第五十一話 お弁当の約束を
「はぁ? 剣術大会、ですの?」
その日、ミーアは取り巻きの少女たちといっしょに、食堂でランチを楽しんでいた。
「はい、男子たちがすごく騒いでましたわ。夏休み前の最後の週に、学校を上げて行われるとか……」
「ご存じなかったですか?」
「はて……、記憶にありませんわね……うっ、頭が」
思い出そうとしたミーアは、突如、頭痛に襲われる。
剣術大会……、ボッチ……。
なんだか、その言葉にはとってもイヤな思い出があったような……。
「それで、その剣術大会には、自分が好きな殿方のためにお弁当を用意するのが慣例となっているみたいなのですが、姫殿下はもう手配されましたかしら、と……」
――お弁当!!
ミーアの脳裏に鮮やかによみがえってくる光景があった。
前の時間軸の記憶、目の前には、張り切って注文した豪華なお弁当……。
「わたくしが用意したお弁当のおかげで優勝したって言わせてみせますわ!」
そう意気込んでいたミーアだったが、それを渡す相手、シオン王子は決してそれを受け取ろうとしなかった。
そんなことを、まさか周りの誰にも言うこともできずに、仕方なく、ミーアは一人でそれを食べることになったのだ。
部屋の中でぽそぽそと、半泣きになりながら……。
――あれは……、とても、辛かったですわ…………。
すぅっと、ミーアの頬に涙が伝う。
「なっ、ひっ、姫殿下! 涙が、なぜいきなり」
「だっ、誰ぞ! ハンカチを持ってきて!」
いきなり、声もなく泣きだしたミーアに、周囲の取り巻きたちは大あわてだ。
「ああ、いえ、なんでもありませんわ。教えてくれて助かりましたわ」
ミーアは指先で涙をぬぐった後、笑みを浮かべて取り巻きたちに言った。
――アホのシオン王子とは違って、アベル王子は紳士ですから、ちゃんと食べてくれますわ。そうに違いありませんわ!
あの時とは状況が違うし、その上、今のミーアは、前の時間軸とは一味違う。
――とりあえず、事前に約束を取り付けておくべきですわね。
そう、今の彼女は、ちょっとだけ常識というものを身につけているのだ。相手にも相手の事情がある、という事をミーアはちゃんと知っている。
ミーアのほかに、自前でお弁当を用意していないとも限らない。だからこそ、事前に、弁当を持って行く旨を伝えておく必要があるのだ。
――後で早速行ってみましょう!
その日の放課後、ミーアはアベルのもとに向かった。
この日は、馬術部の日でもあったので、簡単に見つけることができた。
「アベル王子」
「ああ、ミーア姫。今日も、乗馬の練習かな?」
乗馬用のチョッキに長ズボンという、凛々しい乗馬服に身を包んだミーアを見て、アベルは言った。
「馬龍先輩がほめていたよ。お姫さまの気まぐれかと思ったが、真面目に取り組んでるって」
部活は、基本的に自由参加だ。毎日来る必要もないし、自由気ままな貴族が多い学園なので、ミーアのように頻繁にやってくるのは割と珍しい。
ミーアは脱出手段の確保のため、乗馬技術の習得は必須なので毎日来てはいるが……、本音を言えば放課後は部屋でゴロゴロしていたいところではあるのだが。
「とりあえず、今はこの馬しかいないのだが、よければいっしょに乗っていくかね?」
そう言って、アベルは手袋を外して、ミーアに手を差し出した。
「よろしいんですの? では、お言葉に甘えまして……」
ミーアは、差し出されたアベルの手を取ろうとして、
「あら……?」
「ん? どうかしたかね?」
「いえ、手のひらがずいぶんと固くなっておりますわね」
アベルの手の平をさらり、と撫でてから、ミーアは上目づかいにアベルを見た。
「ん、ああ。実は、今度、剣術大会があってね、その鍛練で……」
「なるほど、頑張っておられるのですわね……」
そう言えば、本国の騎士もこんな風に硬い手の平をしていたかしら……? などと。
目の前の、アベルはまだあどけなさを残した少年にしか見えないのに、なんとなく、その顔にちょっとだけたくましさを感じてしまって……、ミーアはちょっぴりドキドキした。
アベルの後ろに乗り、ちゃっかり、その背中に腕を回しつつ、ミーアはおずおずと口を開いた。
「あの、アベル王子、その、剣術大会の当日の、ことなのですけれど……」
「うん? どうかしたかね?」
「その……、お昼のお弁当の約束、どなたかとございますかしら?」
「いや、特にはいないが……」
その答えに、ミーアはホッと胸をなでおろした。
「それはなによりですわ。でしたら、アベル王子、お昼のお弁当、わたくしに用意させていただけないかしら?」
「え? ボクのために……?」
「ええ、アベル王子が勝てるよう、精一杯のものを用意させていただきますわ」
この時のミーアには、油断があった。
これで、あの時のようなひとりぼっちで弁当を食べる、なんて寂しいことにならないと。その安堵感が、中途半端な常識が、ミーアを油断させたのだ。
ちょっと考えればわかることだったのに、ミーアには、そんなこと思いもよらなかったのだ。
弁当の手配を早めにしておかないといけないなんて。
当日は、どのお店も大忙しになるから、一週間前には、予約を打ちきってしまうなんて。
「うふふ、楽しみですわ」
穏やかに微笑むミーアは、想像すらしていなかったのだ。




