第百七十七話 それぞれの馬観2 ~山族の父娘の場合~
「むふふ……ふふふ」
狭い室内に、野太い男の声が響いた。
「ああ……なんと素晴らしい。この美しい栗色の毛……、この引き締まったお尻……ああ、実に、たまらん!」
すらりとした美しい脚をペタペタ撫でながら、男はニヤニヤ~と溢れんばかりの笑みを浮かべる。
「ああ……なんと愛しい。お前こそ我が娘。我が愛娘だ」
そうして、男は、目の前に立つ義理の娘のシュッとした鼻先に口づけする。と、長いまつ毛の奥、澄んだ瞳が、まっすぐに男に向けられた。潤んだ美しい、まるで宝石のような瞳に、男は、おふーっと満足の吐息をこぼす。
「ああ、なんと美しい。美しいなぁ。待っていろよ、もうすぐまた、新しいお友だちを連れてきてあげるからね。くふふふ」
「父上……大変におキモい……ですの……」
不意のツッコミに男――山 富馬は素早く振り返る。と……、シラーっと冷たい目を向ける、実の娘が立っていた……。
厩舎の入り口のところに立って、やれやれ、というように首を振っていた!
「なにを言うか? 馬の鑑賞は雅なる趣味。見よ、この完璧な毛並み。シュッとしたボディラインと、長い脚。月兎馬の中でも彼女ほど美しいものはいない。これに見惚れるのは、人として当然のことではないか!」
そうして富馬は、眼前に立つ義理の娘こと栗毛の馬を指さし、抗議の声を上げる。が……、
「父上……非常に、おキモい、ですの……」
娘の態度は変わらなかった。むしろ、より呆れの色を濃くしていた。
だが……それも仕方のないことなのかもしれない。
すっかり外国にかぶれた娘は、今やヴェールガ公国のドレスに身を包み、背中まで伸ばした髪にはミラナダ王国のリボンがついている。十代の半ばという、年頃の娘である。オシャレをしたいのは、当たり前のことではあるのだが。
――昔は、馬に乗って草原を駆け回っていたものだが……。
富馬は、なんとも寂しく感じてしまう。
――今となっては十日に七日ほど馬を乗り回すだけになってしまった。ああ、嘆かわしいことだ。
……割と乗っていた!
「いいか? 娘よ。我らは騎馬民族である。馬の数により、権勢を誇るべきだ。外国から良いものを取り入れること、それ自体は賢明な判断ではあるが、大事なところを取り違えてはいかんぞ? 馬がすべて、馬こそ命なのだ!」
騎馬王国十二部族の一角、山の一族。
最大勢力である林族に次ぐ規模を誇るこの一族は「南都」を守る、町守の一族である。積極的に他国とも交流を図り、いろいろな文化を取り込む、開明的で豊かな一族としても知られる。
レムノ王国の軍部とも近しい関係を持ち、騎乗指導のために、何人もの乗り手を派遣してもいた。
そんな事情もあり、伝統的で、しばしば保守的な傾向が目立つ騎馬王国にあっては、比較的、他国の文化を取り入れる一族であった。
そして、その族長である、山 富馬は、生粋の馬好き、通称ウマニアとして有名だった。
「父上は誤解しております、ですの? 私は、別に馬が嫌いではありません、ですの?」
外国っぽい言い回しが、いまいちしっくりこないのか、首を傾げる娘である。ともあれ、確かに、実際問題、町守である山の一族においては、馬に乗る頻度はそこまで多くないわけで……。十日に七日、馬に乗って遊んでいるという娘は、ウマニアの族長に相応しい馬好きであるわけなのだが。
「ただ、私は、父上のように、馬を閉じ込めて愛でることが好きではないだけですの。あ、今の「ですの」はいい感じ……ですの」
満足げに頷く娘に、富馬は、やれやれ、と首を振った。
「まったく、なにを言っているのだ……。俺の馬を継ぐのはお前以外いないというのに。まぁ、いいさ。我が宝がもっと充実していけば、お前にもわかる日が来るだろう。ふふふ、ここに火の一族の宝馬が加われば、我が宝も、さらに充実しようというもの。ああ、実に楽しみだなぁ。むふふ」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた富馬だったが、ふと思い出したかのように、娘のほうに顔を向けた。
「して、何事が起きた?」
「ああ。ええ、そうでしたの。林族の馬優族長から、使いの者が来ましたの」
「ほう。お人好しの馬優が? なにを言ってきた?」
「父上がご執心の様子だった、火の一族のことについて……」
「なにっ!?」
ギクッと肩を震わせる富馬。それを見て、娘はため息を吐いた。
「なにか、またよからぬことをしていたんですの?」
「そそ、そんなことはないぞ? 俺はあくまでも、良い馬は持つべき者が持つものであるという考え方から……」
じっとーっと娘に見つめられ、富馬は続ける。
「そっ、それに、悪いことはしていないぞ? ただ、金と食い物の代わりに馬を差し出せと言ったまでのこと」
それを聞き、娘が、ああ、っと天を仰ぐ。
「同族から馬を買う? それは実に族長会議で問題になりそうですの。というか、先に、火の一族が困ってた時に、羊を高値で買っていたのは、そのためだったんですの?」
羊やヤギは、重要な食糧源である。普通に飼っていれば子を産み、数も増えていく。持ち続けていれば、増えていく財産といえる。
けれど、一時の困窮からそれを手放してしまえば、後に残るはただの金。使えば消えるのみの、金なのだ。
「食べ物がなくなって、困ったら馬を売るだろうと思ったんですの?」
娘に詰め寄られ、富馬は、目を白黒させる。
「いや、その……な? 馬好きなら、わかるだろう?」
そんな父の様子に、娘ははぁあ、っとふかーいため息を吐いて、
「これは……、族長会議で締め上げられそうですの」
呆れたように首を振るのだった。
ということで、来週一週間はお休みといたします。
また、22日に再開できたら……いいなぁ、と思います。