姫さま? なんでそんな人が?」
「なんでも、火の一族の娘と友人らしい」
などという噂が流れていたものだから、普段とは違った空気が流れていてもおかしくはないだろう。
ちなみに、その情報を流したのは林族の族長、馬優だったりする。
ミーアを馬に乗せて入城させることもそうなのだが、すべては演出の一環である。
長く失われていた者たち、火の一族の者たちが騎馬王国に復帰する……、そんな特別なことが起きてもおかしくはない、という雰囲気を作り、追い風としようというのだ。
さて、そうして、人々の注目を集めつつ入ってきた一団。その先頭を行くのは、十二部族の族長の中で最年長である、風族の族長、光馬だった。
風族は、今でも始祖、光龍より続く伝統を固く守り続けている、遊牧民の中の遊牧民として知られている。一切の定住を嫌い、大平原を文字通り自由に行き来する。平時は春風のように穏やか、されど軽んじるものあれば、吹雪のごとくしたたかに逆撃を加える、まさに、風の一族といえた。
そんな光馬にエスコートされるように入ってきた少女に、人々は首を傾げた。
少女は、見慣れぬ異国の装いをしていた。いや、まぁ、厳密にいえば見慣れないとも言い切れない。南都の住民のほとんどは、レムノ王国の民を見慣れており、その中には貴族も含まれる。
だから、まったく見たことがない、という感じではない。
けれどそれゆえに、彼らは驚きを隠せなかった。
だって、彼らは知っている。
貴族のご令嬢は、あまり馬に乗ったりはしない。
彼らと付き合いがあるレムノ王国やヴェールガ公国においては、そうした常識がまかり通っている。貴族のご令嬢は、むしろ馬の臭いを嫌ったり、乗馬を野蛮なことと考える節がある。
ところが、どうだろう?
あの帝国の姫は馬車ではなく、馬に乗っている。それだけで、彼らがミーアに親しみを覚えたことは想像に難くなかった。
けれど……その興奮は、彼女が乗る馬を見た時、やや盛り下がってしまう。
それは、彼らが最良とする月兎馬ではなかった。その足は月兎馬のように、長くしなやかではなかった。どちらかといえば、短く、太く、たくましい印象だった。
その毛は、月兎馬よりももっと長く、もっさりした印象が強い。
その目は、ぼんやりと眠たげで、疾く駆ける馬というよりは、のんびりと草原に寝そべっているほうが似合いそうな馬だった。
騎馬王国の民にとって、族長の格というのは、乗る馬によって決まる。
その判断基準から言えば、ミーアは、決して敬意を払うべき相手ではなかった。
無論、相手は騎馬王国の姫ではない。どのような馬に乗っていようと、普通は気にしないところである。されど、ミーアがあえて馬に乗って入城するという演出をしてしまったがゆえに、その場に集う者たちは誤解してしまった。
彼女が自分たちと同じ価値観に生きる者であると……。
されど、そんな彼らの関心はすぐに別のものに移った。それは、ミーアの斜め後ろを行く火の一族の族長の妹、慧馬……の乗る馬!
「見事な馬だ……」
その馬を見ただけで、彼らは慧馬が自分たちの血族であることを、確信した。
始祖、光龍より受け継ぎし駿馬。その血を守り、絶やすことなく今日まで来たことは、彼女の乗る馬、蛍雷を見ればわかった。
その見事な毛艶、美しく引き締まった筋肉、澄んだ瞳と、しゅっと鼻筋の通った気品のある顔。この馬がどれほど大切に育てられたか……。この馬の乗り手が、どれだけ馬を愛しているのかが、手に取るようにわかったのだ。
なるほど……、彼女は確かに自分たちの遠縁。始祖を同じくする者だ……。
失われていた者、自分たちの兄弟……。その帰還がなにをもたらすのか、人々がそんなことを気にしている一方で……ミーアは、といえば……。
――ああ、よかったですわ。注目がそれていく。
ちょっぴりホッとしていた!
そうなのだ、ミーアは、「乗馬で入城したらいんじゃね?」なぁんていう口車と馬に乗せられてしまったわけだが……。
前を行く光馬老を見て、ふと気付いてしまったのだ。
自分の、つたない乗馬術を披露するのは……、どうなのだろう? と。
ミーアは、確かに自分が、かなり馬に乗れるほうだと思っている。セントノエルに通う令嬢たちの中でも、帝国内を見渡しても、ミーアほど馬に乗れる令嬢はほとんどいないだろう。
けれども、ここは騎馬王国。
老いも若きも男も女も、馬に乗る国なのである。そのことが、エスコートを買って出た光馬を見ることで、まじまじと実感できてしまったのだ。
――こんなおじいちゃんまで軽々と馬に乗るような国においては、わたくしの乗馬技術など児戯も同じ。くぅっ……、調子に乗っていたのが、恥ずかしい限りですわ。
一度、気付いてしまえば、それが気になって仕方なくって……。余計に体が硬くなってしまう悪循環。
自らが醜態をさらしている自覚があったミーアとしては、視線が逸れるのは、願ったり叶ったりだったのだ。
かくて、様々な思惑を背負いつつ、ミーアたちは南都への入城を果たす。
この入城が、帝国の叡智の壮大なる伏線であったのだ、と後々思い知らされることに……、人々は未だ気付いていなかった。