第百六十七話 頑張り、悟って、諦めた
「此度のこと、かえすがえすも感謝しかない。我らの一族を助けていただき感謝する。が、しかし、なぜ、このようなことを?」
重たい口調で、狼花が言った。
「それは聞くまでもないことだ。もともと火の一族と林の一族とは、同じ父母から生れ出た同胞。困ってる時に助けるのは当たり前のこと……」
と、馬龍が答えたのに対して、狼花は薄く笑って首を振る。
「馬鹿にしないでもらおうか。林族の若者よ。なんの報いもなく助けてもらえる……そのように甘い話があるなどとは、さすがに思ってはいない。我らは……そこまでは甘くはないぞ」
硬い表情で言う狼花。その岩のような重厚な雰囲気に、ミーアは思わず気圧され…………はしなかった。やっぱりしなかった。
なにしろ、昨夜、満面の笑みで食べていた人である。はふほふ言いながら、一緒に食べてたのをちゃーんと目撃していたのである!
――昨日の宴会がなかったら、まったくイメージが違っていましたわね。第一印象って大事ですわ。ふむ……わたくしも気を付けねば……あら?
その時……不意にミーアの脳裏に、昨夜の出来事が過ぎる。
『やめにしませんこと? そういう、どうでもいい話は……』
などと、ちょっぴり突き放すように言ってしまったのだった。
――やはり、あれは……あまり良くなかったかもしれませんわ。
上手く誤魔化せたとは思うし、たしかに相手は笑って、気にしない風ではあったのだが。
――しかし、相手はご老人。わたくしのような、若造の無礼を笑って流せるだけの度量を持っているかもしれませんわ。となれば、笑ってはいても、マイナスの印象を抱かれてしまった可能性は否定できませんわ。
ミーアは、ふとルードヴィッヒのほうに目を向ける。っと、ルードヴィッヒは真剣な目でこちらを見つめていた。瞬間、ミーアの背筋がゾゾゾっと冷える。
思わず想像してしまう。
もし仮に、昨夜の自分をクソメガネが見ていたとしたら……。
――き、きっとものすごい勢いでお説教をされたに違いありませんわ。いいえ、今のルードヴィッヒであっても、昨日のはきっとお小言を食らうはず……。
お腹が空いていたとはいえ、少々やらかしたかもしれないぞぅ、っとミーアは改めて実感する。
今、必要なことは相手の信頼を勝ち取ること。そうして、混沌の蛇のことを聞き出すことである。けれど、昨夜のやらかしで、スタート地点がマイナスになってしまった可能性が濃厚である。痛恨のミスといえるかもしれない。
――これは……なんとしても、挽回しなければなりませんわね。良い印象を抱かれるよう、頑張らねば。
こうして、ミーアは、本日の自身のスタンスを決める。
中立より、ほんのちょっぴり、火の一族寄りの立ち位置。そうして、相手の信頼を勝ち取る。
ダンス名人のミーアにとっては、微妙なバランス取りはお手の物なのだ。
ということで……。
「慧馬は、友情による支援と言っておりますが、それを信じ込むほどに初心だと思われるのは、いささか心外というもの。そちらにおられるミーア姫殿下、それに、聖女ラフィーナさまについても同じこと。なにか、我らを助けることで得ようとしているものがある……。そうではありませんかな?」
「あら、そんなことはありませんわ。慧馬さんとお友だちなのは事実。そして、お友だちを助けるのは当たり前のことですわ!」
慧馬とお友だちアピールをする。熱烈にアピールする! 次いで、
「馬龍先輩とて同じこと。同胞が困っている時に手を差し伸べるのは当たり前のことではありませんの?」
馬龍が頷くのを確認する。
これにより、火の一族が、無償で支援を受けることの確約とする。きちんと役に立って見せる。
そうして、ミーアはラフィーナにも目をやる。
友のため、あるいは血族のために、労力を惜しまないこと。それは紛れもない善行であり、ゆえに、ラフィーナもニッコリの、完璧な答えのはず……、と、それを確認しようとしたミーアであったが、直後に首を傾げる。
なぜだろう……ラフィーナは、ちょっぴり不機嫌そうな顔をしていた。
――あ、あら? おかしいですわ……。別にまずいことは何も……。
さらに、ミーアは気付く。ラフィーナだけではない。狼花もまた、あまり納得していないような顔をしていた。
――なっ、なぜですの? これは……、こんな美味しい話ですのに、どうして喜んでいないんですの? こっ、これはいったい……?
ミーア、思わず混乱する。想定とは違う周囲の反応に、危機感を大いに刺激される。
――もしかして……ですけれど、やっぱり昨日のアレ……、結構、ダメだったのかしら?
たしかに、無礼な態度ではあったと思うが……ということは、初手でもっと謝罪色を強くしなければならなかった?
などとアワアワし始めるミーアに、不意に話しかける者があった。
「失礼いたします。ミーアさま、少しよろしいでしょうか?」
静かな、落ち着いた声……。けれど、ミーアはその声に肝を冷やす。
ちらり、と視線を向けると、そこには……、キラリと眼鏡を輝かせるルードヴィッヒの姿があった。その顔を見て……ミーアは悟る。
――あ、ああ……、これ、前の時間軸でよくあったやつですわ……。る、ルードヴィッヒがフォローしなければならないほどのミスを、わたくしが犯してしまったということですわね……。
これは後でお説教、確定かしら……? いやだなぁ、いやだなぁ、と思うが、こればかりは仕方ない。それに、下手に粘って、より取り返しがつかない事態を招くのは、さらなる悪手である。
ルードヴィッヒが任せろ、と言い出した時には、素直に全部投げてしまうのがよいのだ。
諦めと悟りの境地に至ったミーアは、ちょっぴり脱力しつつ、
「……では、ルードヴィッヒ、お願いいたしますわ」
ポーンっとルードヴィッヒに丸投げした。
それを受け、ルードヴィッヒは一つ頷いてから、軽く眼鏡を直した。
「では……、ミーアさまに代わって、僭越ながら私のほうから……」