第百七十四話 炸裂せよ、自分ファースト!
活動報告にも載せましたが、来週一週間、お休みにいたします。
かくて、会談は終わった。
とりあえず当面は、騎馬王国十二部族と火の一族との関係修復に焦点を当てて行動していくということで、話はまとまった。
林族の伝令が族長、馬優に連絡を取りに行くとのことで、あと数日はこの地にとどまることになりそうだった。
「ううんっ……」
外に出たミーアは伸びをしつつ、うなり声をあげた。背筋をぐぐいっと伸ばすと、ポキポキっと体が鳴った。
長時間に及ぶ話し合いで、体がすっかり固まってしまっていたからだ。
別に、運動不足で体がなまっているわけではない。
「おぅふ……」
などと、ちょっぴりアレな吐息が口からもれたりするが……、決してなまっているわけではないのだ。
「さて……、それにしても、これはなかなかに難題ですわね。どうしたものか……」
とりあえず、ルードヴィッヒも一緒に話を聞いていたので、今回は特に説明をする必要もないだろう。馬龍には、混沌の蛇のことを説明しなければならないだろうが、その辺りはラフィーナに任せるとして……。
――あとはリーナさんには少し話しておいたほうがいいかもしれませんわね。蛇の事情には詳しいでしょうし。
などと考えている時だった。その視界の端を、アベルが横切って行った。
「あら? アベル……?」
どこか悲痛な表情で、まっすぐに馬のほうへと向かっていくアベル。その横顔を見て、ミーアの胸に警鐘が鳴り響いた。
アベルは周囲に視線をやってから、自らの従者に声をかけた。
「ギミマフィアス、来てくれ」
「アベル殿下。どうかされましたかな?」
呼びかけに応じ、ギミマフィアスが近づいてくる。
「出立する。すぐに準備を」
「アベル、ちょっと、お待ちになって。どこに行こうと言うんですの?」
慌てて、ミーアが話しかけると、アベルは厳しい顔で見つめてきた。
「ミーア、すまないが、ここでお別れだ。ボクとギミマフィアスは、ヴァレンティナ姉さまのところに行こうと思う」
「ちょっ、アベル。そんな、心配になるのはわかりますけれど、二人だけで行こうだなんて、そんな……」
唐突に、アベルは笑った。自嘲するような、無理やりな笑みを顔に張り付けて……、
「はは……、心配? 違うよ、ミーア。そうじゃない」
静かに首を振ってから、アベルは続ける。
「姉上が、もしも、混沌の蛇に囚われているのだったら、ボクは君の言うことに従うよ。それが一番、助けられる可能性があるって思えるからね。でも……」
ギリッと、歯を食いしばって、アベルが目を逸らした。
「でも、違った。ヴァレンティナ姉さまは……巫女姫になっていた。ただ、影響を受けて、その構成員になったというのでもない。姉さまは、混沌の蛇のトップに立っていたんだ。許せると思うかい? 姉さまは、君を殺そうとしたんだぞ?」
そう言われ、ミーアも気付く。
聖夜祭の日。命を狙ってきた、狼を連れた男……。
――あれが火馬駆だったとしたら、確かに、ヴァレンティナお義姉さまが関係している可能性は大いにありますわね……。いや、でも、あれはバルバラさんの独断だったような気もしますけれど……。
「君が、火の一族と騎馬王国十二部族との和解を優先したいというのはわかった。たぶん、それが一番正しいやり方なのだろうし、血も流れずに済む方法なんだろう。でも……、ボクは悠長に、それを待っていることはできない。姉さまのしたことは、ボクがけじめをつける。このボクの手で姉さまを……」
歯を食いしばり、吐き出すようにして、アベルは言った。その顔は、言葉から溢れる激怒とは裏腹に、とても悲しげで……。
「アベル……」
それを見たミーアは……思わず、感動してしまった。
アベルが怒っているのは、ほかならぬ自分のためだったからだ。
もちろん、それだけではないだろう。巫女姫の手による犠牲を思ってのことであるだろうと思うけど……、それでも、不謹慎ながら、こう……少しだけ嬉しくなってしまって……。
自分のために、真剣に怒ってくれたその気持ちが嬉しくって、だから……だからこそ、
「アベル、あなたに、お姉さまを殺させはしませんわ」
言葉は自然に、こぼれ落ちた。
アベルの顔が苦悩で歪むのが嫌だった。こんな風に悲しそうに、怒っているのが、見ていられなかった。
なにより、ここで彼を行かせてしまったら、二度と、会えないような……そんな気がしたから。
かつて見た……、血まみれの日記帳のにじんだ文字が目の前を過ぎる。
今ならばわかる。あれは、あの時は、確かに自分は泣いたのだろう、とミーアはわかった。自分を助けに来てくれたアベルが討ち死にしたと知って、きっと泣いたに違いない、と。
そして、そんな気持ちは絶対に味わいたくないと思った。だから……、
「あなたが一人で行って、一人でケリをつけて、一人で傷つくこと……そんなことは絶対に許しませんわ」
そうしてミーアは、後ろからアベルをギュッと抱きしめた。逃がさないというように思いっきりホールドする。
あれだけ、たくましくなったと思った少年の体が……、なぜだろう、今は、出会ったばかりの時のように、幼く、頼りなく思えた。
「わたくしのほうが上手くできるとか、できないとか……、自分の手でけじめをつけるとか、そういうことは全部捨てて……、ただ、わたくしのためだけに、行かないで」
ミーアは、自分ファーストな姫だ。今のアベルにかけられる言葉なんか、ほとんどないと知っている。たぶん、今の彼には口先だけの言葉は通じない。
だからこそ、ただ自分の精一杯をぶつけるのみ。
精一杯の自分ファーストを押し付けるのみ。それこそが、ミーアにできる唯一のこと。
すべての理屈を飲み込んで、ただ「自分のためだけに行かないでほしい」と、その願いだけを込めて、
「ミーア姫殿下……。あまり、アベル殿下を困らせないでいただけますかな?」
声をかけていたのは、傍らで聞いていたギミマフィアスだった。レムノの剣聖の声は、静かで、穏やかで、されど高波のような圧迫感を持っていて……。
けれど、その迫力にミーアが飲み込まれる前に、別の声が響いた。それは、
「ははは、そいつは、いささか無粋ってもんでしょう。ギミマフィアス殿」
帝国最強の騎士、ディオン・アライアが、まるでミーアたちを守るようにギミマフィアスの前に立った。それから、彼はアベルに目を向け、
「アベル殿下。それは殿下の負けでしょうね。姫さんのために怒って行こうとしてたんだから、当の姫さんに行くなと願われたら、行くわけにはいかないんじゃないですか? それに、前に言いましたよね。うちの姫さんを泣かすなって。このお人は、殿下が行ってしまったら、一人で馬に乗って後を追っていくような性格……ってことはご存じでしょう? それでも行くおつもりで?」
「それは……」
言い淀むアベルに、ディオンは苦笑する。
「ここは、堪えてもらえませんか?」
「ディオン殿……。しかし……」
「ここは、少し落ち着くのがよろしいのではないでしょうか?」
そこで、さらなる乱入者がいた。すまし顔で声を上げたのは、シュトリナ・エトワ・イエロームーンだった。
「アベル殿下は冷静さを失われているご様子。お茶でも飲んで、一息入れましょう。あちらにお茶の席を用意しましたので……」
シュトリナの、その可憐な花のような笑みに、ミーアは、不意にナニカを感じ取り……、すすっとさりげなく近づいて……、
「リーナさん、もしやと思いますけれど……お茶になにも入れておりませんわよね? 眠くなる薬とか、体がしびれる薬とか……」
尋ねると、シュトリナは……、ちょっぴり傷ついた顔をした。
「ひどい……。もちろん。途中で大丈夫そうだなと思ったので、気持ちを落ち着けるためのものに変えました。だから、ミーアさまも飲んでも大丈夫ですよ」
「そう。それは疑ってしまって、申し訳ありま……? 変えた?」
「うふふ……」
笑みを浮かべるシュトリナ。ミーアは、まぁ、あまり突っ込まないほうがいいだろう、と思い直して、アベルのほうを見た。
「……まぁ、ともあれ、大丈夫ですわ。アベル。わたくしが必ず、あなたのお姉さまを取り戻してみせますわ」
そんな一同のやり取りを、ギミマフィアスは黙って見ていた。
ディオンから横やりを入れられた形となった彼は、ただ静かに、アベルの様子を見つめていたのだ。
アベルの姉を取り戻す……、その選択の重さを、その言葉の意味を……、ミーアが実感するのはもう少し先のことになる。そして、それは……。
ずっと内緒にしていましたが、このお話は異世界恋愛タグなのです……。