第百四十五話 歩み寄る(既視・危機)感
馬龍率いる林族の戦士たちの先導のもと草原を進むこと一日半。
がたん、ごとん、と馬車に揺られつつ、ミーアは、ぼんやーり、眠たげな目で外を眺めていた。
空は晴れ渡り、なんとも気持ちの良い陽気。絶好の乗馬日和だというのに、ミーアは、馬車の外に出ることを禁じられていた。
先日の、ちょっとしたやんちゃが仇となっていたのだ。
――気晴らしに馬を走らせたら気持ちよさそうですのに、残念ですわ。
などと憂鬱な気分に浸っていたミーアだったのだが、突如として目の前に広がった風景に、思わず歓声を上げた。
「ああ……これは……、なかなかに壮観な風景ですわね」
一面に広がるのは、爽やかな緑色の絨毯だった。風がその上を通り過ぎるたび、さわさわ、そよそよと、葉の揺れる音が聞こえてくる。
その葉をのんびり食んでいるのは、白い毛並みの動物……、もっこもこの毛並みの羊だった。大変平和で、牧歌的な光景にミーアは思わず笑みを浮かべる。
「あれが、騎馬王国の羊……。実においし……、じゃない。素晴らしいですわ」
丸々と羊毛で膨らんだ羊に、ミーアは思わず舌なめずりだ。ミーアの目には、あの白い塊は、生クリームの塊に見えているのだ!
「すごい可愛いですね、ミーアお姉さま! あ、ほら、リーナちゃん、あそこに子羊がいますよ」
「ホントだ。リーナ、羊を見たのはじめてよ」
ニコニコしながら、シュトリナが言った。
「へー、そうなんですね。物知りのリーナちゃんでも見たことないものってあるんですね」
完全に観光気分の年少組二名。それを尻目に、ミーアは熱心に羊の観察を続けていた。
「ふむ……、これだけたくさんいるんですし、いっそのこと、一匹か二匹もらって帰りたいですわね……。おや?」
その時だった。ミーアの目が一匹の羊をとらえた。
「まぁ……、あの羊、色が違いますわね。なんだか、ちょっと黄金に輝いているような……」
穏やかな日の光を浴びて、かすかに黄金色に輝く羊。それは他のものより一回り大きな、実に立派な羊だった。
っと、ミーアの声を聴いたのか、馬車に、馬龍の乗る馬が近づいてきた。
「ははは、さすがはミーア嬢ちゃん。見る目があるな。あれは醍醐羊と言ってな、極上のミルクを出すんだ」
「極上の……?」
ゴクリ……、と喉を鳴らして、ミーアが唸った。
「なるほど。普通の羊ではないんですのね……。ズバリそれが、騎馬王国産のバターが美味しい秘密……ですわね?」
問いかけたミーアに、されど、馬龍は怪訝そうに眉をひそめた。
「いや、他国に卸してるのは、普通の羊のもんだな。醍醐羊は、あまり数がいないから、取れるミルクの量も少ないんだ」
「……なん……ですって?」
驚愕のあまり、ミーアが目を見開いた。
「あのバターが……普通?」
脳裏に、あのラフィーナの宿で食べた、美味しい美味しいバターの味が甦る。舌の上にジュジュワッと広がる羊乳のコク。濃縮されたミルクの甘い風味、カリッカリに焼いたパンの香ばしさにまろやかさを加える、あの極上な芳香……。
あの素晴らしいバターが、まさか、普通のバターであったとは!
ミーアは仰天し、次の瞬間、ちらり、と馬龍をうかがった。
「ちなみに、まさか、その醍醐羊のミルクをいただくことができたりは……?」
「ああ。ここまでついてきてもらったお礼だ。たっぷり、ご馳走させてもらおう」
力強くも頼もしい馬龍の言葉に、ミーアの笑みが弾けた。
「ふふふ、やはり、騎馬王国についてきて正解でしたわ!」
と、その時だった。
ミーアは前方から近づいてくる騎馬の一団を見つけた。
もしや、盗賊団が慧馬を助けに来たのか? などと身構えるミーアだったが、馬龍たちが慌てる様子はなかった。むしろ、気安げな様子で手を挙げている。
「ああ、心配しなくていい。林族の戦士たちだ。どうやら、迎えに来てくれたみたいだな」
馬車から少し離れた場所で一団が止まった。その先頭の馬に乗っていた、恐らく一団を率いていたと思しき人物と、馬龍が挨拶しあうのを尻目に、ミーアは、獲物を狙う目つきで、羊たちを眺めていた。
「ふむ、あの大きさ……、やはり、一匹ぐらいならば馬車に乗せて連れて帰れそうですわね。いや、でも、やはり番いでいただくのがベストかしら? ふむ、ここは、ルードヴィッヒにお願いして交渉を……」
などと、ぶつぶつつぶやきつつ、馬車から身を乗り出していると……、不意に、首元に、ふしゅーっと、風が当たるのを感じた。
「あら……?」
そちらに目を向けたミーアは、いつの間にやら近づいてきていた、一頭の馬に気が付いた。どこからやってきたのだろうか? その馬はミーアのことを興味津々、といった様子で見つめていた。
その、馬の顔に、ミーアは微妙な既視感を覚える。
「……はて? なんでしょう? なんだか、見覚えがある馬のような……」
既視感と……、危機感を!
その馬の、鼻の穴がヒクヒクっとするのを見て、ミーアはようやく既視感の正体に気付いた。
「ああ、そうですわ! この馬、ちょっと意地悪そうな目元とかが荒嵐にそっく……うひゃあっ!」
ぶぇええくしょん!
クシャミの轟音を聞きながら、ミーアは、
――なんか、ちょっぴり懐かしいですわね。荒嵐、元気かしら?
などと、ちょっぴり遠い目をするのであった。