第百六十四話 ミーアは言う。「食事は熱いうちに食せ!」と
――ふぅー、なかなか疲れましたわ……。ああ、お腹が減りましたわ……。
ミーアは、広場に敷かれた敷物の上に座り、深いため息を吐く。
「お疲れさまです。ミーアさま。今、すぐに食べるものをもらってきますね」
「ああ、ありがとう。アンヌ。お願いいたしますわ」
などと、アンヌを送り出し、再びため息。
空腹すぎて、もはや、動く力はミーアには残されていなかった。
もともと、ちょっぴり空腹状態なところでたっぷり働いたせいで、ミーアはすっかり厚みを失っていた。FNY消滅の危機なのであった。
――ふふふ、ともあれ……、目の前に食べ物がある時の空腹は、必ずしも悪とは言い切れませんわ。
そう、それこそが最高の調味料。ミーアは、これから食べる食事への期待感を高めに高めていた。
「お待たせいたしました。ミーアさま。すごく美味しそうですよ、これ」
「ごくろうさま。おお、本当に美味しそうですわね!」
言うが早いか、アンヌが持ってきてくれたものを、むんずっと掴んだ!
パリパリの大きな香草にくるまれた物……、それは小麦にヨーグルトを混ぜて焼いた、平たいパンのような食べ物だった。
ヨーナンという名前らしい。
カリカリに焼いたヨーナンには細く切った何枚かの燻製肉が挟んである。ジュジュワっと肉汁があふれる燻製肉に、ミーアはゴクリ、と喉を鳴らし……。
――では、さっそく……。
あんぐーりっと大口を開け、ヨーナンにかじりつこうとした……まさにその時!
「ミーア姫、少しいいか?」
タイミング悪く慧馬がやってきた。しかも、なにやら、一族の重鎮っぽい老婆を連れてきている!
「ティアムーン帝国皇女殿下、此度のこと、誠に感謝の言葉もありませぬ」
などと、頭を下げる老婆。そのまま、自己紹介をする流れに、ミーアは内心で、軽く舌打ちする。空腹の時の人間は総じて心が狭いのだ。
――ふむ……とりあえず、難しいお話は食べた後でしたいですわね。
自己紹介というのは厄介だ。一度、名前を聞いてしまえば、覚えていないのは失礼に当たる。そして、過去の経験上、慧馬の連れてきた老婆が、おそらく名前を覚えなければいけない類の人物であると、ミーアの直感が告げていた。
けれど……、ミーアは今、食べたいのだ。とにかく食べたいのだ!
いろいろお手伝いをしていた時から、すでにお腹が切ない鳴き声を上げていたのだ。だから、今はともかく話などせずに、食事に集中したい気分なのだ。
もちろん、相手の気持ちもわかる。
今、食べようとしてるでしょ! こんな時に話しかけてくるんじゃないですわ! と思わないでもなかったが、そこはそれ。自己紹介が遅れることもまた、礼を失することになるわけで。
しかも、その順番も重要だ。誰から自己紹介をして回るか……。順番的にはラフィーナかミーアなのだが、やはりここは、先ほど一番目立っていたミーアに最初に挨拶するのは当然の流れといえるだろう。
だから気持ちはわかる。わかるが……、やっぱり思う。今じゃないだろう! と。
そんなミーアの不満が、ついうっかり口からポロリしてしまった! つまり……、
「やめにしませんこと? そういう、どうでもいい話は……」
言ってしまった! どうでもいいとか、言ってしまった!
頭を使いたくないあまりに、ものすごくストレートに言ってしまった。
――あ、やばいですわ。つい本音が……!
刹那、ミーアの脳が一瞬だけ覚醒する。体に残っていた最後の糖分を燃焼させ、瞬時に回転数をトップスピードまで上げた帝国の叡智が導き出した言葉……それは、
「まず、食べてからにいたしましょう。難しいお話は。あなたたちもお腹が減っていると思いますし……」
あくまでも「あなたたちのためですよ!」というていで言った後!
「それに、わたくしだって働いたからお腹が減ってしまいましたわ。早く食べないと、このまま気を失ってしまいそうですわ」
ちょっぴりの本音を付け足す!
――嘘を吐く時のコツは、ちょっぴり本当のことを混ぜること、と言いますし、これで上手く誤魔化せるのではないかしら?
そうして、誤魔化すように微笑んで、
「だから難しい話は食べてから。ほら、せっかく熱々で用意した食べ物が冷めてしまってはもったいないですわ」
それもまた本当のことだった。ミーアは食べたいのだ。アツアツのお料理を。
それを聞いた老婆は、一瞬、目を見開いて……。
「ふふふ、なるほど。言われてみればまことその通り。ほら、慧馬、お前もとりあえずいただきましょう。子どもたちも、姫殿下が食べ始めなければ、落ち着いて食べられないだろう」
老婆に言われた慧馬は、一瞬、ミーアのほうを見て、
「重ね重ね……お気遣いに感謝する」
「お礼には及びませんわ。わたくしが、美味しい状態で食べたかった。ただ、それだけのことですわ」
ニッコリ笑みを浮かべてから、きちんとアピールも忘れない。
「今日はたくさん働きましたから、わたくし、たっぷり食べる権利があると思いますの」
自分はきちんと働いた上で食べているのだ、と。なにもせずに、高慢さを発揮して食べているのではないので、そこんとこ、よろしく! と十分にアピールしたうえで……。
「では、改めて……」
ミーアは、あんぐーり、と口を開ける。
両手でしっかりとつかんだヨーナンの端に噛り付く……。
パリリ、ッと口の中で軽快な音。直後、舌の上に、絡んだのはねっとりしたチーズだった。焼いたチーズの香ばしさ、舌の上で踊るまろやかな酸味。そこに肉汁のアツアツの旨味が交じり合う。
それは熱い旨味の三重奏。
「ほふほふ……」
ミーアは熱そうに息を吐きつつも、にっこり笑みを浮かべる。
「ああ……素晴らしい。実に素晴らしいお味ですわ」
そこで、ふと気付く。
みんなが、ぽかんと自分を見つめているということに。
「あら? みなさん、どうしましたの? 早く食べないと、冷めてしまいますわよ」
ミーアの豪快な食べっぷりに、思わず見惚れていた面々も、そこでようやく動き出す。
そうして始まるのは、ただただ楽しい宴の時間。その楽しさは、火族と林族の中にあったわだかまりをじんわりと溶かしていくのに足る熱を持っていた。
宴会皇女ことミーアの名捌きが、月のごとく光り輝いた夜であった。