第百六十六話 おねえさんのことを聞くために
さて、翌日のこと。
馬車の中で一夜を明かしたミーアは、ふわぁ、っと欠伸をしつつ、のっそりと起き上がる。
「ふむ……」
一つ伸びをしてから、ミーアは軽くお腹をさすった。
「不思議ですわ。なんだか、ヨーグルトを食べ始めて以来、ちょっぴり調子がいい感じがしますわね」
なぁんて独り言をこっそり聞いていたアンヌが、シュシュっと動き出し、ルードヴィッヒと馬龍に相談したうえで、帝国でも新鮮なヨーグルトを食べられるよう手配したのは、また別の話である。
ミーアの片腕が、勝手に動いて、ミーアの体に良い食べ物を集めてくるのは、比較的よくある出来事であった。
ミーアの美容と健康には余念がない俊敏腕のアンヌである。
まぁ、それはさておき……。
気分爽快な目覚めをしたミーアのもとに、慧馬が訪ねてきた。
「ミーア姫、起きているか?」
「あら、慧馬さん。ご機嫌よう」
にっこり微笑みつつ、出迎えたミーアに、
「長老が挨拶をしたいから、こちらにお訪ねしてもいいか、と言ってる」
「あら……? ここに来るんですの……?」
なるほど、ミーアの側から挨拶に来いと言うのは、当然礼を失することになる。それゆえ、自分たちのほうから挨拶に行きたい、ということなのだろうが……。
「ふぅむ……。それでしたら、わたくしのほうからお訪ねいたしますわ」
ミーアはあっさりと言う。
ミーアの乗る馬車は、皇女を乗せるためのものだけあって、きわめて快適。お客人を迎えるにも問題ない造りをしているが……少々狭い。
一対一で会うならばともかく、ラフィーナや馬龍、アベルも含めると、とてもではないが手狭だ。
――最初に挨拶をするのがわたくしということなのでしょうけれど……。
正直、それは避けたい。なにしろ、問題は山積しているのだ。
火の一族の食糧問題、騎馬王国との関係改善、それに混沌の蛇のことも聞きださなければならない。それを一人で聞き出すのは……大変そうだ。
――お義姉さんのことを聞くためには、アベルも一緒にいてほしいですし……ふむ。
……ということで、ミーアは提案する。
「そうですわね。では、ラフィーナさまと馬龍先輩にも声をかけて、こちらから行かせていただきますわ」
「む……。聖女ラフィーナはともかく……林族のあいつか……。まぁ、仕方ないか……」
慧馬はしぶしぶ、といった様子ながら、頷いた。
さすがに、食料を恵んでもらった以上、無下にできるはずもない。そう……図らずも火の一族の者たちは、葛藤する機会を奪われたのだ。
因縁のある騎馬王国の民に助けてもらうのはどうなのか? とか、林族の者たちを村に入れるのはどうなのか? とか、まったく関係のないラフィーナやミーアたちを迎え入れてしまうのはどうなのか? などなど、悩む余地を一切奪われたのだ。
ミーアが動き出してしまったので、それにつられてついつい動いてしまったのだ。
そして……、一族の中でも、特にわだかまりのない子どもたちがお客人たちに懐いてしまった。あとは、なし崩しである。
ともに働き、ともに同じものを食べる。互いに労をねぎらいあえば、そこには笑顔だって生まれる。緊張感は薄れ……、「絶対に話なんかしない!」などと、突っぱねづらい雰囲気が醸成される。
――まぁ、話してみてなにが決まるかは定かではありませんけれど、そこから頑張るのは騎馬王国の方。馬龍先輩の役目ですわね……。とはいえ、警戒を怠るのも愚か。わたくしも知恵袋に同伴していただくのが良いですわね。
とまぁ、そんな調子で、ミーアは、ラフィーナ、馬龍、アベル、さらにルードヴィッヒとアンヌを連れて長老の小屋を訪れた。
困った時に、シュシュっと視線を振る先は多いに越したことはない。そんな判断である。
リスクと責任は分散が大事。ミーアのモットーである。
小屋に入ると、そこには昨夜、挨拶に来た老婆と慧馬、それにもう一人若い女性が待っていた。
老婆は、ジロリ、とミーアたちのほうに目を向ける。眉間に刻み込まれた深い皺、きゅっと結ばれた唇と鋭い視線。険しい表情をしている老婆を見て、ミーアは、ふむ、とうなって……。
――この方、こうして見ると気難しげに見えますけれど……。
それから、昨夜のことを思い出す。
宴会の最中、実に美味しそうに食べていたこと。ミーアと同じものを食べた老婆は、はふほふ言いながら、実に実に! 美味そうに食べていたのを、ミーアは見逃さなかった。
さらに、一族の者たちが、空腹から解放されたのを見てご機嫌になってしまった老婆は、酒が入ったこともあってか、陽気に踊っていた。踊っていた!
それを思い出し、ミーアは確信する。
――ふむ、この方、実はお茶目な人に違いありませんわ。
などというミーアの内心とは裏腹に、老婆が深々と頭を下げる。
「私は、火族の長老、火 狼花と申します。現在、族長が留守にしているため、族長の妹慧馬、と、私が代表してご挨拶をさせていただきます。ミーア姫殿下、聖女ラフィーナさま、わざわざご足労いただき、感謝いたします」
老婆は、それから、鋭い視線を馬龍へとむける。
「それに、林族の者たちにも助けられた。改めて感謝を伝えたい」
そうして、再び頭を下げる長老、狼花。それに次いで、慧馬と若い女性も頭を下げる。若い女性のほうは、どうやら狼花の世話係らしい。
ミーアたちは、それぞれ、自己紹介を終えると、話はすぐに本題へと移っていった。