第百五十五話 ミーア姫、○○○を飲んで状況を見守る!
「……あのクッキーを里のみんなで……。ぐ、う、だが……。うぐぐ……」
などと、両手で頭を抱えつつ、悶えている慧馬。
その様子を見て、ミーアは勝利を確信する。
――ふふん、これは、オチるのも時間の問題ですわね。
どうやらこちらは大丈夫そうだ、と、今度は馬龍たちのほうに目を向ける。
そこには、息子の言葉に静かに耳を傾ける馬優の姿があった。じっと、その真意を測るようにして、馬龍を見つめるその顔に、ミーアは見覚えがあった。
――よく、クソメガネがああいう顔してましたっけ……。
自分では最善の答えがわかってはいるものの、あえてそれを口に出さず、ミーアが考えるのを待って……。それで、ミーアが頑張って頑張って考え出した意見に、容赦のないダメ出しをする。
それはクソメガネ・ルードヴィッヒの常套手段だった。
――あの時はずいぶん腹が立ちましたけれど……、あれはわたくしの成長を促してのものだったのでしょうね。うん、あの時は腹が立ちましたけど、今となってはありがたい……。いいえ、違いますわね。ありがたいはありがたいけれど、やっぱり腹が立つことに変わりはありませんわ!
とりあえず、頭の中のクソメガネに、二、三発ヘナチョコキックをお見舞いしてから、改めてミーアは思った。
――ともあれ、あの様子ですと、馬優さんは、別に火の一族を助けることに反対ではありませんわね。
過去のルードヴィッヒと重ねて、そんなことを思う。
若者の成長を促すため、あえて悪役を買って出たり、反対意見を言わせることで考えを整理させたり、あるいは、当人の意思を確認しようとしたり……。そんな狙いを持った言動。
馬優の態度からは、なにかを諭すような、大人の余裕が感じられた。
これならば、放っておいても上手く問題が片付くのではないだろうか。
――あと、残る問題は蛇の関係者ですわね……。あの狼使い、おそらくは慧馬さんの知り合いでもあるのでしょうけど……。聞いたところで素直に話してくれるかしら……?
ミーア、じっと慧馬の顔を観察した後……、
――ふむ、案外、簡単に話してくれそうですわ! クッキー十枚ぐらい積めば、なんだかんだで話してくれそうですわ!
そう結論付けた! 同類に対するミーアの観察眼は、比較的鋭いのだ。
ともあれ、それを聞くタイミングは、少なくとも今ではないだろう。さて、どうやって話を振ろうかしら……、などとミーアが考えている間にも、話は進んでいく。
「そうだな。火の一族を助けるのに、私のほうで異存はない」
そう、穏やかな顔で頷く馬優であったが、
「とはいえ、過去のしがらみというのは、そう簡単には整理できないもの。和解するのは、そう簡単ではない。そうだよね、慧馬嬢?」
「ん? あ、お、うむ……。そうだ。もちろんだ、当然だ。我はクッキーなどに釣られたりはしない」
キリッとした顔で慧馬が言った。それを見て、ミーアはちょっぴり微笑ましい気持ちになった。
――うふふ、慧馬さん、自己認識に甘さがございますわね。ご自分が食べ物にものすごく弱いことに気付いていないだなんて。まだまだですわ。まぁ、人は自分に対する評価が甘くなるものですし、仕方ありませんわね。
同類に対するミーアの観察眼は、比較的鋭いのだ!
「こちらとしても狼を使うが如き呪われたやり方は看過できない。きっと火の一族の処遇については意見が割れることだろう……が、問題の緊急性を考えると、のんびりしているわけにもいかない。そこで慧馬嬢には火族の場所まで案内してもらいたい。我が林族から、早急に食糧を送り、当面はそれでしのいでもらおう。その間に、私が族長たちを集めて話をつけよう」
その言葉に、慧馬は目をむいた。
「馬鹿な。我らが隠れ里の場所をお前たちに教えろというのか? そんなことできるはずがないではないか」
――ああ、なるほど。それは確かに警戒しますわよね。慧馬さんの中では騎馬王国は仇敵のはずですし……。ふむ……。馬優さんは、どうするつもりかしら……?
ミーアが固唾……ではなく、お替りホットミルクを飲んで見守っていると……。
「わかっている。だから、どこか途中の地点まで食糧を運んで……」
「馬優殿、少しよろしいかしら?」
馬優の提案の言葉を遮って、声を上げる者がいた。
涼やかな微笑みを浮かべる少女、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガが、静かに手を挙げた。
「馬優殿、少しよろしいかしら?」
ラフィーナは、そっと馬優に視線を送り、それから周りを見回してから、静かに口を開いた。
「此度の件、いろいろな過去があったとはいえ、無辜の民が苦しんでいることには、心が痛みます。我らヴェールガ公国としても、これを黙って見過ごすわけにはまいりません」
凛とした声で、告げる。
それは聖女の言葉。倫理観に則った、文句のつけようのない気遣いの言葉。
「どうでしょうか? その食糧を運ぶという件、私にも協力させていただけないかしら?」
「協力……、というと?」
「そうですね、具体的に言えば食糧を輸送する者たちに、同行したく思っております」
ラフィーナは静かに微笑んで、そう提案した。
実のところ……、この時点でヴェールガ公国が貢献できることは、あまりない。
本国に連絡し、食糧を送ろうにも時間がかかる……。
この場合、最も迅速に食糧を送る方法は、林族の者たちの手によって火一族の隠れ里に運ぶか、あるいは馬優が提案しようとしていた、途中の地点まで運び、そこからは慧馬たち自身が運ぶか、のどちらかだ。
そして、自分たちの里の場所を知られたくないと慧馬が考えている以上、馬優の提案が最も現実的といえるのだが……。
その馬優の提案をあえて遮り、ラフィーナは提案する。
自身の同行……という形の協力を。すなわち、
「私の見ている前で、火の一族を害する……、そのような信義に反することは、しないでしょう?」
つまり、騎馬王国と火一族という当事者だけでなく、ヴェールガ公国が見届け人として関わろうというのである。第三者の目が入ることで、騎馬王国の者たちが非道を行う可能性を排除できると、ラフィーナは言うのだ。だが……。
「茶番だな。騎馬王国とヴェールガ、いや、その馬優という男とお前とが口裏を合わせれば、どうとでもなるだろうが……」
鼻で笑う慧馬に、ラフィーナもまた涼しげな笑みを返す。
「それをすれば、ヴェールガの聖女の名は……、そして、我ら神聖ヴェールガ公国の名は地に堕ちるでしょう。その失態を利用する術を、あなたはご存知なのではないかしら?」
探るように、上目遣いになりながら、ラフィーナは言った。それを見た慧馬は、実に嫌そうな顔をして……。
「我は、そんなやり方は知らない。でも、なるほど……、知っていそうな者なら心当たりがあるな」
苦々しげにそうつぶやいてから、慧馬は黙り込んでしまった。
そんな慧馬を観察しつつ、ラフィーナは首を傾げていた。
――やっぱり、慧馬さん自身は蛇ではないのかしら? でも、確実に、蛇の関係者ではあるはずよね……。
ラフィーナの提案は、もちろん、純粋なる善意によるものではなかった。
その目的は混沌の蛇に対する調べを進めるためである。せっかく掴みかけた蛇の尻尾をみすみす放すようなことがあってはならない。
さらに……、
「私の護衛として、私の管轄下で林族の方たちには動いてもらうことを要請いたします」
必然的に、そういう話になる。
聖女ラフィーナの護衛は、ヴェールガ本国ではなく、それぞれの国の依頼を受けた兵たちが行う……。その慣習に従えば、林族の戦士たちが、ラフィーナの護衛を務めることになる。
今回の問題、騎馬王国の介入なくして解決することは難しいとラフィーナは考えていた。
遅かれ早かれ、双方は顔を合わせ、互いに交渉する必要がある。けれど、慧馬の様子を見る限り、不測の事態が起こる可能性は低くはない。
そんな時、双方とは立場を異にする自分がその場にいることで、争いを止めることができるかもしれない。
――もしも、混沌の蛇に巻き込まれただけの人がいたとしたら……、それは被害者ということになる。さらなる争いによって、そういう方たちが傷つくのは避けたいし……。それに、蛇がなにか邪魔をしてきた時のために、誰かが行く必要はあるわ。
などと思っていたところで、
「ラフィーナさま……。ぜひ、ボク……いえ、私も同行させていただきたい」
横合いからアベル・レムノが名乗りを上げた。
カルシウムは大事ですよね?