百七十八話 真ミーアの馬観~ミーア姫、不心得者に馬についての悟りを授けん~
騎馬王国の南都は、簡易ながらも城壁を持つ、れっきとした町である。
十二部族のどの部族であれ優劣を認めず、等しい立場として並立することを旨とする、その特殊な国の成り立ちから「王都」という呼び方はしていないが……、それでもその規模は小国の王都と呼んでも差し支えないほどのものであった。
ミーアたち一行は、その南都の周辺に広がる草原で休憩を挟んでいた。
さすがに長時間の乗馬に、ミーアはたっぷり疲労して、すっかり元気がなくな……
「ふむ……。いい運動をしましたわ。心なしか、少しシュッとしてきたのではないかしら?」
……ってはいなかった!
むしろ、満足そうに、二の腕をFNYっとしたりしている。
「……あら? 妙ですわね。あまり変わってないような……」
ミーア、しばし悩んで……それから考えるのをやめる。あまり気にしないほうが心の健康のためにはよいだろうと、ミーアの本能が告げていたためだ。
「それにしても、ものすごい数の馬ですわね……」
草原には、たくさんの馬たちが群れをなし、のんびーりと草を食んでいた。
ついつい端から数えたくなるのを我慢しつつ、ミーアは腕組みする。
「さすがは騎馬王国ですわね。馬がたくさんですわ。あの群れは、野生の馬かしら……。見事なものですわね」
などとつぶやいていると、
「わははは。あれは雑種ですよ」
突然の笑い声。そちらに目を向けると、壮年の男が歩いてきていた。その隣には馬龍の姿もあった。ということは、騎馬王国の人間だろうか。
――ふむ、髪は馬龍先輩と同じ黒ですし、騎馬王国の民の特徴はございますけれど……。それにしては、服の感じがちょっと違いますわね。まるで、わたくしたちと同じような服ですわ……。
ともあれ、相手は初対面。ここは、自己紹介の一つでもしたほうがいいだろうか……、などと思っていると……。
「ははは。帝国の叡智の名は、我らの一族にも漏れ聞こえてくるというのに、いささか不見識。良い馬を見たことがないとみえる」
いきなりの喧嘩腰だった!
「富馬殿、それは……」
と、しかめっ面で嗜めようとする馬龍。けれど、それを待たずしてミーアは口を開いた。
「あら、それは心外というものですわ。わたくしは、ヴェールガ公国の学園で、月兎馬にも乗らせていただいたことがございますのよ?」
あの荒嵐と築いてきた日々を、ミーアが忘れたことはない。それに、花陽や夕兎もそうだ。男の言葉は荒嵐たちをはじめ、ミーアが乗ってきた多くの馬たちに対する侮辱である。それには、さすがに黙っていられないミーアである。
こういう時に怒れない騎手をどの馬が助けてくれようか? どの馬が、ともにギロチンから逃げてくれるというのだろうか?
ことは、馬のモチベーションにかかわる問題なのである!
「ヴェールガの学園で? 騎馬王国の民ではない姫君が月兎馬に乗った? ああ……、そういえば以前、ヴェールガ公国へと馬を贈った一族があったと聞くが……。きっと月兎馬といっても、いくつかの血の混じりあった雑種。純血を保った我が一族の馬たちとは比べ物になりますまい。駄馬に変わりはないでしょう」
その口調に、ミーアは割とムッとする。けれど、すぐになにかに気が付いたのか、小さく息を吐いて首を振った。
――わたくしとしたことが……。いけませんわね。無知による無礼に目くじらを立てるのは、詮無きことですわ。
目の前の男の言いようも、モノを知らぬが故の言葉。そう、男は知らないのだ。馬にまつわる真実というものを。
ならばむしろ、正し、諭すことこそが知る者の務め。
ミーアは余裕溢れる笑みを浮かべて、男を見つめた。
「ふふふ、それは、浅はか……浅慮というもの。道理をわきまえぬ者の言葉ですわ」
「なっ!?」
ミーアの言葉が意外だったのか、口をポカンと開ける男に、ミーアは穏やかな口調で続ける。
「どんな馬でも馬は馬。我らを遠くまで運んでくれる、偉大なるものですわ」
そう……ミーアは知っている。馬は……とってもイイモノなのだ。
どんな馬であれ、いれば乗って逃げることができる。もしいなければ、なにかあった時に自分の足で逃げなければならないではないか! それは、疲れるではないか!
さらに言えば、どんな馬であっても、少なくとも自分よりは速いことをミーアは知っている。
もしも、ミーアに負ける馬がいたとするならば、それは馬ではない。馬に化けたクラゲかなにかなのだ。
だから、ミーアはどのような馬に対しても敬意を失うことはない。
仮に、ミーアに無上の忠誠をささげる近衛がいたとして……、ミーアを背負って隣の国まで歩いていくことが可能だろうか?
考えるまでもなく、できるわけがない。
帝国最強の騎士、ディオン・アライアであったとしても、そんなことは不可能……。
――いや、そういえばディオンさんは、わたくしを抱えて、森から脱出したことがございましたっけ……。とすれば、もしやわたくしを小脇に抱えて国境を越えることも可能かもしれませんわ。わたくしも、実は意外と軽いですし……。
……とまぁ冗談はさておき、ともかく、ミーアにとって馬とは、どんな個性を持っていたとしても、敬意を払うべき存在なのだ。
けれど、それに気付けたのは、ひとえに前の時間軸での経験があったから。
だからこそ、ミーアは物知らぬ男に……、山族の族長、富馬に諭すように言うのだ。
「馬は馬。馬に貴賤などないのですわ」
「ほほほ、これはこれは。富馬殿。一本取られましたな」
そこに新たなる闖入者が現れた。
声のほうに視線を向けると、一人の老人が歩いてくるのが見えた。穏やかな笑みを浮かべた老人は、ミーアの前までやってくると、深々と頭を下げた。
「遠路はるばるようこそいらした。ミーア・ルーナ・ティアムーン姫殿下。わしは今回の族長会議を取り仕切らせていただく、風 光馬と申すものじゃ」
「これは、ご丁寧に。ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
乗馬用のズボンをちょっこりと持ち上げるミーアに、老人は満面の笑みで答えた。
「ほっほっほ、しかし、姫殿下はさすが帝国の叡智と呼ばれるだけはある。実に深いご高察……。感服いたしましたぞ。もしや、あれが姫殿下の馬でございますかな?」
老人の指さす先には、ここまでミーアを運んできた馬、東風の姿があった。
「ええ。そうですわね」
「なるほど。先ほどのお言葉を証明するに相応しき馬ですな。どうでしょう? よろしければ、この老人に、南都までのエスコートを務めさせてはいただけませぬか? 懐かしき我らが同胞とも、轡を並べられれば、無上の喜びなのですがな……」
「そうですわね。別に構いませんけれど……」
ミーアは小さく首を傾げつつも、人の好さそうな老人の笑みを見つめた。
その様子を見て、馬龍が苦々しい顔をしていることに、ミーアが気付くことはなかった。
再開します。