第五十二話 アンヌの妙案
「どっ、どういうことですの?」
事態が判明したのは、剣術大会まであと三日と差し迫った時だった。島で一番の弁当屋に向かったミーアは、厳しい現実を突きつけられていた。
「ちょっとその日はねぇ。ここら辺の店は、みんな手一杯だから、今から追加ってのは難しいと思いますよ」
迂闊と言わざるを得なかった。
お弁当を用意するのは「自分の手で!」と、取り巻きから聞いていたミーアは、アンヌに相談することなく、自らで注文しようと考えた。
本国では商人とやり取りすることはあったし、ルードヴィッヒの隣で買い付けの様子を眺めていたこともある。だから、そんなの余裕でできると思っていた。
それがあだとなった。
――ど、ど、どうしましょう……? どうすれば……!?
予約はすでに締め切られていると聞かされて、ミーアの背筋に冷たい汗が流れる。
――金貨を積めば……、もしかしたら……。
金にあかして、というのは一番簡単な方法だ。大金を積めばこちらの仕事を優先してもらえるかもしれない。けれど……、
――それは、できませんわ。
ミーアはすぐに、それを否定する。何度か会食を重ねるうちにわかってきたことだが、学園の支配者、ラフィーナ公爵令嬢は潔癖な人だ。
金貨を積んで、弁当屋が無理をして作ってくれた、というのならば、まだ許されるだろう。けれど、ほかの予約をキャンセルしてミーアを優先する、なんてことが起きたらどうなるか……。
ラフィーナはきっと幻滅して、二度とミーアと顔を合わせようとはしないだろう。
「それは……、怖すぎますわ!!!」
けれど、ほかに妙案は浮かばずに……、結局のところ、
「あ、アンヌぅ!」
ミーアが頼ったのは、自室で待機していた忠臣だった。
「ミーアさま、落ちついてください」
半泣きで帰ってきたミーアを見て慌てたアンヌだったが、事情を聞いてすぐに行動を開始する。
――とりあえず、市場で事情を聴くのが一番ね……。
ミーアが学校生活を満喫する間に、アンヌは着々とコネを築きつつあった。はじめは、セントノエル学園の職員たちと。次に、学園と関係のある商人、その商人の知り合いの商人へ。
町にも足しげく通い、市場の人たちとは、すでに顔見知り以上の関係にはなっていた。そんなコネをフル活用した結果、アンヌは大まかな状況を理解した。
「なるほど、確かにそれは厳しいですね」
そもそも、ミーアが求めるような素敵なお弁当というのは、この辺りの店では大変レアな代物なのだ。
お弁当というのは、出かけた先で食べる食物のことだ。
それが必要とされるのは、主に長旅の途中のことなのだが、一般民衆がイメージするそれは、干し肉とか乾燥させたパンといった、腐りづらい代わりに味気もない食物のことだ。
そして、実のところ、その事情は貴族でもあまり変わりはない。
まず食べてもお腹をこわさないこと、栄養を補給することが重要視されるのであって、味なんて二の次なのだ。
だから……、男子に喜んでもらう”美味しいお弁当”というのは、はっきり言って需要がないのだ。
民衆はそんなものをわざわざ金を出して買わないし、学園に通う生徒たちにしても、いつも必要というものでもない。
それを扱うお店の数は限られており、今から注文しても対応できないという状況ができあがったというわけだ。
「ということは、足りないのは労働力、ということですね」
とりあえず、最悪の事態は免れた、とアンヌは安堵のため息を吐く。
アンヌが最も恐れていた事、それは、食材の不足だった。弁当の材料が手に入らなければ話にならない。
「でも、これで……」
アンヌは市場をめぐり、弁当の食材を手配。そうして、ミーアのもとへと戻ってきた。
「ど、どうでした? アンヌ、なんとかなりまして?」
不安げな様子ですがりついてくるミーアに、アンヌは小さくうなずいて見せた。
「なんとか、できると思います」
その答えに、思わずミーアは、ほぅ、っと安堵のため息を吐き、
「さすがですわ! アンヌ、作ってくれるお店が見つかったんですのね?」
「いえ、ミーアさま。それは無理でした」
次の言葉で再び青くなる。
「で、では、どうするんですの?」
「作りましょう」
アンヌは、何かを決意するような顔でミーアのほうを見た。
「……へ?」
きょとん、と首を傾げるミーアの手をぎゅっと握って、
「私もお手伝いしますから、ミーアさまご自身がアベル王子のお弁当を作るんです」
「つっ、作る? わたくしが、ですの?」
当然のことながら、ミーアは料理などしたことはない。
「はい。ご存じないかもしれないですが、民衆の間では、夫のために妻が作ったお弁当のことを『愛妻弁当』などと言って、喜ぶ習慣があります。男性というのは、女性に料理を作ってもらうと、嬉しいものなのです」
そんなことを、したり顔で言うアンヌ。
「そっ、そういうものなんですのね。ちなみに、アンヌ……、アンヌはお料理とか得意なんですの?」
「…………パンぐらいなら、焼いたことは、あります」
――あっ、これ、ダメなやつですわ!
その言葉のニュアンスに含まれるキケンな香りをミーアは敏感に感じ取るのだった。