第百四十九話 ミーア姫、ついに馬シャンの真相にたどり着く!
「こちらです。ミーア姫殿下」
騎馬王国の者に案内されたのは、少し大きめの幕屋だった。
全体に艶やかな色の糸によって刺繍が施された布地は、明らかに、ほかの幕屋とは一線を画しているように見えた。
「ふむ……。素晴らしい。良い仕事ですわね」
ミーアは思わず感心しつつ、腕組みする。
「これは、白い馬の刺繍かしら?」
そう言いつつ、ミーアは後ろに立つ馬龍のほうを見た。が……、
「あら? 馬龍先輩?」
「ん? ああ。そいつは騎馬王国の建国伝承を刺繍にしたものだな」
なにか、考え事でもしていたのか、その反応は鈍かった。
――ふむ……。馬龍先輩のこの反応、珍しいですわね……。もしや……!?
とそこで、ミーアはある可能性に気が付いた。それは……。
――馬龍先輩のお父さま……、実は怖い人なんじゃあ?
なにしろ、相手は騎馬王国の最大部族、林族の長である。相応の威厳と迫力を備えた人物に違いない……。
――そういえば、馬龍先輩、ディオンさんのことを見てもそれほど怯えてませんでしたわ!
かのディオン・アライアを前にして、震え上がらないものなどいない。常識である。
盗賊などという荒事をやってのける慧馬ですら、あの怯えようなのである。
――これは……相当なものを覚悟していかなければなりませんわね。
などと思いつつもミーアは逃げることはない。
そうなのだ、彼女の小心者の心も、いろいろな経験を経て成長した……、というわけではない。もちろん、違う。
なにせ、今回の彼女は傍観者! 完全なる部外者で無関係なのだ。
もし仮に相手が、なーんの関係もないミーアにまで牙を剥くようなヤバイ人であった場合……、その時にはミーアには心強い友人がついている。
ミーアのお友だちラフィーナは、そんな傍若無人に黙っている人ではない。
さながら獅子の威を借る子猫のごとく、穏やかな心のままミーアは幕屋に入った……のだが……。
「ああ、これは帝国の皇女殿下。遠いところをようこそおいでくださった。それに聖女殿も……、我が騎馬王国のために、わざわざご足労頂き申し訳ない」
静かな声でミーアたちを迎えたのは、予想外の風貌の人物だった。
なんというか、こう……。
――ずいぶんと優男ですわね。特に殺気も感じませんし、見上げるほどの巨躯でもなし。
拍子抜けするミーアを尻目に、男は穏やかな笑みを浮かべたまま、頭を下げる。その動作に合わせて、腰のあたりまで伸ばした黒髪がサラリと揺れた。美しく艶やかな髪に思わず、ミーアは見とれそうになる。
「お初にお目にかかる。林族の族長、林 馬優だ」
その涼しげなその声は、一流の歌うたいのごとく……聞き惚れてしまいそうなほどに優雅なものだった。
「ご機嫌よう。わたくしはミーア・ルーナ・ティアムーン。帝国の皇女ですわ」
「おひさしぶりですね。馬優さま」
ミーアに続き、ラフィーナが親しげに声をかける。
聖女として様々な土地に赴かなければならないラフィーナである。おそらく、馬優とも顔見知りなのだろう。
ラフィーナと短い挨拶を交わした後、馬優は改めて、ミーアのほうに目を向けた。
「我が子、馬龍の求めに応じ、わざわざいらしていただいたこと、感謝いたします」
「たいしたことではございませんわ。馬龍先輩にはお世話になっておりますし。それに、もともと、貴国のバター……食材に興味がありまして……。立ち寄る予定でしたのよ?」
「さて……バターですか。失礼ながら、ご多忙な帝国の姫君が、わざわざそのためだけにいらっしゃるつもりであったと? たかがバターのために?」
怪訝そうな顔をする馬優。それから、彼は、じっとミーアの目を見つめてきた。
深い知性をうかがわせる黒い瞳、真っ直ぐな視線を前にして、ミーアは……。
――これは……試されてますわね。
鋭く察する。眼力姫ミーアは、他人の眼力に敏感なのだ。
では、いったいなにを試されているのか?
――簡単なことですわ。騎馬王国のバターは、ただのバターではない……。とっても美味しいバター、特別なバターであると知っているか……、それを試されてるんですわ! 直接足を運ぶ価値のあるものだと、それがわかっているのか、試していますのね。この方、なかなか、できる!
ミーアは、侮りがたい相手を前に気を引き締めつつも、優雅な笑みを浮かべた。
「ええ……。騎馬王国のバターは大変美味しい。そのようなバターを生み出す騎馬王国もまた、特別な、そして大切な国と言えるでしょう。足を運ぶ価値は十分にあるのではないかしら?」
「……なるほど。噂に違わず聡明な方のようだ」
しばし、ミーアを見つめていた馬優は、深々と頷いた。
再び揺れる髪……その手入れの行き届いた髪に、ミーアの目が留まる。
傾城の美女……、そんな言葉が東国にはあると聞くが、まさに、その言葉を思わせるような美しい髪だった。そして、ミーアは、その髪に……ちょっぴり親しみを覚えた!
「あの、ところで、つかぬことをお聞きしますが、馬優殿……。もしや、あなた、馬の模様が目印の洗髪薬を使っているのではないかしら?」
「おや。よくわかりましたね」
驚愕に目を見開いた馬優に、ミーアはちょっぴりドヤァ顔で、
「それは、もちろん……」
と、ここで、ミーア、気付く。後ろに立つアベルのこと……。
――あなたにもらったものを愛用してますわよ! などと、わざわざ目の前で言うのは、いささか奥ゆかしさに欠けるかしら?
わざとらしくアベルの前で言うことを避けるため、ミーアはそっと、馬優に身を寄せてから、
「実は、わたくしも愛用しておりますの。とても良い洗髪薬ですわよね」
そう、声を潜めて馬優に言ってやる。と、またしても、馬優は驚いた顔をして、
「……なるほど。あなたは……、物事の表面にとらわれず、真理を見抜く目の持ち主のようだ」
それから、感心した様子で頷いた。
――はて? 真理を見抜く目……?
などと首を傾げかけたミーアであったが……、
――なるほど。たしかに、持っているかもしれませんわね。真理を見抜く目を……。
内心で深々と頷いた。謙遜したりはしない。なぜなら、ミーアは、馬優と話すことで、ついに馬シャンの真実に到達してしまったからである!
前々から疑問ではあったのだ。なぜ、容器に馬の絵が描かれているのか? 洗髪薬に、その絵は合っていないのではないか? と。
けれど、ようやく合点がいった。ミーアは深い納得感に満足しつつ……思う。
つまり、要するに、その理由は……!
――なるほど。騎馬王国の方たちが愛用しているものだから……。だから、彼らが喜ぶような絵をつけたわけですわね?
これである! お客さんが喜ぶ絵をつける。なるほど、実に戦略的、とミーアは大いに感心した。
――中身とはかけ離れたものであったとしても、商品をたくさん売るためには、有効な手と言えるかもしれませんわね……ん? ということは、もしやラフィーナさまの肖像画を付けた洗髪薬を売り出したら、ラフィーナさまのファンの方たちにすごく売れるんじゃ……? ここは、帝国の財政改善のためにお願いして……。
などと、よからぬことを考えかけたところで……。
「洗髪薬といえば、聖女殿、以前、お父君から聖女殿の肖像画付きの洗髪薬を売り出す計画があると聞いていたが、あれは、どうなりましたか?」
「……さて、なんのことかしら? 私は、そんなもの知らないけれど、ふふふ」
ラフィーナは、山の清流のように澄んだ、澄み渡った……生き物が一匹もいない小川のような笑みを浮かべた。その笑みのままミーアのほうを見て、きょとりん、と可愛らしく首を傾げる。
「あら、どうかしたのかしら? ミーアさん……。少し顔色が悪いみたいだけど……」
そのステキな獅子の笑みを前に子猫ミーアは……、
「イイエ? ナンデモアリマセンワ」
尻尾を力なく体の下に収納しつつ、ぎこちない笑みを浮かべた。
かくして、和やかな雰囲気のまま、その会談は始まったのだった。




