第百四十話 盗賊の少女とミーアの予感
「う……うぅん……?」
どこか遠く、話し声が聞こえた気がして、ミーアはゆっくりと目を覚ます。
なんだか、怖い夢を見たような……?
ラフィーナにものすごく怖い顔でお説教される、そんな夢を見たような気がする。
――恐ろしい夢でしたわ。キノコのバター炒めを味わう夢でしたのに、食べ過ぎたからってあんなに怒られるとは……。まぁ、でも、しょせんは夢ですわね……。
悪夢を振り払うように頭を軽く振りつつ、ミーアは起き上がろうとして……、
「あら……ここは……? 痛っ」
直後、痛みに顔をしかめる。痛みが走ったのは、頭――ではなく、体のほうだった。なんだか、チクチク、細かい針で刺されてるような……。
見ると、服のところどころに小枝が刺さっていた。その光景にミーアの記憶が急に蘇ってきた。
――そっ、そうでしたわ。わたくし、頭を枝にぶつけて……。それで、馬から落ち――っ!?
危ういところで、ミーアは声を飲み込んだ。
自分たちを追っていた盗賊が、すぐ近くまで来ているかもしれない。うっかり声でも出して見つかったら大変だ。
息を殺し、目だけ動かして辺りを窺う。っと、どうやら、そこは森の中の、少し開けた場所のようだった。
――どこかに隠れている状態……というわけでは、どうやらなさそうですわね……。
てっきり馬から落ちて、ラフィーナとともにどこかに隠れている状態かと思ったのだが……。
――特に隠れている、という感じでもなさそうですし、そもそもラフィーナさまがいませんわ。
もしや、ラフィーナが自分を見捨てて一人で逃げた? などと想像するも、すぐに否定する。
――それだけはなさそうですわね。ラフィーナさまが一番嫌いそうなことですわ。むしろ、わたくしを森の中に隠して一人で助けを呼びに行ったとか、あるいは、自分が囮になった、なんてことがありそうですわ。ううむ、判断が難しいですわ……。
すぐに起きて助けを求めに行くべきか? あるいは、ここでもうしばらく身を潜めているべきか……?
今後を左右する究極の選択を前に、ミーアが目をぐるぐるさせつつ考えていると……、
「ああ、お目覚めかな?」
唐突に、男の声が聞こえた。
――くっ、万事休すですわ。これから寝たふりをするのは、不可能ですわ……。
観念して、ミーアが体を起こそうとすると……。
「あっ、ミーアさん、まだ、動かないほうがいいんじゃないかしら?」
「あら……? ラフィーナさま?」
声のほうに目をやれば、ラフィーナが歩み寄ってくるのが見えた。ミーアの額に載っていた布をとり、新しく濡れた布を載せてくれた。
ひんやり冷えた布は、ミーアの知恵熱をじんわり冷やしてくれた。
「ああ……気持ちいいですわ」
などとぽやーっとつぶやいていると……、
「ダメだろう? 嬢ちゃん、乗馬中によそ見したら……」
もう一度、先ほどの男の声。けれど、ミーアはその声に聞き覚えがあることに気付いた。
「あら……? もしかして、馬龍先輩? なぜ、こんなところに……?」
「ははは、それはこっちのセリフだな」
視線を向けた先では、馬龍が豪快な笑みを浮かべていた。
それは、そう……。きわめて不自然なほどに……、まるで……なにかを誤魔化すかのように、ミーアには見えて……。
――はっ! も、もしや、先ほど追いかけてきたのは馬龍先輩だった……?
めいたんていミーアの天才的頭脳が、今まさに、恐るべき真実に到達しようとして――っ!
――って、そんなわけありませんわ。もしも、馬龍先輩だったら、森に入る前に追いつかれておりますし。それに、先ほどの盗賊はもっと小柄だった気がしますわ。
そうして改めて見ると、馬龍の笑顔はいつもと変わらない、普通の笑顔だった。
――さて、これはどういう状況かしら……? なぜ、馬龍先輩がこんなところに?
ふむ……と一つ唸ってから、腕組みするミーア。黙考すること数秒、その後、ラフィーナのほうに目を向けた。
……別に推理するのが面倒になったというわけではない。知っている人間に聞いたほうが早いという、帝国の叡智の合理的判断に基づく行動だ。
ミーアの視線を受けて、ラフィーナは小さく頷いた。
「実は先ほど逃げる時、正面から来たのは盗賊団ではなかったみたいなの。騎馬王国の戦士だったのよ。そして、それを率いていたのが、馬龍さんだったの」
「最近、サンクランドの国境付近の村を襲う騎馬盗賊団の報告が入ってな。一族の勇士を率いて見回りをしてたんだが……、嬢ちゃんたちのおかげで、ようやく捕らえることができたよ」
そうして、馬龍は、そばの木へと視線を移した。
その視線を追っていく、と、そこには、一人の少女が、木にもたれかかるようにして座っていた。どうやら、後ろ手に縛られているらしく、少女の両腕は背中に回されていた。
年の頃はミーアと同じか、少し年上だろうか?
頭に巻いた赤いターバン、その下から黒く美しい髪が覗いていた。
特徴的なのは、その瞳だろうか? 紫色の瞳に宿る鋭い光は、獲物を狙うルールー族の狩人を髣髴とさせる。そして、その目は真っ直ぐに馬龍を睨んでいた。
「その子が……盗賊団の一味ですの?」
「ああ、そうだ。嬢ちゃんたちを追いかけてた盗賊だ」
そうして、馬龍は、ほんの少しだけ表情を引き締めて、
「そして……俺たち騎馬王国の民の、遠い同胞だ」
静かな声で言った。
「同胞……? それは、いったい」
「冗談を言うな。林族の戦士。我らと同胞だなどと、どの口が言うか?」
その時、ずっと黙り込んでいた盗賊の少女が、初めて口を開いた。
憎悪のこもった目で馬龍を睨みつけた少女は、さらに、言葉を続けようと口を開き……。
「きゅうっ……」
なんとも切なげな音に、言葉が途切れる。
咄嗟に自らのお腹を押さえたミーアだったが、すぐに自分ではないことを悟り、盗賊の少女のほうに目を向けて……、気まずそうに瞳を逸らす少女を見て……。
――あ、なんか、この子とは仲良くなれそうな気がしますわ……。
そんな確信を持ってしまうのだった。