第百五十話 ベテラン伝令兵とホットミルク
「それで、君が、火の一族の……」
馬優の視線を受けて、慧馬は、顔をツーンっと背けた。
「あ、ああ。そうか。そうでしたわね。えーっと、慧馬さん……。彼女の名前は火 慧馬さんといいまして、騎馬王国の方と口を利きたくないのだと……そういうことでいいかしら?」
ミーアの問いかけに、慧馬は、うんむっと頷き、
「騎馬王国の者とは、死んでも口を利かない」
と、言った直後、不意に彼女は辺りを見回す。幕屋に招き入れられているのは、ミーアとラフィーナ、それにアベルとシュトリナ、ベルのみで……、慧馬が怖がるような人間は外で控えているのだが……。
しばし、考えた後、
「……騎馬王国の者とは、積極的には口を利きたくないな、と思っている」
――だいぶ、妥協しましたわね!
見えないディオンの殺気に怯えているらしい。そんな彼女を見て、ミーアは、面倒くせぇですわ……などと心の中で盛大にため息をついて……はいなかった!
そう、ミーアは思い出していたのだ。
自分が何者であるのかを……。
ミーア・ルーナ・ティアムーンとは何者か? そう、伝令兵である。しかも、腕利きだ!
ミーアほどの腕利きともなれば、わざわざ戦場から勝利の報告を持ち帰るために、死ぬほどの長距離を走る、などということも必要ない。
その場で、シュシュっと視線を動かせばいい。するべきことは、ただそれだけなのだ。
これほど楽な仕事があるだろうか? これほど楽な仕事で、美味しいものにありつける、それで文句を言うなどということが許されるだろうか?
否、許されるわけがない。
――後で、美味しい美味しいミルクを頂けるわけですし、ここはきちんと働いているアピールが必要ですわね。ふむ、頑張りますわよ!
貴重なミルクを報酬でもらえることになっているのだ。だというのに、なにもせずに、あるいは手を抜いた仕事でそれをもらうなど……、ミーアの小心者の心臓が許さないのだ。
気まずさを感じずに、心から美味しく極上ミルクを味わうために、気合の入るミーアである。
まぁ、それはさておき……。
「理由は、説明するまでもないはずだ。お前たちがなにをしたのか、考えればわかるはず……」
と、そこまで言った慧馬は、ミーアのほうを見て、
「そうは、思わないか? ミーア姫」
などと聞いてきた。
ミーアは、ふむ、っと頷いて、
「お話をしない正当な理由があるのではないか? と言っておりますわ」
特に必要ないかもしれないが、なんとなく要約を加えてみた。
仕事をしている感を出すために、演出に余念のないミーアである。
「なるほど。だが、それは見解の違いというものだな。我々としては、君たちは、自分から国を出て行ったものだと思っている」
「なっ……」
っと、なにか言いたそうな顔をした慧馬だったが、すぐに黙り、ギリギリと歯ぎしりしつつ、ミーアのほうを見る。
――うーん……やっぱり、ちょっと面倒くさいですわね……。
ミーア、早くも挫折しかける。ミーアのやる気は、今や風前の灯だ!
そのやる気の炎が消えかけた……まさにその時……、
「失礼いたします。族長、お客さまにお飲み物をお持ちしました」
幕屋に、何人かの女性が入ってきて、ミーアたちの前に、陶器のカップを置いていった。
「ほう……これは……」
ほかほか、と湯気を立てる陶器の入れ物。その中に入った白い液体に、ミーアの小さな鼻がひくひくと動く。
「搾りたての羊の乳を温めたものだ。私が言うのもなんですが、搾りたてのものは極上です。どうぞ、味わってみてください」
馬優に勧められるがまま、ミーアは容器を手に取った。ふーふー、っと息を吹きかけ、冷ましてから、軽く一口。
カッと口の中に熱さが走るも、我慢。直後、舌の上に味の花が開いた。
「おお……、これは」
それは、実に心地よい甘み。一瞬、ハチミツのように濃密で、けれど、喉を通り抜けた瞬間に、スゥっととけて消える。潔いまでに、その後味はさわやか。
今まで味わったことのない極上の旨味に、ミーアは思わず、ほふぅっとため息。それから、もう一口。
「なるほど……、これが騎馬王国のミルクの味。実に濃厚……。かつ、コクのある風味……。舌の上で転がすと、仄かに甘みも感じますわ……」
そうして、ミーアは、そっと胸に手をやった。
「ああ……。まさか、ミルクにここまで心を動かされる日がこようとは……思ってもみませんでしたわ。素晴らしい……」
その感動がミーアの脳に活力を与える。
ゆっくりと動き出したミーアの脳は、このまま、二人に言い争いをさせることの不毛を悟り……。
「ところで、いったい火の一族との間になにがあったのか、お聞きしてもよろしいかしら?」
提案する。そもそも、なぜ、慧馬はここまで騎馬王国を嫌っているのか……。
それがわかれば、この面倒くさい状況を解消できるのではないか? と。
「なるほど。そうですね。このような形であれ、巻き込んでしまったわけですし……お話ししておくのが礼儀というものでしょう……ああ、そうだ」
と、そこで、馬優が笑みを浮かべた。
「どうでしょう? せっかくだから……、弦楽器の調べに合わせて、聞いていただくという趣向は……」
「待て。親父殿。別に、そこで楽器を出す必要は……」
なぜか、渋い顔をした馬龍が止めようとするが……、
「なにを言っているんだ。ただ説明するのではつまらないだろう? こうしてここに、林族一の歌うたいがいるのだから、おもてなしの意味でも聞いていただこうじゃないか」
馬優は、にこにこ明るい笑みを浮かべ、近くに置いてあった丸い弦楽器を手に取った。
「これは、我ら騎馬王国、十三部族の始まりの物語」
そうして、馬優は語りだした。
ポロロン、ポロロン、という切なげな弦楽器の音に合わせて。