第百四十二話 甘いクッキーとミーアと盗賊少女
皇女ミーアの命により、急遽、馬車の近くの平原に、即席のテーブルと椅子が用意された。そして、テーブルの上には、ミーアがサンクランドで仕入れた色とりどりのクッキーが並べられている。
さらに、ティーカップには淹れたての紅茶が注がれていく。
町から離れたこのような場所で、熱々のお茶を飲める贅沢に、ミーアはむふーっと満足げなため息を吐く。
――どこでも、お茶と美味しいお菓子が楽しめる……。これほどの幸せがほかにありましょうか……? いいえ、ありませんわ!
そう、時々、忘れそうになってしまうこともあるが、ミーアは大帝国のお姫さまなのだ。
よーっこいしょー、っと馬に乗ろうとも、するするパンを飲むことに至上の喜びを覚えようとも、ミーアは贅沢が許される高貴なる身分なのである。
だから、旅の途中で、このようにちょっとしたお茶会を開くことだって、できるのである。
至上の幸せ(ミーア比)を、噛みしめて、思わず感動してしまうミーアである。
テーブルにはほかに、馬龍、ラフィーナ、アベル、ベルとシュトリナ……それに、
「……なんのつもり?」
ジッとミーアを睨みつける、盗賊の少女の姿があった。
後ろ手に縛られた少女に、ミーアはニッコリ微笑みかけて、
「どなたか、その方の縄を解いてくださらないかしら?」
「それはっ……!」
近くにいた近衛兵が驚愕の声を上げるが……、
「心配ありませんわ。ねぇ、あなたも逃げませんわよね?」
問いかけるミーアに、盗賊の少女は馬鹿にしたような笑みを浮かべて、
「ふふふ、噂通り甘いな。帝国の叡智。我の拘束を解くとは……」
「あ、一応言っておきますけれど、下手なことをしないほうがいいですわよ。あまり詳しくは言いませんが、そこにいる方、ディオンさんと言って、ちょっぴり危険な人ですわよ? あなたも馬に乗るのはお得意のようですけど、どこまでだって追いかけてきて、一瞬で首を刈ってしまいますわ」
ミーアの言葉を聞いた盗賊少女は、ディオンにチラリと目をやって、こくりと喉を鳴らす。それから、小さく咳払いして、
「……もちろん、無駄な抵抗はしない。我は誇り高き民。誇り高き戦士だ。囚われの身となったからには、無様な真似は見せない。だからと言って、譲歩もしない。仲間のことはもちろん、お前たちには我の名前すら、教えてやるつもりはない!」
キリッとした顔で言った。
――ああ、やっぱり、この人、仲良くできる人ですわ。
などと、察するミーアである。
「まぁ、そういうわけですわ。なにかあっても、ディオンさんが近くに控えてますし、問題ありませんわ」
ミーアの後ろに立つディオンは、やれやれ、と首を振った。
「さて……、それじゃあ改めて、お茶会を始めましょうか」
そう話しかけると、盗賊の少女は、プイっと顔を背けた。
「騎馬王国の関係者から、施しは受けない」
「あら? わたくし、別に騎馬王国の関係者ではありませんわよ? ねぇ、ルードヴィッヒ」
「はい。少なくとも、我が国と騎馬王国とには、直接的な関わりはありません。軍事的な同盟関係もありませんし、商品の流通などもありません」
淡々と言うルードヴィッヒ。それに満足そうに頷いて、ミーアは盗賊少女に目を向けた。
「馬龍先輩は馬術部の先輩というだけで、ティアムーンの姫であるわたくしが騎馬王国の関係者というのは大きな誤りですわ」
「そ……、そうなのか? だが……ど、どうせ、お、美味しいお菓子を食べたいならば情報を出せ、とか。卑劣なことを言うのだろう……?」
チラチラッとミーアのクッキーに目をやり、ギリギリと歯ぎしりする盗賊少女。そんな彼女に、ミーアは、おかしそうに笑ってみせた。
「あら、そんなこと言いませんわ。どうぞ、難しいお話の前に美味しいクッキーを一緒に食べましょう」
「……え? ほ、ほんとに? でも……」
思わず、といった様子で、見つめてくる少女。ミーアはニッコリ微笑み返して頷いた。
「もちろんですわ。ほら、このクッキーとーってもあまーくて、美味しいんですわよ?」
「あ……、甘い? とっても……?」
つぶやく少女のほうにお皿を押しやりつつ……、ミーアは内心でほくそ笑んだ。
――ふっ、ちょろいもんですわ。
そう……、ミーアは知っているのだ。
食べ物の恨みは深く、重い。が……、翻って、食べ物の恩も実は、それなりに重いのだ。
空腹の時に食べ物を恵んでもらったら……、その恩は容易には消せない。どうしても、その恩のある相手に対しては、頼みを断りづらくなるものなのだ。
もし、ミーアが尋問を受ける立場だったら……。
「これを食べたいなら、秘密を話せ!」
などと言われれば、少し抵抗してやろうと思うが、
「まぁ、これを食べなさい。美味しいでしょう? ところで、これをご馳走してあげた私に、秘密を少しだけ教えていただけませんか?」
と言われたら……きっと、あまり抵抗を感じずに話してしまうだろう。
だから、食べ物を脅しに使ってはいけない。食べ物は、むしろ恩を売りつけるために使うべきなのだ。
ゆえに、ミーアはこのクッキーに直接的な見返りを求めない。ただただ、クッキーを一緒に食べて楽しめればいいと思っている。
そうして、仲良くなってしまえば……、後はこちらのもの。
同じクッキーを食べ、同じ紅茶を飲んだ者として、秘密を聞き出すことなど、造作もないことであると、ミーアは確信しているのだ。ミーアの甘い認識では、そうなっているのだ。
まぁ、でも、実際のところ、そうそう世の中は甘くはないものなのだが……。甘くないのだが……!
「それで、えーっと、なんとお呼びすればよろしいかしら?」
ミーアの問いかけに、少女はクッキーをパクリ、サクリとやってから……、
「……慧馬」
つぶやくように言って……それからすぐに、
「火・慧馬……。我が名は火慧馬だ。慧馬でいい。恩を受けたからな……。名前ぐらいは、教えてやる」
ムスッとした顔でつぶやく少女、慧馬に、ミーアは満足げに頷いて……。
――ふむ! 御しやすし! ですわ!
そうそう世の中は甘くはない……が、少女のほうは、たいそう甘い性格のようだった。