第百三十九話 始まる! 馬式人生相談!
「こんなところで、会うなんて奇遇だな」
馬龍は、豪快な笑みを浮かべつつ馬から降りる……「いよーっこいしょー!」などとは、もちろん言わずに、颯爽たる仕草で、である。
「もしかして、さっきの盗賊団に襲われてたのは嬢ちゃんたちだったのかい?」
そうして、何気ない足取りで近づいてくる馬龍。ラフィーナは、いつもと同じ聖女の笑みを浮かべ、完璧なる礼を取ろうとして……、
「あ……れ?」
失敗。目の前が白く染まって、一瞬、馬龍の顔が見えなくなる。ふらーっと体が傾いていくのを感じて……。
「おっと……」
直後、すぐそばで声。再び視線を上げれば、そこには、白く霞んだ馬龍の顔があった。
それで気付く。どうやら、倒れかかったのを馬龍に抱き留められたらしい、ということを。
「……あれ?」
窮地を脱したのに、なんだかまだ胸がドキドキしてるわ……、などと思っている間に、ラフィーナは木に寄り掛かるようにして座らされていた。
「気を付けてくれよ? ラフィーナの嬢ちゃんは、大切な身の上だろう?」
「え……ええ。ありがと……う。あっ!」
慌てて立ち上がろうとして、再び、こてんっと尻もちをつく。
「おいおい、あんまり急に動いたら……」
「それより、ミーアさんが、そこの、藪の中に……」
大慌てで言うラフィーナに、馬龍は頷いてみせた。
「ああ、そうか。こっちはミーア嬢ちゃんだったのか」
馬龍はのしのしと藪のほうへと行くと、そのままミーアを引っ張り出した。
「盗賊から逃げる途中で、枝に頭をぶつけて……」
「ん? まさか、落馬したのか?」
途端に馬龍の顔が厳しいものへと変わるが、
「いえ、そこの枝に頭をぶつけて、それで……、意識を失ってしまったの。だから、私が降ろして……」
「枝……、ああ、あれか」
馬龍はその木を見上げ、軽くジャンプして枝を掴んだ。枝は、馬龍の体重で、ぐにゃあ! っと曲がった……。どうやら、弾力がある枝のようだ。
それから馬龍は、横たえたミーアの額と頭の様子を調べる。
「ミーアさん、大丈夫かしら……? 頭をぶつけて、酷いケガとかしてたら……」
ラフィーナが泣きそうな顔で、ミーアの顔を覗き込む。っと、その時だった。
「う……ううん……キノコ……バター……美味しい」
などという、寝言が聞こえてきて……、同時にミーアの口元がふにゃっと緩んだ。
ラフィーナと馬龍は互いに顔を見合わせて……、
「……まぁ、大丈夫だろう。傷もないようだし、枝に頭をぶつけても落馬しなかったってことは、そこまで勢いがついていなかったか……、枝の強度がそこまでなかったか……。いずれにせよ、驚いて気を失っただけだと思うが……しかし……」
っと、そこで、不意に馬龍は真面目な顔をした。
「馬に乗ってる時に余所見をしたら危ないと、教えといたはずなんだがなぁ。それに護衛も連れずに盗賊団に襲われるとは……。おおかたラフィーナ嬢ちゃんを喜ばせようとして、調子に乗ったんだろう。まったく、叱ってやらなきゃいかんなぁ」
「あっ、待ってください。ミーアさんは悪くないわ。私が、乗馬がしたいなんて言ったのが悪いの」
それを聞いて、馬龍は、疑うように目を細めた。
「そうか? ミーア嬢ちゃんも意外とお調子者なところがあるからな。きちんと叱るべきところは叱ってやったほうが当人のためにもなるぞ」
「いいえ! ミーアさんは私のためにいろいろしてくれただけ。ミーアさんは、なにも悪くありません」
ラフィーナは、まるでミーアをかばうように、馬龍を睨んだ。
「ふーん……、なんだか……いつもと感じが違うな」
馬龍は興味深そうにラフィーナの顔を見つめた。
「え……?」
虚を突かれたように、ラフィーナが瞳を瞬かせた。
「いつもとというか、昔とというか……。あんたはもっと冷静に、いつでも笑ってる印象だったが……」
言われて、ラフィーナは自覚した。
たしかに、今、自分はむきになっていたということ……。冷静さを失って、感情的になっていたということ……。
「でもな、馬に乗る時には注意が必要なんだ。そうじゃないと危ない。油断してると痛い目を見る。だから、俺が叱らないのなら、嬢ちゃんのほうから言っておいてくれ。大事な友だちだって言うならな」
そう諭されてラフィーナは、こくりと頷いた。ものすごーく神妙な顔で……。
――ミーアさんのためにも、きちんと注意しないと……。
という、固いかたーい! 信念を胸に。
こうして、ミーアを叱る人間が馬龍から、ラフィーナにグレードアップした!
「う……うぅん……?」
などと、タイミングよくミーアが眉間にしわを寄せ、うめき声を上げたが……、まぁ、それはさておき。
「しかし、まぁ、あんたは、そのぐらいのほうがいいな」
馬龍は、そこで表情を和らげた。優しい笑みを浮かべる馬龍に、ラフィーナは怪訝そうな顔をする。
「どういう意味かしら?」
「言葉のままの意味さ。友を守るために怒ること、理屈が通ってなくっても、友をかばおうとすること、そいつは自然な感情だ。あんたは、少しそいつを抑えすぎてるような感じがしたが、無理に抑えすぎる必要もないんじゃないかと思ったのさ」
「……そんなことは……ないけど」
ラフィーナは、ちょっぴり、頬を膨らませた。
なぜ、そうでなかったのか? それはただ単純に、ラフィーナに友だちがいなかったからだ。こんな風にして、心の動くままに守りたいと思える、そんな人がいなかったから。
その時、不意にラフィーナの心に恐れが生まれた。
それは、先ほど感じた高揚に似た小さな罪悪感。
友とともに危機に立ち向かうこと、絶対的な危険に対して、喜びを覚えてしまったこと……、そのことを、どこか背徳的に感じてしまう自分がいて……。
――ヴェールガ公爵令嬢として……これではいけないんじゃないかしら? もっと冷静に大局を見ないと……。
「ちょうど、目の前にいたら、馬に乗りたくなるのと似たようなものだな」
一瞬、悩みの淵に落ちかけたラフィーナだったが、突如、耳に入ってきた馬龍の言葉に正気に戻った。
なんか、よくわからないけど、馬の話をしていた!
「…………えっと?」
ちょっと話についていけなくって、ラフィーナはきょとん、と首を傾げた。
けれど、そんなラフィーナに気付かず、馬龍は続ける。
「馬はいいぞ! 俺たち人間のあるがままを受け入れてくれる。それに、馬とともに大地を駆けていると、人間の小さな悩みや葛藤なんかどうでもよくなってくるんだ。きっと馬が俺たちの悩みを気遣ってくれるからなんだろうな。そして、ミーア嬢ちゃんはそれがわかってるんだ。馬の気持ちがわかってるんだな。だからこそラフィーナ嬢ちゃんを、乗馬に誘ったんだろう」
「…………ええ、そう……ですね」
曖昧に頷いてから、ラフィーナは話を変えることにした。
「ところで、馬龍さんは、例の盗賊団を捕縛しに?」
「ああ。この近辺にはちょうど、俺たち林族が来てたからな。盗賊団の情報を聞いて、ちょうどいいから、とっ捕まえてやろうと思ってきたんだが……。相手が相手だからな。なかなか苦戦してるよ」
馬龍は笑って、それから自らの馬のほうに目をやった。
「もっとも、なんの収穫もなかったというわけじゃないんだがね」
それで、ラフィーナは気が付いた。馬龍の白馬の背に乗せられているものに……。