第百三十八話 どうしよう……どうしよう……♡
「無事に、みなのもとへと帰りますわよ!」
「ミーアさん……」
ラフィーナは、唇を噛みしめて震える声を懸命に抑える。
――どうしよう……、どうしよう……。
先ほどから、ラフィーナは、頭の中で、そればかりを繰り返していた。
後ろから追いかけてくる盗賊団……。
必死に馬を駆り逃げようとしているミーア。それを見つめながら、ラフィーナは、心の底から困惑していた。
――どうしよう…………すごく……楽しい!
シュシュっと確認するまでもなく……別に、酒気に当てられたわけではない。
そうなのだ、ラフィーナはこんな状況だというのに……、湧き上がる胸のワクワクを抑えられないでいたのだ。
だって……、こんなこと初めてだったから……。
レムノ王国の時もそう。先日の荒野での一件もそうだ。
ラフィーナだけが置いてけぼりだった。
特に聖夜祭の事件は、ラフィーナをしたたかに打ちのめした。
アベルもシオンも、キースウッドも……ティオーナもリオラもアンヌも……みんながみんな、ミーアを助けることに協力し、命がけで戦ったのだ。
ラフィーナのお友だちのミーアを助けるために、ミーアとともに、みんなで戦ったのだ。
でも……そのみんなの中に、ラフィーナの居場所はなかった。
彼女だけが……仲間外れだった。
もちろん、立場があることはわかっている。自分はヴェールガ公爵令嬢、軽々に命を危険にさらしていいはずがない。
だけど……、悔しかったのだ。
一人だけ、お友だちのためになにもできなかったことが……。みんなと一緒に戦えなかったことが……自分だけが置いてけぼりを食ったことが……、寂しかったのだ。
それが、どうだろう?
サンクランドにきて、ミーアがエシャールを救う現場に居合わせた。隣で助言をして、ミーアと一緒に少年の命を救うことができた。
そして、今度はミーアと一緒に盗賊から逃げている。
初乗馬体験がグレードアップして、お友だちと一緒に命の危機に立ち向かう、という経験になってしまった。
この目まぐるしい状況変化が、ラフィーナを混乱させ……ときめかせているのだ!
――なんで、こんな危険な状況なのに、私……、こんなに楽しいの?
戸惑いつつも、ラフィーナは首を振る。
――ううん、駄目……。こんなことで喜んでいるなんて……。ミーアさんは、私のために護衛から離れた場所に馬を進めてしまったのだし。いうなれば、この状況は、私が生み出してしまったといっても過言ではないわけで……。
などと、理屈ではわかっているのだが……それでも胸のドキドキは止まらない。
信じあうお友だちと一緒に命の危機にある、大切なお友だちと力を合わせて、危険から脱しなければいけない……、その状況は、ラフィーナがずっと憧れていたものだったから。
しかも、そのお友だちは信頼がおける、誇らしい人なのだ。
先ほどラフィーナは、一瞬だけミーアを疑った。ミーアがラフィーナを落として馬を軽くする……、あるいは、自らが犠牲になってラフィーナを助けようとする……、そう思ったのだ。
けれど……、違った。
ミーアが選んだのは、二人で生き残ること。二人で無事に帰ることだった。
これほど信頼を置くに足る人がいるだろうか?
そんな友とともに危機に臨めることが、ラフィーナはやっぱり嬉しくって仕方なかった。
「ああ……」
その時、不意にミーアの絶望的なため息が聞こえた。
ハッと顔を上げたラフィーナは……、見た。
目の前、新たな馬の一団が現れたことに……。
――いけない、挟み撃ちにされる!
そう思った刹那、ラフィーナは急いで辺りに視線を走らせる。その視界の外れに、濃い緑色が映った。
それは、木々が立ち並ぶ小さな森だった。
「ミーアさん! あっち、あの森っ!」
その声に応えて、ミーアが馬首を翻す。
「さすがですわ、ラフィーナさま!」
馬が大きく方向を変え、森に向かって一直線に走る。
ラフィーナの見たところ、この馬では、普通に走っていては逃げられない。馬の地力では盗賊団のほうが上だし、こちらは二人乗りだ。明らかに不利である。
けれど、あのような木が林立した場所であれば、どうか?
ミーアの卓越した乗馬術をもってすれば、障害物を利用して逃げ切ることは可能なのではないか?
……致命的な誤解がどこかに存在するのだが……あいにくと乗馬初体験のラフィーナから見ると、ミーアの乗馬術はものすごーーく高度なものに見えてしまったのだった。不幸な誤解である。
――でも、森まで逃げ切れるかしら……?
不安になりつつ、ラフィーナは後ろを振り返る。っと、そこでは不思議なことが起こっていた。
「あら……どうして……?」
追いかけてくる盗賊団の勢いが見る間に弱まっていった。
どうやら、先ほどの別の一団とぶつかったらしい。
――連携に不安がある? それとも、もしかして、あれは盗賊団の別動隊ではなかったということかしら……?
首を傾げていると、ミーアが舌打ちするのが聞こえた。
「くっ、しつこいのがいますわ! いい加減に、諦めればよろしいのに!」
そのミーアの視線を追うと、たしかに、一騎の盗賊がまだなお追いすがってきていた。
ほかの盗賊団の者たちに比べると、少々、小柄に見えるが……、その分、馬の足は、敵のほうが遥かに速い。
「――っ! 森に入りますわ! ラフィーナさま、頭を下げていてくださいまし」
ミーアの声。直後、バササっと馬が枝葉をかき分けて森に突入した。
緑の葉のカーテンを抜けると、すぐに細い獣道に出た。
木と木の間を縫うようにして、ミーアは馬を走らせていく。
ラフィーナは、馬の背に身を伏せながら、後ろを振り返る。と、敵の馬が猛然と追いかけてきているのが見えた。
「ぐっ、ぬぬ、振り切れそうにありませんわね。こうなれば、森の中を大きく回って、味方に合流を……」
ミーアがつぶやいた、まさにその時だった。不意に、敵の馬が姿を消した。
「あら……?」
ラフィーナは森の緑の中に、懸命に目を凝らす。けれど、盗賊の姿は一向に見えなかった。
どうやら、ミーアもそれに気付いたのか、馬の速度を落として、振り返った。
「……追ってきてない……?」
怪訝そうにつぶやいて……、
「これは、なんとか逃げ切ったんじゃないかしら! ……ふぎゃっ!」
直後、ミーアの悲鳴が上がった。
「ミーアさんっ!?」
ラフィーナはびっくりして、ミーアのほうに目を向ける。っと、見えた! ミーアが…………、枝に頭をぶつけて……ゆっくーり後ろに倒れていくのが。
慌てて、その体を押さえて、苦労しつつも、地面に降ろす。
ふぅ、っと思わず安堵の息を漏らしたところで……、その耳に絶望的な音が聞こえてきた。
馬の……、それも複数の馬の……、足音が。
――ああ、ダメ……。盗賊団が……。
ラフィーナは、ミーアを茂みに押し込むと、毅然とした態度で立ち上がる。
もはや、隠れる時間もない。せいぜいできるのは時間稼ぎ程度……。
――ミーアさんが見つからなければいいのだけど……。
やがて……、姿を現した一頭の白馬、そこに乗っていたのは……。
「おや……、嬢ちゃんたち、こんなとこでなにやってんだ?」
怪訝そうな顔で首を傾げる、林馬龍だった。