第百六十三話 ミーア音頭で踊りだせ!
さて、以降は特に何事もなく(ラフィーナは、馬車の中で開かれる連夜のパジャマパーティーにウッキウキが止まらない様子ではあったものの……)、一行は、火の一族の隠れ里があるという森のそばまでやってきた。鬱蒼と葉の茂った木々、その緑は深く、黒にも近い色をしていた。
森の手前で一団が止まる。
馬車を降りた慧馬が、小走りに森のほうに向かっていく。
「こっちだ。わかりづらいが、ここに道があって……」
その後について、護衛を引き連れたミーアもついていく。
立場上、別にミーアがついていく必要はまるでなかったが……、ミーアは自分を止めることができなかった。
森が呼んでいたから。否、森に潜むキノコが……呼んでいたからだ!
――新しい森に来たら、どんなキノコが生えているか下見したくなるのが専門家というものですわ。キノコマイスターの血が騒いでしまうのは当然のことですわね……。
うむうむ、と偉そうに頷くミーアであったが……、
「しかし、森の中に隠れ住んでいるのは、騎馬王国の者たちに見つからないためかしら?」
そう尋ねると、慧馬は一つ頷いた。
「たぶん、最初はそうだった。だが、我の知る限り、そこまでしっかりと隠れていたわけでもない。騎馬王国には十二の部族がいるからな。こっそりと草原に出て、馬に草を食べさせたり、いずれかの部族の人間であると名乗って他国と交易を行ってもいたのだ」
「なるほど……」
まぁ、そうだろうな、と納得のミーアである。
大昔の、ご先祖さま同士の対立なんか、実際に今を生きる者たちにとっては、大きな問題でもなくって。だから、もしも火の一族の者たちを見つけたとしても、そこで大きな争いは起こらなかっただろう、と思うのだ。
慧馬の言葉を証明するかのように、彼女が示した道は巧妙に隠されてはいたものの、それなりの幅を誇っていた。馬車のままでも入っていけそうなぐらいには道幅がある。
それは、つまり、そこを通るものが頻繁にいたということ。彼女らが森の奥にひっそりと引きこもっていたのではないということの証明だった。
そうして、慧馬の案内で、再び馬車が進みだした。曲がりくねった薄暗い道を進むこと半時ほど。突如として、道が開け……そして、火の一族の集落が見えてきた。
そこは、素朴な村だった。
木で作られた小屋がぽつり、ぽつり、と建ち並び、囲いの中には馬たちの姿も見えた。
――ふむ……、前に見たルールー族の村に似てますわね。大きな違いはやはり馬ですわね。
馬たちは、見慣れない馬車が気になったのか、こちらを観察していた。澄んだ瞳でじっと見つめてくるもの、耳をぴくぴく動かして警戒しているもの、鼻をひくひくさせて、くしゃみをかけようとしているもの、さまざまだった。
……どうやら、荒嵐の親戚筋は、こちらにもいるらしい。
まぁ、それはともかく……。
「妙ですわね。人の気配が一切ございませんわ」
村はしん、と静まり返っていた。ただ、馬の立てる息遣いが聞こえるのみで、人が立てる生活音はまるで聞こえなかった。
「おーい! みんな、戻ったぞ。どこにいるんだ?」
心配そうな顔で、慧馬が声を上げる。その直後!
「慧馬さまっ!? 無事だったの?」
一人の若い女性が、建物の陰から駆け寄ってきた。それに続いて、ぞろぞろと人が湧き出してきた。
「ああ。みんな、心配かけた……」
笑顔を返す慧馬。見る間に取り囲まれる慧馬を見て、ミーアは感心した様子でうなった。
「ふぅむ……、慧馬さんもなかなか人気者ですわね」
「慧馬さま、大丈夫でしたか?」
「悪い男に騙されたんじゃないかって心配していたんですよ? なにも盗られたりしてませんか?」
「前にも言ったけど、美味しいものをくれる人が、みんないい人とは限らないんだからね。慧馬さまは、たんじゅ……んすいすぎるところがあるから」
……みなから、慧馬がとても大切にされていることが偲ばれる会話であった。
慧馬の周りに集まっているのは、若い女性がほとんどで、あとは老人と子どもがちらほら見えるのみだった。
「……妙ですね。人口に比して若い男が少なすぎる気がしますが……」
怪訝そうにつぶやくルードヴィッヒに、ミーアは頷いた。
「ふむ……そうですわね。もしかすると、例の慧馬さんが率いていた略奪隊は、出かけているのではないかしら?」
「……なるほど、そうかもしれません」
ルードヴィッヒは頷いたものの、何やら考えこむようにして腕組みした。
そうこうしている間にも、慧馬は遅れて現れた、ひときわ年老いた老婆のもとに駆け寄っていた。そして、今まで起きたことを、細大漏らさず話し始めた。
「なんと……。林族の者たちが……」
「そんな、まさか……」
「今さら、奴らの手を借りるなんて……」
などと、騒然とする一同。一方で、馬龍たち、林族の者たちも警戒心を露わにしていた。その原因こそ、慧馬が連れていた戦狼だった。
「あれが、火の一族の狼……」
まるで火の一族の者たちを守るように、横たわる一匹の狼。先ほど、慧馬が村に入るのと同時に茂みから、のっそり姿を現したのだ。
ついてきているとは思っていたものの、実際にその姿を目の当たりにすると、さすがの馬龍であっても圧倒されている様子だった。
そうして、生まれた睨み合いの時間……双方の部族を緊張感が支配する中、ミーアは……。
――ふむ、お腹が減りましたわね……。そろそろお夕食の時間ですわ……。
一人、お腹をさすっていた。
基本的に、ミーアの立ち位置はあくまでも協力者である。食糧を供出したのが林族である以上、あくまでも助けの手を伸べたのは彼らなのだ。だから、火の一族と林族の話し合いにミーアが口を差し挟むことはできなくって……。話し合いが始まってくれないことには、なにもできなくって……。
「ミーアさま、馬車にお戻りになって、お休みになられてはいかがでしょうか。話は長引くでしょうし、物資の積み下ろしにも時間がかかります。みなさまだけで、先にお食事を食べられては……」
と、気遣ってくれた近衛に、ミーアは静かに首を振った。
「いいえ。それはできませんわ」
なぜなら……、それは高慢に当たることだから。
腹を空かせた民がいるのに、自分たちだけが先に食事をしてしまうことは、恨みを買うことだったから。
なるほど、たしかに現状、この場における最大戦力は皇女専属近衛隊である。力にものを言わせれば、この場のすべてを支配することが可能だろうし、ある程度の勝手だって許されるだろう。
だが……しかしなのだ。
――ここで高慢な態度をとることは禁物ですわ。力による高慢は、力によって覆ってしまいますもの……。
ミーアは考えていた。
もしも、この場に火の一族の主力部隊が帰ってきた場合、力関係がひっくり返る危険性は十分に考えられる、と。
ディオン・アライア以上の強者がいるとは、さすがに考えづらいが、それでも可能性はゼロではない。そうして、もしもパワーバランスが変わってしまった場合には、高慢な態度をとった報いを取らされる危険性がとても高い。
だから、ミーアは一手も二手も先を読む。
力関係がひっくり返った時に備えて、謙虚に、謙遜に。仮に火の一族の主力が帰ってきて、それでもこちらの力が上であるならば、それはそれで構わないではないか。
――人は自らが蒔いた種の刈り取りを自分でしなければならないもの。となれば、腹ペコの人間たちを放っておいて、自分たちはご馳走をお腹一杯食べるだなんてこと、許されるわけがありませんわ! それに、そんなことしても、あまり美味しくもなさそうですし……。
ということで……。
――ここは、先に食べることを控えるべきですわ。さらに言うならば、きちんと働いている風を装うことこそが肝要ですわ!
運んできた食糧はあくまでも林族のもの。それを食べさせてもらうのだから、当然、サボってなどいられない。きちんと働いて食べる資格を獲得する必要があった。
だからこそ……、
「ふむ、火の一族のみなさんと馬龍さんたちで話すこともあるでしょうから、わたくしたちは、先に物資の運び出しを行うのはどうかしら? 当然、わたくしもお手伝いいたしますわよ?」
こんなことを言い出したのだ。
「いえ、姫殿下は、どうぞ、馬車に戻ってお休みください。ラフィーナさまもおられますし……」
と近衛が慌てて言うが……。
「いいえ。わたくしが何もせずにいることは許されぬことですわ。空腹の民のために、ぜひとも働かせていただきたいですわ」
空腹の時の人間は、総じて心が狭い。後でイチャモンをつけられたらたまらない。
――謙虚に、謙虚に……。働いている風を装うのが大事!
気合を入れて、ミーアは荷物に手をかけた。手をかけ……ちょっぴり重かったので、別の荷物に取り換えるのだった。
さて……、ミーアが動き出したことで、物事は一気に動き出した。
まさか、主が働いているのに、自分たちが働かぬわけにはいかない、と皇女専属近衛隊の面々が動き出す。さらに、ラフィーナやベル、シュトリナにアベルもミーアの後に続いた。
そうなってしまえば、火の一族、林の一族の者たちも四の五の言ってはいられない。大人たちが働き始めたのを見て、子どもたちまでもがお手伝いを始める。
もともとは自分たちの部族の問題。他国の姫が額に汗して働いているのに、自分たちが働かないのはあり得ない。
多少の気まずさを呑み込んで、別たれていた二つの部族の者たちは動き出した。
そうして……、そこには、ぎこちないながらも共同作業の空気が生まれた。
共に、一つの目標に向かって、額に汗すること……。そして、その目標が……。
「さぁ、みなさん、美味しいお食事が待っておりますわよ。張り切ってまいりますわよ!」
先頭に立って音頭をとる、皇女ミーアによって明言される。
共に食事にありつくため、宴席につくため。
それは、とてもとても楽しい時間……、そう、それは祭りの前準備なのだ。