第百五十四話 他愛もない……
慧馬を上手く言いくるめる手段はないものか……。
刹那の黙考の末、帝国の叡智が導き出した答えは!
「慧馬さん……、わたくしがあげたクッキー、美味しかったですわよね?」
これである。
ミーアは、的確に相手の弱点を見抜いていたのだ。
――ふふん、慧馬さんは、クッキーで口を塞げば何も言えなくなるタイプと見ましたわ。うふふ、ベルと同じですわね。実に他愛もないことですわ。ああ、このミルク、とても美味しい。ほんとに、これ一杯で頑張ってみようという気になりますわね。
などと、実になんとも他愛もないミーアである。
「あれを、また、食べたいとは思いませんの? あの、濃厚な甘みが素敵な、サクサクの、美味しい、美味しいクッキーを……」
そう問いかけると、慧馬の喉がこくり、と鳴った。唇の端に、ちょっぴりよだれが見えたことに、ミーアは手応えを感じる。あと一押し!
「あの、美味しいクッキーを、みなで食べたいとは思いませんの?」
ミーアは、誕生祭のことを思い出しながら、言った。
美味しいものを、みんなで楽しく食べること……、それはなによりも幸せな時間である。その幸福感は、ちょっとした意地など簡単に溶かしてしまうはず……。
ミーアは確信をもって言った。
「あれを、みなで楽しく食べる道が今、目の前にありますのよ?」
「あ、あのぐらいのクッキー……、我々、略奪隊がなんとかすれば……」
「なんとか、なりますの? なんとかなったとしても、いつまで、それを続けるつもりですの? 慧馬さん、あなたが誇り高き勇士であることは理解しましたわ。ご先祖のことを尊敬していることも感じましたわ。けれど……、安易に武力に頼ることは賢明だとは思いませんわ」
武力による略奪が選択の一つであることはミーアも認めるところではあった。けれど、より楽に食糧を得る手段があるというのなら、そちらを選ぶべきではないか?
より早く、民の腹を満たすことができるのならば、そちらのほうが良いのではないか? と、ミーアは訴えかける。さらに、
「鍛えた兵を失うことは、その国にとっての損失になる。君の一族でも、それは変わらないんじゃないか?」
横から、アベルが援軍を出してくれた。
金剛歩兵団を持つ、レムノ王国は知っている。
優秀な兵士とは、そう簡単にすり減らしてよいものではないのだ。その育成には金がかかる。文字通り、黄金の価値を持つ兵士というのが存在するのだ。
そして、火の一族の精兵にとっても、それは、例外ではない。
「略奪がいつも、いつまでも上手くいくとは限らない。サンクランドの守備兵は優秀だし、我がレムノ王国も同様。仮にヴェールガ公国の村を襲ったとするなら、それこそ、他のいくつもの国を敵に回すことになる。それは、あまり得策ではない」
アベルの言葉に、慧馬は言葉を飲み込んだ。
「平和裏に問題を解決できる。一族の者を危険に晒さずに、食糧のことを解決できるかもしれない。とするならば、それを選ぶことが正しい選択なんじゃないかしら?」
――見事なものだな……、帝国のミーア姫は。
馬優は、火族の少女の説得にかかるミーアを見て、思わず舌を巻いていた。
もともと、息子である馬龍から、ある程度のひととなりを聞いてはいたのだ。
馬への造詣が深く、真理を見通す目を持っている……。
馬のことを、ただの家畜ではなく、戦争の道具でもなく、自らを自由へと解き放ってくれるものと称した、と……。そう聞かされた時には、新鮮な驚きを覚えたものだった。
なぜなら、それは馬優の父が、よく口にしていた言葉だったからだ。
だから、実のところ会うのを楽しみにしていたのだが……。
――この時期に、騎馬王国に来ること自体が不自然。バターのために、わざわざ姫が足を運ぶなど、それこそ、あり得ぬことだ。
あくまでも、バターのためと言い張るのは、騎馬王国の主権を尊重してのことだろうか。
火の一族の問題は騎馬王国が解決すべきこと。そこに口を出しすぎれば、誇りを傷つけることになるから、と、配慮して、そう言ったに違いない。
さらに、ミーアの気取らないところも、馬優を驚かせた。
――まさか、馬用の洗髪薬を愛用しているとは……。
たしかに、馬の毛は人よりも繊細。ゆえに、より質の良い洗髪薬が使われている。そのことを知っている者は自分用に使うこともある。
けれど、馬を人と同程度に大切にする騎馬王国ならばいざ知らず、他国の、それも姫が、まさか、馬用のものを使うとは……。
――表面上のことにとらわれず、中身の質という真理を見抜く。なにものにもとらわれぬ自由な思考、それこそが、帝国の叡智か。
その帝国の叡智、今まさに、甘い菓子によって火族の少女を篭絡し、その勢いそのままに馬優に問いかけてきた。
「馬優殿。騎馬王国としては、この問題をどう解決するおつもりですの?」
「どう……とは?」
聞き返してはみたものの、馬優自身、よくわかっていた。
火の一族のことは、騎馬王国がずっと解決せずに放置してきた問題だ。
おそらくティアムーン帝国は、その気になれば簡単に、火の一族を受け入れることができる。ミーアの一声で、すべてを解決に導くことができるのだろう。
だが……、彼女はそれでよしとはしないのだ。
血の繋がった、祖先を同じくする者をこのまま見捨ててもいいのか?
過去の誤りに縛られて、今の判断をも誤ってもいいのか?
少しだけ、困った笑みを浮かべるミーア。その、澄み渡った瞳が、そう問いかけているように感じた。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。