第五十話 読み友
――ふふふ、予想通りの方、のようですわね。
クロエの話を聞いたミーアは、内心でほくそ笑んでいた。
ミーアが彼女に目を付けたのは、もちろん彼女がいつも一人でいて、寂しそうにしているのが可哀想だったから……ではない。
ただ、彼女が休み時間ごとに一人で本を読んでいたからだった。
そう……、ミーアは、欲しくなってしまったのだ。自分の読む本の中身を語らい合う友、読み友が……。
その日、ミーアは自室のベッドにうつぶせになって、アンヌの妹、エリスが送ってきた原稿を読んでいた。
――ああ、こうして改めて文章で読むと、とっても面白いですわ!
物語は、まだ、ミーアが知っているところまでだったのだが、細かな描写が、かつてアンヌから聞いた話とは微妙に違っていて、それがとても新鮮だった。
頬杖を突き、足をパタパタさせつつ、上機嫌に鼻歌を歌うミーア。
お姫様としてはあるまじきはしたなさだが、かたわらに控えるアンヌは眉をひそめることもなければ、注意することもない。
普段から緊張感を強いられる立場のミーアだから、自室ではできる限り自由にくつろいでほしいと思っているのだ。
世間ではこれを“甘やかし”という。
やがて、原稿を最後まで読み終わったミーアは、満足げなため息を吐く。
「ありがとう、アンヌ。今回も堪能いたしましたわ」
原稿を返しつつ、ミーアは首を傾げた。
「ところで、ご実家の方には変わりはありませんの? エリスは、大丈夫ですの?」
ミーアにとって、この原稿は大いなる楽しみの一つだった。エリスには健康に、最後まで書き終わってもらう必要があるのだ。
「お気づかいありがとうございます。ですが、元気にやってるみたいです」
そう微笑んだアンヌの顔は朗らかで、ウソをついたり、なにかを隠したりしている様子はまったくなかった。
「それはなによりですわ。なにかあったら、すぐにわたくしに言うんですのよ? エリスはわたくしのお抱えなんですから」
そうアンヌに言い含めてから、
「でも、惜しいですわ。これを読んでるのがわたくしとアンヌだけだなんて……」
ミーアは、ため息を吐いた。
面白い本を読んだら、誰かと語り合いたくなるもの。それは、本好きのサガとも言うべきものである。
その程度のこと、アンヌとすればいいとも思うのだが、残念なことに、アンヌはどうやら、この手のお話にあまり興味がないようなのだ。
読んではいるらしいが、それは、妹が書いたものだから。楽しんでいる様子はあまりない。
――っていうか、地下牢で聞いた話とだいぶ違いますし、アンヌ、結構、適当に読んでいるのではないかしら?
けれど、取り巻きに勧めてみるというのも却下だ。
どうせ、一も二もなく絶賛するだけで、ミーアの求めるような作品に対する語り合いなんてできないに違いない。
――だれか、適任はいないかしら……?
そんなことを思っていた時、ミーアは見つけたのだ。休み時間ごとに本を読みふける、無類の本好き、クロエを。
――友だちとも話さずに、時間を惜しんで読んでるんですから、本ならなんでも大好きな方に違いありませんわ!
……実際のところ、クロエが本を読んでいるのは、一人でいるのが気まずいからであって、ミーアが思ってるほどには本好きではないのだが。
「あなた、わたくしとお友だちになりません?」
「……え?」
クロエは、目をパチパチ、と瞬かせた。
「あ、あの……、その、私……、どうして?」
クロエは、大いに戸惑っていた。
なぜ、いきなりそんなことを言われたのか、理由がまったくわからなかったからだ。
なにしろ、相手は大帝国の姫君にして、クラス一の有力者だ。しかも、その人脈もすさまじい。
シオン王子や、アベル王子といった、女子の憧れを集める華やかな王子さまたちに、ラフィーナ公爵令嬢といった学園の大物とまで親交があるという。
そんな人が、地味な自分に声をかけてくる理由が、クロエには見当たらなかったのだ。
いや、一つだけ、その理由が思い当たらないでもなかったのだ。
それは、自分に同情したから。
――いつも一人でいるのを見て、可哀想だと憐れんだから、とか?
相手は、帝国の聖女とも呼ばれる人、思いやりに溢れる人なんだろう。
だけど……、
――もしそうだったら、イヤだな……。
それが、なんだかものすごくみじめなことだと思えてしまって……。だから、
「あなたが本好きだからですわ。実は、あなたに読んでもらいたいものがあるんですの」
ミーアの予想外の答えに、クロエはぽかん、としてしまった。
「だから、もしよろしかったら、わたくしと読み友になってもらえないかしら?」
商会を継いだクロエが、本の出版に力を入れ、複数国を相手取る巨大な出版会社を設立するのは、十年後のことだった。
彼女が手がけた本はどれも売れたが、中でも最も有名なものが、彼女の学友たる帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンからもたらされたものだったというのは、有名なお話である。