第五十四話 キースウッドも冴え渡る!
シオン・ソール・サンクランドは、鍛錬場で素振りをしていた。
その剣筋は鋭く、大人であっても、並の兵士には太刀打ちできないほどの高みへと到達しつつあった。
鋭い踏み込みからの横薙ぎを放ったところで、ぱちぱちと拍手が聞こえてきた。
「朝から頑張ってるねぇ、王子殿下」
「キースウッドか。相変わらず、気配を消すのが上手いな。誰が来たかと思った」
従者の出現を機に、一息入れようと思ったのか、シオンは模擬剣を置き、汗をぬぐう。サラサラとした髪から飛び散った汗が、キラキラと日の光を反射していた。
こういう仕草に、心を奪われる女子は多いんだろうなぁ、なんて思いつつ、キースウッドは口を開いた。
「で、誰にお弁当もらうか、決めたのかい?」
「誰にもらう予定もない」
唐突な問いかけに対する王子の答えはにべもない。
シオン王子のもとには、すでに数十人の女子から、申し出が届いていた。けれど、シオンは、その一つ一つを丁重にお断りしているのだ。
「おや、ということは、もしや俺の手作り弁当をご所望で」
キースウッドの軽口に、シオンはにやり、と悪戯っぽい笑みを返す。
「そうだな。たまにはお前の料理も味わってみたいものだ。国にいるときはよく作ってくれただろ?」
子どもの時から徹底した帝王教育を施されてきたシオンは、その食べ物にいたるまで厳しく管理されていた。
聡明で聞き分けの良いシオンは、一度として、その味気ない料理に文句を言ったことなどなかったが、親友たるキースウッドにはよく不満をこぼしていた。
そこで、キースウッドは、夜な夜な調理室に忍び込んで、夜食を作ってシオンに届けた。
その結果、シオンがむし歯になって二人で怒られたのは良い思い出である。
「こっちは善意でやってるのに、ずいぶん文句を言われた気がするんだが……」
「当然だな。なにしろ、俺は大国の王子殿下だぞ? 味にはこだわるさ」
おどけて笑みを浮かべてから、シオンは言った。
「まぁ、冗談はおいておくとして。手配はしてあるんだろう?」
シオンは誰かから弁当をもらおうとは思っていない。サンクランド王国の王子という肩書は、影響力が大きい。大きすぎるのだ。
気軽に特定の誰かと仲良くしてしまっては、後々、国にとって不利なことがあるかもしれない。
――なぁんてこと、考えてるんだろうなぁ、我が主さまは。
はぁ、とため息をつき、キースウッドは肩をすくめた。
――まぁ、間違っちゃいないんだが、もう少し肩の力抜いてもいいんじゃないかねぇ。
シオンとて、年頃の少年だ。かつて、美味しいものが食べたいと不満をこぼしたように、今回も、誰からもお弁当をもらえないことを寂しく感じてはいないだろうか。
「なにか言いたそうだな」
「いえいえ、べつに」
ひらひらと手を振りながら、キースウッドは鍛錬場を後にした。
「……しっかし、シオン殿下がもらっても大丈夫な人って言ったら、限られるからなぁ」
第一候補として思い浮かぶのは、サンクランドと同格の大国であるティアムーン帝国の姫君の顔だった。
「ミーア姫が申し出てくれたら、シオン様も断らないような気がするが……」
残念ながら、あの聡明なる姫君は、アベル王子に弁当を持っていく約束をしているらしい。キースウッドは未だに理解できないながら、彼女はアベル王子にずいぶんとご執心なのだ。
「あっ、キースウッドさん、ちょうどいいところに」
ふいに呼び止められて、キースウッドは振り返る。
「これは、ルドルフォン伯爵令嬢」
声をかけてきたのはティアムーン帝国の辺土伯爵の令嬢、ティオーナ・ルドルフォンだった。
「本日はどのようなご用向きで?」
「ええ、実は……」
話を聞いたキースウッドは、内心で思わずうなってしまった。
――三人の合作で、そのうち一人は低位の貴族、もう一人は貴族に成り上がった商人の娘。さらに、あげる相手がもう一人いる、ねぇ。
確かに、それならば、シオンが特定の女子と恋仲、などと言う厄介な噂を立てられずにすむ。しかも、それでいて、ミーア姫からの友好の意志だけはしっかりと伝えることができる。
――さすがはミーア姫だなぁ。
二重にも、三重にも張り巡らされた思惑。
なるほど、帝国の叡智は衰えを知らないな、などと感心しかけたキースウッドだったが……。
ふいに、ぞくり……と。
背筋に冷たいものが走った。それは悪寒、もしくは世間一般で言うところの虫の知らせというやつだったかもしれない。
なんだか、自らの主に、大変な危機が迫っているような……。今ここで、自分が頷いてしまったら、剣術大会が大変なことになってしまいそうな、そんな圧倒的な予感。
目の前でニコニコしているティオーナから、悪意は感じられない。けれど、
――一応、様子だけは見させてもらうか?
かくして、主の体調に切実な危機が迫っていることを察したキースウッドは、ミーアの料理隊に参加することになる。
彼の英断が、シオン王子、アベル王子の体調を守るために、多大なる貢献をしたということは、関係者の誰一人気づかない事実だった。