第百五十三話 ミーア姫、舌打ちする
――この話の流れ……、いささか危険ですわね。
ミーアは、慧馬と馬優の間で交わされる会話の危険性を敏感に察知していた。
そうなのだ。彼らの間で交わされていた会話は、ミーアにとって甚だ不都合な……実によろしくない会話だったのだ。
――ご先祖さま同士の兄弟喧嘩の影響が現代にまで波及する……、そのような事実を認めてはいけませんわ。
過去のご先祖のやらかしに対し、現在の人間が責任を取らなければならない状況……、それは、あるものを彷彿とさせた。
そう……ほかならぬミーアのご先祖さまである、初代皇帝である。
しかも、慧馬のご先祖さまである星馬は、蛇の誘惑を受けて「狼を使いだしたらどうか?」などと言い出した疑いさえある。状況としては、蛇にそそのかされて、ティアムーン帝国を作ってしまった初代皇帝と似ている。
もちろん、実際にどうだったかはわからないが、それは大した問題ではない。
――初代皇帝を想起させるというだけで、問題ですわ。
ミーアとしては、初代皇帝のことは、なかったことにしたい過去なのだ。闇に葬りたい歴史……できれば日の目を見ず、このまま埋めてしまいたいものなのだ。
というか、イエロームーン家でのことで、そうしたはずだったのだが……。
――まったく、我がご先祖さまながら、面倒なことをしてくれたものですわ……。
愚痴りつつも、ミーアは懸命に頭を働かせる。今のミーアの脳みそはミルクによって活性化していた。ぎゅんぎゅんと思考力を回転させた結果、素早く考えをまとめ、ミーアは頷く。
――ともかく、必要なことは「今」に目を向けることですわ!
過去の問題から目を逸らさせ、現在の問題に話を移す必要があった。それも「過去のご先祖さまのやらかしには定評がある、帝国皇女ミーア姫殿下のお考えは?」などと話を振られる前にである。
そうして、ミーアは静かに口を開き……介入を開始する!
「やれやれ……、そのような詮なきことを、いつまで議論しているつもりかしら?」
あえて、馬鹿にするような口調で言う。過去の出来事を振り返るなんて、馬鹿なことですよ? その議論を広げていっても、何の意味もない、馬鹿らしいですよ? と、言外に感情を乗せる。
怒って振り返った慧馬を、ミーアはキッと見返して、
「そのように……実りのない議論をいつまですれば気が済むのかしら……、と問うているのですわ」
長く議論を続けるほど、自分のところに累が及ぶ危険性がある。ならば、すぐに議論を打ち切るべきだ! と心を込めて言う。ついでにアホなご先祖さまへの怒りも乗せておく。
「すでに終わってしまったことを、遥か昔に過ぎ去った出来事を、あなたたちが言い争ってなにになるというのですの?」
それは、すでに終わったことなのだと……だから言い争ってもなんの意味もないのだと、ミーアは、強調する。すでに終わったことなのだと、強調に強調を重ねて強調する!
その上で、実りのある「今」すべき話を、提示してやる。
そう、論点のすり替えである。すなわち……、
「慧馬さん、火の一族は、食糧難に陥っているということではなかったかしら?」
目下のところ、一番の問題はそれだ。
そのことさえ解決すれば、慧馬は略奪行為をしないわけだし、他国と騎馬王国の間をギクシャクさせることもない。
であれば、とりあえず、難しーい過去の問題は置いておいて……、対症療法的に今の問題の解決を優先させたらどうか? それこそが、真に意味あることのはず、とミーアは訴えていく!
馬龍がどういうつもりで自身の父親と慧馬とを引き合わせたのか、なんてことは知ったこっちゃなかった。ともかく、触れられたくない問題から目を逸らすことこそが肝要。
ミーアは拳をググっと握りしめて訴える!
「今まさに、空腹で苦しんでいる子どもがいる。力なき老人がいる。だというのに、このように時間を浪費してよいはずがありませんわ」
心から、そう思う。
空腹とは、急げる限り急いで解決すべき問題なのだ。お腹が空いているということが、どれほどつらいことか、ミーアはよく知っている。それを一番に解決すべきである、というのは誰も反対しえないことだろう。
それに、腹が減っていてはイライラして、まとまるものもまとまらなくなるものなのだ。
話し合いは、たっぷり食事を食べてからすべきなのだ。
しっかりと美味しいキノコ鍋をつついた後、お腹も心も満ち足りた状態になれば、人は眠くなる。少なくともミーアは眠くなる。
そして、眠いから難しい話とか、過去のしがらみとか、どうでもよくなってしまうものなのだ。
あまり頭を働かせたくないから、こだわりを捨てて、最も効率的な思考法をするものなのである。
これこそが、ミーアの外交戦術『相手を満腹にし、眠たくして、牛にしてしまうと、たいていのことは許してもらえる』の計、略して牛許戦術である。
……ごく一部の人間にしか効果はないのだが、ごく一部の人間には深々と突き刺さる戦術である。
具体的には、ミーアとかベルとか慧馬とかにはよく刺さるなの戦術である。
「親父殿……、ミーア嬢ちゃんの言うとおりだ。もう、いいんじゃないか?」
じっと黙って聞いていた馬龍がここで声を上げた。
「いい、とは、どういう意味かな? 馬龍」
「いつまでも過去に囚われ続けるのは愚かなこと……。もう、そのしがらみから抜け出してもいいんじゃないか、ってことだよ」
馬龍が乗ってきた!
まさか、彼が乗ってくるとは思っていなかったミーアであるのだが……、この程度の想定外で立ち止まりはしない。むしろ、馬龍の作った流れにさらに乗る! ミーアの、海月のように柔軟な思考力は、何物にもとらわれず、流れていくのだ!
「食糧難は不幸なこと。餓え乾く民がいるのは、上に立つ者として心を痛めるべき事態ですわ……。されど、それをきっかけとして、別れた民が、また再び助け合えるというのならば、それは悪いこととばかりは言えないのではないかしら?」
いずれにせよ、火の一族の食糧はどこかから捻出しなければならない。
なぜならミーアは知っている。飢饉は、疫病の温床となること。そして、疫病には国境が存在しないということ……。
ゆえに、火の一族を飢饉から救うのは、既定路線と言える。とはいえ、帝国から送ろうにも、彼らがどこにいるのかわからない現状、輸送費などが気にかかる。もしも騎馬王国で面倒を見てもらえるのであれば、それに越したことはない。
ここは、騎馬王国が火の一族を助けるという形に持っていけるのがベスト!
ということで、俄然、波乗りに気合を入れるミーアである。
「俺はずっと思っていたんだ。火の一族のこと……。もしも、血が絶えることなく、繋がっていたならば、その時には和解の道を探るべきなんじゃないかってな……。今がその機会なんじゃないのか?」
――おお、さすがは馬龍先輩ですわ! これは想定外に上手くいきそうですわ!
などと、心の中で快哉を上げるミーアなのだが……。
「そちらがどう言おうと構わないが、我らが易々とそれを受け入れるとは思わないことだ」
まるで、冷や水を浴びせるような声。
むっすーっとした顔で、そんなことを言う慧馬に、ミーアは、ちぃっ! と心の中で舌打ち一つ。
それから、改めて慧馬を説得すべく……理屈を組み立て始めた!
一年間が早かったです……。
来年もよろしくお願いいたします。